とある住宅展示場にて

宿木 柊花

第1話

「ねえ、明日だよね」

 白い息を吐くような小さな声がする。

「そうだね」

 どこからかそんな声も聞こえてくる。明日から始まる展示会の下見だろうか。

 姿は見えずとも遠足前の子供のような顔をしていることだろう。


 ――あぁ、やっとだな。

 幸一は心の中で呟く。


 祝杯で火照ほてった頬に氷のような春風はとても心地よい。

 夢もうつつも分からない視界は真新しいかわらをよりきらめかせ、近くに咲いた桜をより妖艶に舞わせた。

 整然と並んだ我が子たちを眺めて余り物の発泡酒をあおった。


 思い返してみれば長かった。

 この数ヶ月でよくやったと思う。

 幸一は目尻を黒ずんだタオルで拭った。


 突然呼び出され『ここに住宅街を作る』と言われた頃を思い出す。

 澄みきった空気は容赦なく肌を刺し、土手の上の桜はブルルと身を震わせ固くつぼみを閉じ小さくなる。足元の枯れ草は全てを諦めたようにふらふらと揺れた。

 納期の前倒しや下請けの逃亡、現場監督の二日酔いなどのハプニングを乗り越え、ようやく今日を迎えることができた。


 澄んだ空気はまだ肌寒いが日の光は温かく包み込んでくれるためそこまで寒さは感じない。土手の上の桜もブルルと身を震わせながらも微笑み、足元の菜花なばなは激しいダンスバトルを繰り広げる。

 そして今日、薄桃色の川とは反対に下りたところに、大規模な住宅展示場いわば住宅街が完成した。


 太陽と月が交代する中、幸一は受付の設営を始める。温かくなってきたと言っても太陽の恩恵がなくなれば季節は簡単に逆戻りする。

 展示場のような分かりきって無人の場所にはイタズラや不法投棄等が横行するため、開催を明日に控えた今夜は見張っていなくてはならなかった。

 幸一は人がいることが分かるよう並べた机の上で支給された寝袋に潜り込む。

 周囲の住宅の明かりが消える中、若者の集団や明らかに粗大ごみを積んだ車が来たが幸一がモゾモゾと動くと去っていった。

 マネキンでも勤まる仕事だと思っていたが、効果を見てしまうと面白かった。

 誰も来なくなって幸一は酒の力もありウトウトとし始める。






「どうしよう緊張して眠れないかも」

「何も緊張することなんてないさ」

 また気の早い人が下見にでも来たのだろうか?


「でもだよ。もし明日失敗したらみんなに迷惑掛けちゃうことにならない?」


「……」


「なんで黙るの! やっぱり明日やめたい!」


「大丈夫だって。堂々としてれば僕たちは何も失敗しようがないだろう? ただ立っていればいいんだよ」


「そうだけど……でもさ」


「うん?」


「私、初めてなんだよ」


「うん知ってる」


「今だって足がガクガクしちゃってる」


「え! まだ早いよ。落ち着いて、まずは深呼吸深呼吸」


「ふぅ……。もし、明日も震えちゃったらどうしよう」


「今みたいにゆっくり落ち着けばいいんだよ。隣に僕はいるから」


「うん……。でも、変な汗とかヤバイかも」


「それはヤバイね。制汗剤とか何か対策を頼んでおかないと」


「ほら、私すぐ赤くなっちゃうし!」


「それは大丈夫だよ。化粧してるからバレないバレない」


「考えただけで顔が熱くなっちゃう」


「ほらほら、外の空気吸って」


「もう! ちゃんと話聞いてる?」


「聞いてるよ? でも嬉しくて」


「はぁ?」


「感じ悪ッ! 茶化してる訳じゃないよ? ほら僕は少し先に来たから知ってるだけ」


「ふーん」


「それに間取りとか雰囲気を見るだけなんだから」


「うぅ……なんか考えただけで顔から火が出そう!」


「ダメダメダメ! それだけは絶対ダメ!」


「すっごく恥ずかしいんだけど」


「健康診断だと思えばいいよ」


「え……健康診断。私健康だけど」


「知ってる。それに見られるのは初めてじゃないんだよ」


「え!」


「覚えてないだろうけど少し前にも見学者がいたんだ」


「ふーん、全然覚えてない」


「まだ立つ前だったからね」


 雲が月明かりを遮る。


「どんな家になるんだろうね」


「僕は元気な家がいいな」


「元気?」


「そう。汚れても賑やかがいいわけ」


「私は汚れたくはないな。でも優雅に過ごしたい」


「家が優雅?」


「四季折々のお花に囲まれてハーブティーとかが似合う家」


「確かに、似合うかもね。ウッドデッキに白いガーデンテーブルとか置いてありそう」


「そっちは庭にネット置いたり壁にバスケットゴール貼ってありそう」


「それもいいね」


 夢を話す二つの声が賑やかに誰もいない展示場にこだまする。






 翌朝、幸一はメモを片手にとある住宅の前にやってきた。もうすぐ交代の時間、帰る前にやっておいてあげたかった。

 まだ誰のものでもないピカピカの希望が詰まった家。

 幸一はその家の庭にバスケットゴールと野球ネットを設置した。どちらか一方でもいいと思うが本人の希望も盛り込んでやりたかった。

 その隣の家にはモデルハウスから借りてきたガーデンテーブルを置き、その中央に花瓶も置いた。

 見にきた人たちがイメージしやすいように、入念に角度を決め、拭いて作業は終了した。

「幸一さんどうしたんすか? 交代っすよ」

「おう。なぁこういう家もいいだろ?」

「いいっすね。元気いっぱいって感じが! でも勝手にこんなことしてインテリアなんとかの立川たちかわさん怒りません?」

「怒るかもな『素人の不動産屋が手を出すな』ってな。でも大丈夫だろう。イメージは壊してないはずだから」

「まあ、そっすね」

「じゃ、後は任せた」

「うぃっす」

 相変わらず軽いな、と思いながら荷物をまとめて帰路に着く。






 空き缶をがさがさと言わせながら幸一は土手から見下ろす。

 受付は家族連れや夫婦など老若男女問わず賑わいだしていた。

 朝日を浴びて輝く家々にほっと胸を撫で下ろす。勝手に設置したものもそのまま使われるようで何よりだ。

 いい家族と巡りあえるように、幸一はそっと祈った。

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