事故物件には十字架を

七四六明

事故物件には十字架を

 自殺、他殺、事故死、不審死、孤独死、変死。

 様々な理由でいわくが付いてしまう事故物件。


 ある時は好奇心で、ある時は仕事という名目で、ある時は金銭的余裕が無くて。

 様々な理由で、そんな曰く付き物件に住まなければならない人達がいる。住まなければ、生きていけない人達がいる。


 そんな彼らに味方する不動産の名は、角川かどかわ不動産。

 主に事故物件を扱い、事故物件を紹介する仲介役。そして、依頼者と彼とを繋ぐ場所。


 某月某日。

 今日も店には、訳アリの客がやって来る――


いらっしゃいませあらじゃい……」

「店長! もっとハッキリ言って下さい! い、いらっしゃいませ!」

「あの……こんな夜分に大丈夫ですか? 明かりが点いていたので、つい入ってしまったんですが……」

「大丈夫ですよ。うちは二四時間相談を受け付けておりますので、どうぞ奥へお進み下さい。お話、聞かせていただきますよ」


 外見からして二〇代後半くらい。

 職業は夜のお店だろうか。華やかな化粧と派手な衣装が、そう思わせる。


 だが何処か疲れている様子で、何かに怯えている様にも見える。

 珈琲を入れてあげると、彼女は迷わずそれを飲むのだが、手が震えて危うく珈琲を零してしまうところだった。


「それで……どんな物件をお探しですか?」

「……出来る限り人目に付かない、あまり人が寄り付かない。そんな場所は、ありませんか? 駅から遠くても、周囲にコンビニとかなくてもいいんです。人けが無い場所を、探して、欲しくて……」

「それは、えっと……失礼ですが、理由を聞いても?」


 女性は硬く口を閉ざす。

 が、このままでは話を進められないと察したのか、意を決した様子で話してくれた。


「こんな身なりで何となく察して下さってるかと思いますが、私、夜のお店で働いてて……自分で言うのもなんだけど、結構人気の方なんです。けど、運悪く変な人に気に入られちゃって。以来ずっとストーカーされてて……オートロックのマンションも、カードキーも全部ダメで……何処へ行っても付いて来て……もう、私、怖くて、怖くて……」

「それはお気の毒でしたね。そういう事ならお任せ下さい! ストーカーが侵入も憚る、最高の物件をご紹介いたします! 事故物件ですけど……」

「よろしく、お願いします……!」

「ただ、事故物件は他の物件と比べますとお安くはなるのですが、ここ、角川不動産は特別な手当てを付けて頂く事になっていまして……」


 店員が指差した先を見て、女性は首を傾げた。

 漢字と平仮名で構成された文書の中で、何故かその部分だけが外国語で、血判を要する欄が示されていたからであった。


 何処の国の言葉かもわからないので、何と書いてあるのかわからない。

 ただ何となく、意味合いは察せられた。

 文章の背後に、巨大な十字架が印刷されていたからである。宗教に明るくなくとも、事故物件に十字架と来れば、何となく察せられる。

 ただ、そこは仏教系じゃないんだ、とは思ったけれど。


「物件の内見には、以下の人物が動向する事。非常事態の場合には、彼の指示に従って頂く事が条件となります。うちも頭を抱える逸材ですが、数々の事故物件を治めて来たプロフェッショナルなので。きっと、お役に立って下さると思いますよ」

「わ、わかり、ました……よろしく、お願いします」


 翌日。


 ストーカー被害を訴える女性をそのまま帰す訳にはいかないと、不動産に泊めて昼過ぎ。

 朝に連絡していた人が、到着した。


「あ、来られましたね」


 と言われて見てみたが、子供達が並んで走っている光景しか見えてこない。

 が、直後に車の走る音が聞こえて、それが近付いてきている事に気付いた時、最悪の展開を想像して一歩踏み出そうとして、女性は自ら踏み止まった。


「こら、車道に出る時は左右を確認しなさい。危うく轢かれてしまうところだったんですよ?」

「おじさん、ありがとう」

「ありがとうございます!」

「えぇ、どういたしまして。二人共、お礼が言えることは良い事ですよ。さ、車はもう来ないみたいだから、仲良く遊んでいらっしゃい」

「バイバイ、おじさん!」

「バイバイ」


(え、いつからいたの、あの人……?)


