山田博士はまたカップ麺を食べられない

葛瀬 秋奈

山田博士はまたカップ麺を食べられない

 山田博士には3分以内にやらなければならないことがあった。その用事自体は些細な文書作成業務だったのだが、集中して作業を終わらせた自分へのご褒美として助手に頼んでカップ麺を用意してもらっていた。なお、この「終末回避研究所」において、個人研究室での飲食は実験中以外なら認められている。


 そしてきっちり3分で全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れのように作業を終わらせた山田博士は晴れて好物のカップ麺にありつける……はずだった。


 喜色満面でカップ麺の蓋をとった山田博士は一口も食べず真顔で蓋を閉めた。尋常ならざる様子にカップ麺を用意した助手も首を傾げる。


「どうかしたんですか?」

「至急、消火器を持ってきてくれ」

「あ、ハイ」


 間の抜けた返事をしながらも指示通りに助手が研究室の壁から消火器を持ってきたのを確認すると山田博士は大きく頷いた。


「では次に、それをこのカップ麺に噴射してくれ」

「カップ麺に?」

「いいから早く。3、2、1!」


 合図と共に山田博士は手を離し、大量の消火剤が発射される。中の様子こそわからないが泡だらけになったカップ麺はもはや食料品としての用を成さないだろう。一連の山田博士の行動が入所一年目の助手の目にはよほど奇異に見えたらしく、ずっと怪訝な顔をしている。


「よし、ひとまず沈静化したな」


 山田博士は実験用手袋をはめて蓋の中身を慎重に確かめている。


「やはり条件は熱か……」

「あの、これは一体?」

「君の持ってきてくれたものはカップ麺ではなかったということだ」


 言葉の意味を問い返す前にけたたましく警報音が鳴り響いた。続いて館内放送が流れる。


『緊急警報、緊急警報。これは訓練ではない。食糧対策班より被験体Cの紛失が確認された。対象は熱湯をかけると3分ごとに倍になるので絶対にかけてはいけない。かけてしまった場合は速やかに冷却すべし。確認されている紛失個体数は1。各員、可能な限り速やかに捜索と処理にあたるべし。繰り返す、これは訓練ではない』


 上を向いて放送に耳を傾けていた山田博士は安堵の息を漏らし、管制室へ連絡を入れた。


 食糧対策班はその名の通り食糧危機による終末シナリオを回避するために作られたチームで、被験体Cはその研究の過程で偶然生み出されたものだ。熱湯をかけると3分で倍になり、無限に増殖する。冷やせば増殖は止まるので当初は夢の食糧として期待されていたものの、一般に流通させるにはやはり危険と判断され食糧以外の用途を検討するように別部署の山田博士のところにも通達がきていた。


「個体数1ならこれで全部か。なんにせよ作業を始める前でなくて良かった」

「何なんですかこれ……本当に」

「この研究所ではよくあることだよ。まあ、慣れることだな」


 ──ここは終末回避研究所。やがて来る人類滅亡シナリオを科学の力で回避するために作られた組織だ。たった3分で目まぐるしく変わる世界の中で、科学者たちは今日も戦っている。


(了)

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