内覧会の出来事
倉沢トモエ
内覧会の出来事
設計図が、焼かれず残っていたのは幸いだった。
「こんな形で、帰って来られるなんてねえ」
上品な仕立ての礼服姿の老婦人が私に話しかけてきた。案内役の小娘が緊張して心細そうに見えたのかもしれない。
〈
重要文化財指定となった、この地の豪商の邸宅。
明治後期に洋館として建設された。川上家の住居であったが大正時代に一部を下宿として近くにある一高の学生たちを預り、何人も送り出した。
十年前の災害で焼失したのだが、このたび再建された。
その内覧会が本日である。
「失礼」
談笑の途中で、電話に出るため席を外す紳士がこれで何人目か。
一高卒業者の集いの様相を呈しており、なるほど各界の名士揃いである。
「私ね、」
この老婦人の存在が先ほどから謎めいていた。
「この部屋に五日ほど三人で住んだことがあるのよ」
二階の南向き、四畳半ほどの部屋。
「冬だったので、みんな助かったわ」
話を聞くと、当時隣にあった裁縫学校の寮生だったのだという。
「寮で火事があって、大騒ぎだったわ」
この下宿にいた男子学生たちも飛び出して、消火活動を手伝ってくれたのだが、焼け落ちてしまった。
「着の身着のまま、寒空へ放り出されてしまってね。みんな田舎へ帰らなきゃいけないのかな、なんて弱気になっていたのよ」
すると、下宿の一高生たちが、二階を空けるので今晩はこちらへいらっしゃったらどうですか、と申し出てくれたのだという。
「ありがたくてねえ。でも一高の方でしょう。お部屋にあるご本は難しそうだし、こちらは年ごろなのに寝間着一枚で恥ずかしいし」
「おや、里見さん」
「まあ、立花さん」
電話から戻った紳士が老婦人に声をかけた。
「海運のほうでずいぶんご立派になられて」
「そちらこそ服飾学校の校長先生じゃないですか」
「あら、みどりちゃん、いらしてたのね」
小さな女の子を連れた老婦人が、話の輪に加わった。
「さゆみちゃん、三つになったのねえ」
楽しいひと時が続いた。
内覧会の出来事 倉沢トモエ @kisaragi_01
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