雀色時
津多 時ロウ
雀色時
私、ここから見る夕焼けが一番好きなんだ。
母がそれを口にしたのはいつだったろうか。
花の蜜を吸いながら帰ったときだろうか。
虫を追いかけ、汗でびっしょりになって帰ったときだったろうか。
寒さに凍えながら帰ったときだったろうか。
母はいつもあの縁側で私を待ってくれていた。
そんな母も、もういない。父も、いない。
主を失った家は取り壊されたが、残された土地は買い手がつかず、
*
近頃の私は妻を連れては、しきりに移住希望者向けのツアーに参加していた。
通勤に便利な郊外の家を処分し、そこからやや離れた場所に
故郷を捨てるように都会の会社に就職し、これまでがむしゃらに働いてきたが、二人目の子供が家を出る頃には、はたと気付けば私もあと少しで六十に手が届こうかという歳になっていた。四人で住むには少し手狭だった我が家も、二人きりになれば妙に寒く感じるものだ。
或いは、人生の終わりが見えたのかも知れないとも思う。
「こちらの物件ですが、間取りは――」
担当者が、移住者に無料で貸し出すものと同じ間取りのモデルハウスを案内している。通常は空き家を貸し出すのだろうが、今回の自治体は近傍の住宅メーカーに新築物件を作らせるという熱の入れようだった。
当然のことながら、他のツアー参加者は熱心に質問をしている。
だが、私には届かなかった。
北欧風の家具が調えられたリビングの奥、真っ白な壁にかけられた大きな絵に、私の目が釘付けになっていたからだ。
担当者の説明も、参加者の質問も耳に入らず、ただ、絵に吸い寄せられる。
その絵は赤かった。
紅でもなく、朱でもなく、ただ赤というべき赤が私にせまり、私を染め、私を侵食し、私を覆い尽くした。
その絵は黒かった。
様々な黒という黒が混ざり合い、中で渦巻き、外に滲む。そして形作られた一羽の烏が、ぢっと赤を見つめていた。
『私、ここから見る夕焼けが一番好きなんだ』
烏と目が合った。
烏がそう言った気がした。
あの赤を見た気がして、私の背が低くなる。
けれど、いったいどこに行けばいいというのか。
そのとき妻が、古備前に生けられた一本の
ああ、なんだ。
私にはまだ故郷があったのだ。
何年ぶりかも分からない我が家には、
私は、ここから見る夕焼けが大好きだった。
『雀色時』 ― 完 ―
雀色時 津多 時ロウ @tsuda_jiro
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