謎の言葉
ちかえ
不穏な言葉
「○○には三分以内にやらなければならないことがあった……」
思いがけない言葉に私はフォークを止めてしまった。
今のは間違いなく王太子殿下の声だ。ついそっちを見てしまう。どうやら婚約者の公爵令嬢と一緒にいるみたいだ。
だったらもっと甘酸っぱい会話でもすればいいのに、なんでそんなわけのわからない話をしているのだろう。
それに、殿下が話していたのが私たちの母語であるイシアル語ではなく大国アイハの言葉である事も不安になる理由だ。
おまけに続いて聞こえてくる言葉も『作戦』だとか『失敗するととんでもないことになる』とか物騒な言葉ばかりだ。とは言っても王太子殿下がぼそぼそと話すせいでほとんど聞き取れないけど。
ご婚約者様は同意するようにうんうんと殿下の言葉に頷いている。
もしかして大事な密談だったりするのだろうか。『やらなければならないこと』というのは何かの秘密の計画だったりするのだろうか。だから小声でこっそり喋っていたのだろうか。これで私が人名を聞き取っていたら危険だったりする?
どうしたらいいんだろう。とんでもない話を聞いてしまった。
私は急いでケーキをたいらげてから、そっと、でも早足でカフェを出て行った。
***
「というわけなんですけど……」
晩餐を終えた後、私はお兄様のお部屋に突撃した。
帰宅してすぐに行きたかったけど、私より二学年上のお兄様は帰宅が遅い。なので、こんな時間になってしまった。
本当ならお父様に相談すべき事なのかもしれない。でも、今日は帰りが遅いようだ。こんな時にどこで何をしているのだろう。
おっとりしているお母様にこんなとんでもない話をしたら泡を吹きそうだし、使用人に話す話じゃない。だからお兄様を待ったのだ。
それにしても、せっかく、学園内の上流貴族の者が利用するカフェに思い切って入ってみたのに、とんだ経験になってしまった。
やっぱり私みたいなそこそこの貴族は行ってはいけない場所だったのだろうか。あそこだって学園の施設なのに……。
私の話を聞いたお兄様は無言で席を立つ。妹が悩んでいるのに酷い兄だ。慌てて後を追う。
連れて行かれたのは書庫だった。
「ねえ、お兄様、聞いてくださいな。もし、あそこで話していた事がとんでもない事件に発展したら大変なのです」
「うん。聞いてる、聞いてる」
生返事なんですよ、お兄様。本当にどうしてこんな塩対応をされているのだろう。
「やはりお父様達に相談した方が良かったのでしょうか」
「いや、別に必要ないと思うよ。相談したら逆に王太子殿下は困るんじゃないかな」
「酷い、お兄様、国家の危機ですよ!」
「そんな事はないから大丈夫」
だんだん興奮していく私に対して、お兄様は逆に冷静だ。どうして!
しかも本棚をあさっているし。一体、何をしているのだろう。
「お兄様、聞いていますか?」
「だから聞いてる。王太子殿下の話だろう?」
分かっているのならどうしてこっちを向いてくれないのだろう。やはり塩対応だ。
それにしてもお兄様が今向かっている本棚はあまり読まなくなった本を置く場所だ。どうしてそんな所にいるのだろう。
しばらくして『あったあった』という声が聞こえる。
そうして手渡された本に私はキョトンとしてしまう。
それはアイハ語の教本だった。この本は学園では二学年で使うものだ。お兄様が去年使っていた教本。そして、来年私が学ぶもの。
「これがどうかいたしまして?」
尋ねると、呆れた目でとあるページを見せられる。その一文目を見て固まる。
それは、昼間、王太子殿下がご婚約者様と喋っていた内容が書かれていた。
そういえば、王太子殿下は、今、十四歳。私より一学年上なのだ。今はこの教本を使ってアイハ語を勉強しているはずだ。
わからない単語もたくさんあるけど、ざっと見る限り、ただの小説のようだ。内容もそこまで物騒ではなく、ドタバタコメディだ。
「予習で発音の練習でもしていたんじゃないの? それか暗唱でもしてたか。それをご婚約者様に聞いてもらってんじゃない? ご婚約者様は語学が得意だという話だから先の方まで勉強していたのかも」
さらりと言われる。
聞き取れなかった人名も、ただ発音が難しく、うまく言えないので小声になってしまったのだろう、と言われる。その名前をお兄様に発音してもらったが、確かに難しい発音だ。
つまり、私が聞いたのは、ただの勉強会だったらしい。
「そういう事は王宮でやってほしいのですけれど」
「王太子殿下だって学園の学生なんだから、学園の施設は普通に利用するだろう」
文句はあっさりと潰される。
楽しそうなお兄様の笑い声を聞きながら私は何の罪もない教科書を睨んでしまったのだった。
謎の言葉 ちかえ @ChikaeK
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