3LDKの老人

すみはし

住宅の内見


「3LDK…ですか」


70歳は超えているであろう老人を見つめ、不動産会社の男は希望条件を繰り返す。


小説家だという老人は、文字に疎い男ですら知っている文豪であった。老人が書いてきた小説は軒並み大人気となり、ドラマ化映画化など様々なメディアミックスもなされている。

最近は引退作として出した1作がかなりの反響を呼んでいる。

そんな老人から男は物件探しを頼まれて内心粗相がないかとソワソワしながら話を聞いていた。


「あぁ、ネット環境があり、風呂トイレ別、トイレはもちろん洋式で、キッチンは広い方がいい。で、えーと、コンロは2口以上、大きな冷蔵庫をおけるスペースが必要だ。あいらんどきっちん? というやつにしてくれ。」


明確な希望をメモしてきたのかときどき小さな手帳を見てはピントを合わせるように目を細めたり、メモを遠ざけたり近付けたりしながら条件を読み上げる。


「あとは、部屋のうち、リビングは広く、どこか1部屋は和室だと有り難い。景色は緑が見えて、空が拡がっていて、花が綺麗に見えるところがいい、桜がいいな。自然が近いところが良いな。まだ動けるがー…出来ればバリアフリー構造がいいな」


淡い桜色の手帳は無骨そうな老人にはあまりに可愛らしく、違和感というよりは少しほっこりした。


「金額は特に問わんし、賃貸でも持ち家でもかまわんのだが…あれだろう、私のような老人がとなると借りれるところも少なかろうし、一軒家を買い切りにしても構わんよ。ローンも不安なら一括で買おう」


少し調べてきたのだろう、金銭的な面に余裕があるのなら問題は減るが、確かに老人がひとりで暮らすとなると難しくなる住宅もやはり多くはなる。



「そうですね、お伺いする限りの物件ですと、いくつかの妥協点が必要であったり、都心から離れたエリアになってしまうかと…」

「構わんよ、候補はあるんだな」

「そうですね、候補自体はお探しいたします。ただ、先程も仰った通り…」


老人は妥協はあまりしたくないが、都心から離れることにについてはネットスーパーが届けてくれる範囲内にしてくれればそれでも構わないと言った。


「買い物に行くのはいいんだが、さすがにそのうち免許は返納するからな。もしかしたら歩いていけと言われるかもしれんが」

そういって老人は少し笑った。


終の住処を探しているのだろうが、正直条件がかなりヘンテコだな、と感じた。

お子さんと住むのかと聞くと「さぁ、どうだろうね」と言うので同居ではないらしい。


金に糸目はつけないというくらいだし、広々とした家で家政婦をつけ愛人でも呼ぶのか、などと邪推してみる。

まぁこちらには関係の無い話か。良い物件(出来れば売上のためお高めの)を提案するのが仕事なのだから。


探してから改めて連絡する、と伝え後日3件をピックアップして老人と共に内見に行くことにした。

気がゆらがないうちに見てしまいたいので1日に3件、まとめてくれとのことだったので朝から待ち合わせをして車を出した。



>>内見1件目

「こちら○○駅からバス10分、徒歩20分のところにあります賃貸のバリアフリーマンションです。比較的都心部にもアクセスが良く、最新設備も揃っており、コンシェルジュもエントランスにおりますのでおひとりでもご安心かと」


老人は手帳と見比べながら室内を回っていく。

手帳の中がちらりと見えたが、少し小さめの綺麗な字で箇条書きでおそらく家の条件であろうものが幾つも書き連ねられていた。


「お探しの中ですと、和室が無く、キッチンがお求めよりはやや狭く、住宅街とビル群でお望みの景色は少し難しいかと…ただ、お部屋の広さは充分ありますし、通路も広く手すり付き、徒歩圏内にスーパーもありますね」


