おかしな一軒家

弧野崎きつね

おかしな一軒家

「ねえ、ここ、すごくない?」

 彼女が指さしたのは、ひとつの物件情報だった。俺の肩越しに、鼻息荒く、食い入るように見つめている。

「えっと……ああ、他の物件より安いね」

「違う。ここ、一戸建みたい」

「え、まじ?」

 思わず検索条件を確認するが、都心部の駅近で、間取りは1LDKのバストイレ別で間違いない。1LDKの一戸建なんてものがあると思わなかったから見逃していたのだろうか。それは、1階にリビングダイニングキッチン、バス、トイレがあり、2階に部屋がひとつあるという、検索条件を満たした一戸建であった。

「なんだここ。専有面積が他の1LDKのマンションの倍くらいある」

「ねえ、ルーフバルコニーもあるよ!バーベキューとかできちゃうかも!?」

「でかいな、2階の部屋と同じくらいか。あれ、庭もある!?それで家賃は、他の半額……」

 詳しく見れば見るほど、その異質さが際立つ。

「掘り出し物じゃん!」

「もしルーフバルコニーがなかったら、2LDKになるけど、そしたら、専有面積は他の1LDKの3倍近い。それで家賃半額だぜ」

「……なんかちょっと怖くなってきたかも」

「奇遇だね、俺もだよ。……築年数が書いてないな。それに、写真もない。見に行ったら、すごい古い建物で、値段相応な可能性もあるか」

 安さの理由に見当がついて、得体の知れない恐怖が薄れてくると、写真のないこの家がどんな姿をしているのか、興味がわいてきた。

「見に行ってみるの?」

「そうだね。見もしないでやめたら、いつまでもこの家に囚われそうだし。」

「ええ……わかった。一緒に行く」


 そして迎えた、内見当日。

 件の物件は、くたびれた古民家でも、薄汚れた昭和の名残でもなく、洗練された現代的なデザイナーズ物件だった。あまり見られないルーフバルコニーが違和感なく融け込んだ秀逸なデザイン。新築と言われたら信じてしまいそうな真新しい壁。すべてが安さの対極に位置している。何かよくないものを塗りつぶそうとしているかのようだった。

 玄関の前には、管理会社の人らしき、ピシッとしたスーツ姿の男が立っていた。完璧な営業スマイルの男だ。簡単に挨拶を交わし、中に入る。

「この物件、内見にいらっしゃる方、なかなか居ないんですよ。どこを気に入られたんですか?」

「あ、えっと。1LDKを探してたんですけど、この物件がでてきまして。一戸建ては珍しいし、家賃も安いので、気になってしまって」

「ああ、1LDKなんですか、ここは」

 彼の言葉は、管理している物件の間取りが分からないことを示唆していた。きれいで明るい家なのに、背筋が冷たくなってきたように感じる。

「……あの。ここ、あまりにも安すぎるんですが、何か理由があるんでしょうか?」

「そうですね。家主さん、ここは大事なおうちなんですが、理由があってここに住めないそうで。綺麗に維持するために、誰かに住んでもらうことにしたと伺っています。それで格安なんですが、その代わりに、この家や、備品に何かあったら、借りている方には自費で修繕や交換していただくことが条件になります」

「あ、なるほど。そうなんですね」

「はい。必ずです。可及的速やかに、必ずです。ちょっと壊れたけど、使わないからしばらく置いておくか、などは許されません」

 スーツの男は、営業スマイルを崩さないまま話した条件は、えらく不気味だった。俺は、この家を絶対に借りないと誓った。隣の彼女も、表情が引きつっている。

 それから一通り見て回りって、いくつか質問し、内見を終えた。

 そして、スーツの男は、玄関の扉に鍵をかけた後、締めくくるようにこう言った。

「さて、本日は、内見お疲れ様でした。こちらの物件を借りられますか?借りられるようでしたら、近くの事務所にお越しいただいて、お話を詰めることになります」

 俺はひどく疲れていた。軽い気持ちで、内見に来たことを後悔していた。ようやく終わったことに安堵し、喜びを嚙み締めた。そして、

「ここにします」

 一瞬、だれの言葉か分からなかった。

 彼女だった。彼女との付き合いは長い。些細なことでも、結論を出す前に、必ず俺の意見を聞いた彼女が、家を借りるという大きな決断を、独断で行なったことが信じられなかった。

「ねえ、賃借人のところ、どうする?私の名義にする?ふたりで住むんだし、ふたりの名義にしたいんだけど」

 そういって、俺に微笑む彼女が、得体の知れない、別の誰かのように感じた。



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おかしな一軒家 弧野崎きつね @fox_konkon_YIFF

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