断章「昔語りの中語り」
独白、夜。
──と、そこまで記して筆をおく。
すっかり凝り固まった身体をほぐすために伸びをする。大きなあくびが漏れて、ついでに目に涙も浮かんできた。全身を駆け巡る血の感覚に浸りながら、机上に広がる景色に辟易。「うげぇ、」と顔をしかめた。
書き直した跡ばかりが目立つ原稿用紙と、消しカスの山。シャープペンを繰っていた右手は真っ黒に汚れている。
それにしても、物語を描くのは難しい。
必要な情報を説明するのは大変だし、ついうっかり読み返してみようものならすぐに書き直したくなって無駄に時間がかかる。景色やらと心情をリンクさせるのも難しい。だからと言ってその辺を省略すると単調になるし、書きすぎると読みにくいし。
そもそも、書いてるのが俺である以上、俺が見聞きしたことしか書けないわけで、それだとどうにも情報不足が著しい。だからこうして笹貫から聞き取った話を挟んでるわけだけれど、笹貫の思考をトレースして書くのめっちゃ難しいし恥ずかしい。
ほんと、千年も語り継がれる物語を書き切ったあいつはすごいんだなって再認識できる。一文一文が真新しくて、口に出してみるとリズムも良かったりするから、作文がうますぎていっそキモいくらいだ。
「あー、今日はここまでかなぁ……」
不意に零れた弱音を笑うように、椅子が軋んだ。ふと窓の外から差し込む薄明りに目が留まる。中途半端に閉じられたカーテンの隙間から除く半分に欠けた月。
最後の戦いから、もうすでに十五日近くも過ぎたのか。
特にこれといった思考は回さない。窓際まで歩いて窓を開け放つ。途端に部屋に入り込む空気はわずかに冷え込んで、どことなく冬の足音も聞こえてくる気がした。
月を見上げるたびに、思い出す。
忘れもしない、八月十七日。
あの日、笹貫郁子と出逢い、イワカサと出逢い、自身の運命を悟った。
〈月堕〉が、俺の月印を狙っている。つまり、俺の命を狙っているということ。
だからこそ、俺は逃げるための旅に出たけれど、すぐに追い詰められることになる。家族が襲われ、笹貫が襲われ、笹貫の唯一の肉親も大怪我を負った。
けれども、だからこそ定まる望みもあったんだ。
──〈月堕〉をぶっつぶす。
それはつまるところ、〈月堕〉の敵を皆殺しにするということ。今思い返せば、ずいぶんと狂った思考だったとわかるけれど、当時はそれが最善だと信じていたんだ。
ここまでが、俺の旅の前半戦。
ここからは、俺の旅の後半戦。
逃げるための旅が殺すための旅へと変質し、戦いはより激しさを増す。
けれども、このときの俺は、まだなにも知らない。
〈月堕〉の醜悪さも、珂瑠の正体も、月印と光子の神秘も。
『竹取物語』に隠された想いも、竹取翁の願いも、かぐや姫の後悔も。
でもまずは、ある男の話をしよう。
男の名は、イワカサ。
旅を通して知り合った人たちの中でいっとう一途で、それゆえにどうしようもなく擦り切れてしまった──
──とある男の物語と、その後日談を。
俺は、彼の生きざまを語りたかったからこそ、こうして筆を執ったんだ。
つき落つる 鯱丸 @shachihoko_maru
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