︎︎︎︎︎欠点、利点を伝えていく。この中折り合いの着く妥協点があると良いのだが。


「ここはなぁ…キッチンが気になるのと、景色がなぁ…」


窓を開け周辺を見渡して、難しそうに唸る。


「エレベーターも狭かったのと、廊下も少し狭く感じる」


通路はそれほど狭くないのだが…と思うが老人がポツリとそのあと呟いた。


「ここでは車椅子は難しいかなぁ」


車椅子可能物件となるとまた条件が変わってくる。

今でもかなり絞られているのに候補が…


「お客様、大変失礼ですが、ご健康のように思いますが、車椅子の予定がおありですか?」

「いや、大丈夫だ。広ささえあればそれでいい」


奇怪なことをいうものだ、と首を傾げるがとにかく物件の数を狭める必要はなさそうだ。



>>内見二件目

「こちら都心からは離れてしまいますが、最寄り駅まで徒歩30分、乗り換えも必要ですが1時間半もあれば出向くことは出来ます。この辺り一帯が住宅街エリアとなっており、静かで暮らしやすいかと思います」


都心部からは少し離れているが、立ち並ぶ住宅も都心のようなギッチリした感覚ではなくゆとりある環境である。


「こちらは通ってきた道でお気づきかもしれませんが、駅までの道のりに坂が多く、少々移動が面倒になるかもしれません。バスは1時間に1本ですが、タクシー等はありますのでご利用は十分に可能です。」


老人は道に関しては特に何も思っていないようで話半分に部屋の中を見て回っていた。


「先程よりも全体的に広めの作りになっており、和室はございませんがキッチン、浴室、トイレともに広々としており過ごしやすいかと思います」


「ふむ、悪くは無いが…」


老人は窓を見やると、立ち並ぶコンクリートの家々に頭を悩ませているようだった。


「こちら、下をご覧ください。緑化計画を立てておりこの物件の隣には公園がございます。公園には木々が並んでおり、ゆくゆくは『さくらのひろば』と呼ばれる大きな公園も作られる予定です」


「なるほど、それはいいかもしれん。だがこう、もっと自然広がるところが良かったが、やはりそういうところはないか…」


現状と理想を天秤にかけたように口を結び難しそうにため息を吐く。


「自然をお求めでしたら、利便性は更に悪くなってしまいますが、最後の物件がよろしいかと…」



>>内見三件目

「すみません、ここは少し遠くて移動に時間がかかってしまって…交通の便はお察しの通りです…。ですが、車で20分ほどあれば大きな道の駅があり、スーパーのような品揃えがありますし、そこからの自宅配送もございますので日常のお買い物にはあまり困らないかと」


先程の住宅街をさらに越え、山手に差し掛かろうとするところにその平屋はあった。

都心部からはかなり離れてしまい、快適とは言えない場所なので必死に欠点をカバーするように利点を慌ててつけ足していく。


「こちら一階建ての平屋で築年数もなかなかのものなのですが、以前お住いだった方がリノベをされたため、とても綺麗で快適な物件となっております。4LDKの広々とした快適な作りで、ご希望の和室もあり、全てできる限りの段差なく移動いただけます」


「ほう」


老人の反応は今までよりかなり良い。

うろうろと中を歩き回ってもため息や疑問、不満が出ることもない。


「ただキッチンの広さに問題は無いもののはアイランドキッチンではなくI型のシステムキッチンとなっております」

「I型のそれとあいらんどきっちんは違うのか?」


老人は不思議そうに首を傾げた。自らが希望をしているというのに不思議な話だ。


「そうですね、アイランドキッチンはいわゆる独立型、部屋の真ん中にキッチンがあるものをイメージしていただければ良いかと。対して今述べましたI型のシステムキッチンはものにもよりますが、一部が壁に付いているタイプのキッチンでございます。こちらの家の場合はカウンターキッチンのようになっているため、調理の際もお部屋の様子を見ながら調理することが出来ますよ」


ふぅん、と小さく息を吐いた老人はキッチン周りを見渡して「これぐらいなら許してくれるか」と呟いた。


「そして最後に1番お見せしたかったのがこちら、リビングのカーテンを開くとお庭周りが木で覆われており、桜の木の花もお楽しみいただけます!」


手入れの行き届いていない庭ではあるものの、小さな畑にするも良し、新たな植物を植えるも良し、ウッドテーブルなどを置いて野外スペースとして楽しむも良しの魅力的な庭である。