 身長はかなり高い。一九〇は絶対あるし、もしかしたら二メートルあるかもしれない。

 そんな大男を真正面に置いて、果たして見失うなんて事があるだろうか。


 春風と陽気の始まる昨今、熱いだろう灰色のロングコート。両手には革の手袋。首から下げている十字架のロザリオなんか、熱を集めて熱くなりそうだ。

 そんな目立つ格好をしていて、大きな体をしていて、気付かなかった事が不思議でならなかった。


 そんな事を考えている間にも、男は既に目の前まで迫って来ている。

 二メートル近い巨躯が目の前に来ると凄まじい迫力で、男がいてくれば確かに、ストーカーも近寄れないだろう。


「お疲れ様です、野村のむらさん。この方が、今回のお客様ですか?」

「はい。事故物件をご所望の、朝日あさひさんです。ストーカー被害を受けておりまして、人けの無い物件をご所望らしいのですが……そうなると……心配なので」

「なるほど、わかりました。私が同行しましょう。改めまして、よろしくお願いします朝日さん。わたくし、アダム・エストラストと申します。ご覧の通り、怪しい者ではございますが、あなたをストーカーの魔の手から守るくらいはして見せましょう」

「よ、よろしくお願いします……」

「大丈夫ですよ、朝日さん。アダムさんが怖いのは顔だけですから」

「いやはや、これはこれは。手厳しいですなぁ」


 とりあえず、野村の運転で夜の内に見繕っておいた幾つかの物件の内見へ。


 小説家が自分の実力の無さに絶望して自殺したマンションの一室。

 妻の妊娠中に不倫した男が殺されたアパートの一室。

 夜に強盗が押し入って一家斬殺された小さな一軒家。


 どれもこれも物騒かつ不気味という共通点を除けば、それぞれの個性を見せる素敵な部屋ではあったが、どれも朝日の中では決め手に欠けた。


 アダムは全ての内見に付き合ってくれたが、特にこれと言って行動する事はない。

 ただ周囲に気を配り、ストーカーを威圧してくれていたように思う。


 七件ほど内件を終えて、それでも決められなかった朝日は、野村の運転で本日最後の内見に向かっていた。

 日頃のストーカーに対する精神的疲労からか。朝日は眠気に誘われる。


「今日回った物件はどうでした? アダムさん」


 何だそっちか、と、意識が緩んでしまって。そのまま眠ってしまった。アダムはポケットから懐中時計を取り出し、五秒ほど見つめてから、閉じる。


「ストーカー対策は万全でしょう。あれなら外から害される事はない。さすが、野村さんの選んだ物件だ」

「そうですか……、ですか。手厳しいですね」

「こればかりは手抜きは出来ませんよ。そういう商売なのでね」


 最後に向かったのは結構大きめな家だった。

 朝日一人で住むには、手に余りそうなほど広い家。

 だが家賃もお手頃だし、相場より安い。更に洗濯機や冷蔵庫と言った大型の家具はそのまま部屋に残っており、色々と手頃だった。


「占めて四LDK。トイレ、風呂別。エアコンも完備。周囲は先日取り壊した後の更地と果樹園なので、近隣住民とのトラブルも比較的ないでしょう。交通の便がやや不便なのと、駐車場がないのがデメリットでしたが……朝日さんは元々車をお持ちでないとの事でしたので、そこは問題ないですかね」


 外側は。


「それで、その……ここも事故物件、何ですよね。ちなみに、どんな」

「ここは――」

「頭を伏せてしゃがめ!」


 アダムに叫ばれ、咄嗟にしゃがみ込む。

 突如部屋の明かりが消え、真っ暗になったかと思えば、閉まっていた窓が突然開いて、入って来た風が大量の画鋲を、全て針の先端が先に来るよう運んで来た。

 アダムはそれを、右腕の中に隠し持っていた十字剣で叩き落した。


「野村さん。ここはどんな方のお住まいだったのでした、っけ……?」

「……ここは。昔、老夫婦と病弱のお孫さんが住んでいた家です。ですがやがて、老夫婦は自分達の老いと、一生面倒を見切れない孫の苦しむ姿に憐れみを感じ、無理心中を」

「なるほど……しかし、無理心中を決行したのは老夫婦の。君でしょう? 病弱の、お孫さん」

「へ? え? いつの間に? どこ、から……」


 朝日も気付かぬ間に、そこにはもう一人いた。

 開いた窓から入って来たのか、全身黒ずくめの服を着た男が、猫背で立っている。


 充分に怪しい格好だが、自分が知っているストーカーのそれとは違う。それに、何処か違和感を感じてならない。

 何だか、見ていて怖い。


「老夫婦を殺し、自らも自殺。その後地縛霊として、この家に住み憑いたというところ、か……悲しくもあり、寂しくもあり、しかして怪しからん! 化けて出る程怖かったのか。自分を殺す老夫婦の姿が。殺すほど怖かったか。老夫婦を返り討ちにして殺してしまった、己の生への執着が!」


 霊は何かを取り出した。

 それは何とも、馬鹿デカいチェーンソー。

 一体何処から取り出したのか。それが現実なのかなど考えている暇はない。エンジンの入ったそれがけたたましい音を鳴らしながら回り、未だ乾かぬ当時の血飛沫を散らしていた。


 対して、クリスチャンは左手に隠し持っていた銀の銃を取り出す。

 ロザリオを掲げて黙とうをささげると、剣と銃とを縦横に交差させ、白銀の十字を作ってみせた。


「我が神よ。汝の御前を穢す事を許し給う。我は汝の刑を代行する者。汝の裁きを執行する者。我が使命は! 汝の力と加護を人々に与え、知らしめ、世に蔓延らせる事! 無神論者よ我が神に誓え! 無神論者よ我が神に祈れ! さすれば汝に我が神の加護と慈悲を約束しよう。その一つ目の奇跡として、これより我が神罰を代行する! 救いをAmen!!!」