今まで景観に難色を示していた老人にはこれは刺さるのではないかと得意げに老人の方を見ると、はらはらと涙がこぼれていた。


「ここにするよ」


老人は一言、そう言った。


「書類はあるか? 気が変わらんうちにサインしたい」


随分な急展開に驚きを隠せない中で慌てて資料を取りだし、備え付けのテーブルへ老人を座らせ、ボールペンと書類を手渡す。


「ええと、あの、こちら、仮契約となりますので、のちのち本契約の書類を記入していただく必要はあるのですが、ご記載お願いいたします」


老人はいかにも文豪らしい、というかカクついた達筆でデカデカと必要箇所を埋めていく。


「あれ……」


書類の横に置かれた桜色の手帳を見て、ちらりと見えたときの字と明らかに違うことに気づく。


「そちらの手帳、綺麗な色ですね。桜の見える場所をお求めでしたし、お好きなんですか?」


そっと手帳のことに触れてみる。


「あぁ、いや、私のじゃないんだ」


老人は「まぁ独り言だと思って聞いてくれ」とポツポツと話し始めた。


■□■□■□■□■□


私には長年連れ添った妻がおり、小説家として働く自分をずっと支えてくれていた。


締切に追われ、やれ映画だなんだと監修、脚本を頼まれ、新作を書けとせっつかれ、妻と過ごす時間をゆっくりとる事も難しかったのだが、ふとした合間にできた時間に話すたわいのないことが本当に幸せだった。


「私は料理がとっても好きだから、将来はアイランドキッチンがある家に住みたいわ。あなたがダイニングで仕事をしてくれるならその様子をずっと見ていられるもの」


妻はたまにそういった理想の家を口にすることが多く、日記やメモがわりにしている桜色の手帳にそういった些細な思い出を書き記していた。


そういったこともあり、五十を超えた頃から妻とはそういった話をすることも増え、理想の終の住処の話をするようになった。


私は書斎が欲しい、妻は広々とした庭が欲しい、1人の部屋はそれぞれ欲しいが寝る部屋は一緒がいい、和室に布団を並べたい、こういう家がいい、こんなふうにしたい、と話し合って、妻はそれを嬉しそうに手帳に書き溜めていた。


その中でも妻が1番望んでいたのが桜の見える家だった。

桜色の手帳を見せて、「私の実家には桜の木が数本植えてあって、春にはお庭がとっても綺麗だったのよ。満開の桜が見えるといいわね」と笑っていたので、よく覚えている。


しかし8年程前から、妻はふらふらと頼りなくなったり、物忘れがあったり、話が中々通じないことが増え、早い段階の認知症かと思っていたのだが、診察の結果脳腫瘍があることが判明した。

私には難しいことは分からなかったが、悪性の腫瘍であり、転移も見られたため、切除は容易ではないとの事だった。


私はどうなっても妻を支えていくと決めていたし、最後まで連れ添うつもりでほとんどの時間を病院で過ごすようにしようとした。


しかし妻はそれを望まなかった。私に小説を書けと言った。「あなたが小説を書かなかったら何が残るのよ」とあまり動かない筋肉で笑っていた。


もし妻が家に戻ってくることがあれば、なんだってしようと思ったし、歩けるなら手すりを全てにつけようと思ったし、車椅子になるなら手動で私が押そうと思った。


だがそれ以降妻は目に見えて病気が進行していき、話すことさえままならなくなった。その末3年前に妻を亡くしたのだ。


妻が最後まで持っていて、残したもの、それがこの桜色の手帳なのだ。

それなら妻のためにできることはもうひとつしかないと思った。


■□■□■□■□■□


一通り話終えると老人は手帳に手を置いた。


「私は1人になったが、小説も落ち着いてきて、ようやく時間はできた。金はある、妻はもう居ないが、妻の要望を全て叶えてあげたいんだ。きっと、私と一緒にいてくれるだろうよ」



老人は悲しそうに笑うと、桜の季節が楽しみだと言った。

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3LDKの老人 すみはし @sumikko0020

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