 振り上げ、振り下ろし、薙ぎ払う。

 滅茶苦茶な軌道を描くチェーンソーを避けて放たれた銀の銃弾を受けた地縛霊の左肩が硬直し、振り上げていたチェーンソーがその場に落ちる。


「清めの塩だとか水だとか、吸血鬼にはニンニクをとか十字架をとか、南無阿弥陀仏とかAmenだとか、そんな物は何の役にも立たない。役に立つのは銀の弾丸と、聖水で清めた銀の刀剣に限る……苦痛なくは逝かせられないが、私はそもそも悪霊相手に慈悲など掛けないのだよ」


 チェーンソーが投げ飛ばされる。

 アダムの振るう銀の短刀がエンジンを両断。爆発すると、その爆風を追い風に変えて肉薄したアダムの拳銃が地縛霊の両太ももを穿ち、短刀が先に銃弾で穿った肩に突き刺さって壁まで押し退けた。


「貴様は人間らしく激痛に苦しむ事なく、悪魔のように悶えて消えるのだ! 逝けAmen!!!」


 アダムの背後から、両脇を抱える様に邪魔をしてくる霊魂が二つ。

 朝日にはそれが、孫を介護していたという老夫婦に見えて、何だか泣きそうになった。


 孫を殺そうとして、殺し返されて、それで彼が地縛霊になって。そんな罪悪感から、彼を救おうとする二人の姿が見えた気がしたが、アダムはそれらを振り払い、短刀で二人共切り裂き、消し去ってしまった。


「残留思念を遺すほど悔やむなら、初めから死など選ぶな。苦痛から逃げるな。祈る事もせずに諦め、逃げた連中の末路に邪魔される筋合いなどない! 大人しく消えろ!!!」


 斬られた老夫婦の霊魂が消える。

 残された孫の霊魂は未だ暴れ、懐から刃物を取り出して振り払うが、体格差が違い過ぎてアダムまで届かない。

 ならばと自分を突き刺す腕を狙うが、放たれた銃弾に刃物を落とされ、肩を撃ち抜かれた。


 痛がり、泣き叫び、悶絶する孫の口に、銀の銃が突き付けられる。


「引き籠りの地縛霊が……霊魂と成り果ててまで引き籠りやがって。だが、こうして出て来て邪魔をする程度には元気みたいだな。それくらい引き籠りなら、自宅警備員くらい出来るだろう。病弱の癖して妙にアクティブなてめぇには、お似合いの役職を与えてやる。全うして逝け! わかったなAmen!!!」


 後日。


「へへ、へへへ……どこまで行っても無駄だぜ朝日ちゃぁん。事故物件だろうが何だろうが、俺達にとっては愛の巣だ。俺達の居場所だ。何処へだって俺は参上して――」


 不意に聞こえて来た足音。

 振り返っても誰もいない。


 気のせいか。

 そうしてもう一度家の方に視線をやった時、大きく目を見開いて自分の姿を瞳孔に移す顔が目の前にあって、男はその場で尻餅を突いた。

 そしてまた何処から取り出したのか。目の前のそれはチェーンソーを鳴らし、猟奇的に回転させ、振り回す。


「エェェェエェェェイメェェェンンン!!!」


 翌日逮捕された男の証言では、あの家にはチェーンソーを持った男の霊が出る。

 俺は見た。俺はあいつに殺されそうになったんだと、意味不明な供述を繰り返しているという。


「朝日さん、ストーカーが捕まって安心したでしょうね。でも地縛霊に自宅の警備をさせるだなんて、よくもまぁ……そんな恐ろしい事を思い付きますね、アダムさん」


 山盛りの砂糖を入れた珈琲を飲むアダムは、一気に飲み干して立ち上がる。

 弾の装填を終えた銃と磨き上げた短刀とを両腕に忍ばせ、湯気のように立ち上がった。


「地縛霊の類は、祓うのに色々と準備が必要ですからね。また、あのような攻撃的な霊は、祓うよりも守護霊として家を守らせるのに限る。もし奴が朝日さんを害すようなら、魂に刻んだ術式が彼を昇天させる仕掛けを施してあるので、ご安心を」

「どぉぅぞ」

「ありがとうございます、店長マスター


 報酬を懐に入れ、アダムは店を後にする。

 思い出したように駆け出した野村はアダムを追い掛け、大きな背中を呼び止めた。


「また、よろしくお願いしますね。それで……その……今度、お食事、とか」

「……えぇ。機会があれば、是非」


 車が横切り、クリスチャンは消えていく。

 彼が悪霊を討伐ないし懐柔させた家には、もれなく白銀の十字架が下がっている。


 皆の周囲にも、もしかしたらそんな家が、あるのではないのだろうか。

 そんな時は唱えよう。救いをAmenと。

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