バッファローより倒しにくい男
葎屋敷
バッファローにもモテる女
男には三分以内にやらなければならないことがあった
「まかせてください! バッファローの群れ、私が倒してみせましょう! そして結婚してください!」
それはバッファローの群れを打倒し、惚れた女に結婚を了承させることである。
*
とある国にひとりの男がいた。その男は世界一頑丈であった。
熊に投げ飛ばされようと、時速八十キロの車に轢かれようと、崖にかかる橋から浅い川底に落ちようと、なんでもない顔ですくっと立ち上がってみせる。そういう男だった。
そして、その男は世界一と言っていいか定かではないが、馬鹿であった。熊と相撲すれば奢ってやるという冗談を真に受けて森の熊を訪ね全治三日の怪我を負い、知らぬ間に保険金詐欺の片棒を担がされそうになり、度胸試しにバンジージャンプをしようとして命綱をつけ忘れる。そういう残念な男であった。
その日も男は騙されていた。彼を嫌う上司に「この前ハイキングに行った山で結婚指輪を落としてしまった。見つけてこなければ離婚と言われてしまった」と虚偽の相談を受け、まんまと信じる間抜けぶり。彼は上司に嫌われていることなど露知らず、人助けと勇んで有給を取得したのち山へ出かけた。
その山は疎林に囲まれてポツンとひとつだけある。あと二十年もすれば、他の山々のように国に平らにされてしまいそうだった。
男はどう考えてもハイキング向きではない舗装されていない山で、上司の結婚指輪を探して回った。もちろん見つからなかった。
しかし、代わりにというべきか。男はその日、その山で、運命を見つけたのである。
*
その女は世界一モテた。とんでもなくモテた。老若男女問わず、人間にすら限定せず、霊長類であるかに関わらず、ほ乳類すべてにモテた。
しかし、それは女の意思ではなかった。彼女が惚れさせているのではない。彼女以外が勝手に彼女に惚れるのである。
目が合う度に恋に落ちる者どもが、下心を隠そうとしては隠しきれずに近づくその様は女を呆れさせた。そして、ただ呆れる以上に、彼女は命の危機を感じていた。そこで彼女は、人里離れて勝手にこの山に小屋を建て、ひっそりと暮らしていた。
指輪が見つからずに休憩場所を探していた男が見つけたのが、その女の小屋である。
「好きです!」
「不法侵入よ、おバカさん」
男は小屋に入って女を見つけた途端、膝を床について、ちょうどその辺で戯れに摘んだ黄色い花を差し出した。出会ってから三秒の出来事であった。
「あなた、知らない顔ね。私を追って来たんじゃなさそう」
「なんと。逃亡犯でしたか! ちょうど私も家宅侵入で捕まる予定が今できたので、一緒に罪を償いませんか!?」
「違うわよ。あなたみたいな人達が結婚してくれってうるさいから、身を隠しているの」
「なんと、モテモテな方でしたか!」
「…………あなた、変な人ねぇ」
女は自らの事情を話し、男のことも気に入らないと突っぱねて、即刻この場から立ち去るよう求めた。
「なんと、老若男女問わずモテるとは、常識にとらわれぬモテっぷり」
「目が合うだけでダメなのよ。あなたみたいに、しつこくなっちゃう」
「なんと、しつこい男は嫌いですか! そうでしょうな、私も好きではありません。ところで結婚しませんか?」
「あなた、人の話聞かないわねぇ」
「あなたのお話なら聞きたいと思います!」
「そう。なら、さっきから言っているように早く出て行ってほしいのだけれど、あなたのためにも」
男は女の言が理解できず、女の言うことも聞こうとせず、あまつさえ彼女への口説き文句を考えていた。あまり会話に空白が生まれてもいけない。三秒で最高のプロポーズの台詞を考えなくては。そう身勝手に結論を出した男が膝を床に突こうとしたその時、地が揺れた。
それは深く腹の底に響くような振動だった。男たちのいる国では地震はめったに起こらないので、男は天変地異の前触れかと身構える。しかし、それは天変地異でも地震でもない。答えは女がすぐに与えてくれた。
「バッファローの群れよ。もう来ちゃったのね」
「バッファローの群れ!?」
「ええ。すぐそこの崖の下に大きな川が流れているのだけれど、そこにいたバッファローたちと目が合っちゃったのよ。一頭がこちらを見たら、釣られるようにみんな私を一瞥して……。こういうことがないように、人目どころか動物の目も避けて生きてるのだけれど、偶にこういうことが起きてしまうの。ああ、こんな道の険しい場所まで登ってくるなんて思いたくなかったけど……」
男は女の言うことが信じられず、急いで小屋を出た。振動は止むどころか一秒経過するごとに激しさを増している。男は視界の奥で多くの鳥が飛び立ち、何本かの木々がゆっくりと地へ向かって潜るように倒れていくのを見た。倒れる木々の位置が徐々にこちらへ向かってくるのを認めると、男は再び小屋の中へと入った。
「なにか巨大なものがこの小屋に近づいているようです!」
「だからバッファローの群れだって言っているでしょう? 困ったわ。すべての木々を粉々にして進んでるのね。その勢いのまま、私にアタックしたいみたい」
女は熟れた果実のように赤く色づいた唇から息を深く吐いた。こういったことは、女の人生にて初めてのことではない。
女は動物にもよくモテる。そして動物たちは女の適度に肉付きながらも華奢な身体がいかに弱いか考えてなどくれない。本能を暴走させた動物たちは平和な求愛行動を我先にと繰り返すだけの時もあれば、文字通り暴走することもあり、女は何度死にかけたかもわからなかった。
これこそ、女がこんな場所に居を構える理由である。
「あなたの言う通り、あれがバッファローの群れだとすると、ここは危ないのでは?」
「そうよ? だからあなたは逃げなさいと言っているの」
「なるほど! でしたら、あなたも私と一緒に逃げましょう! さ、手を繋いでください。積極的に指を絡めて!」
「バッファローたちは私を追ってくるのよ。むやみに逃げても追いつかれるだけ。あと、気持ち悪いわね、あなた」
女は男の下心を隠そうともしない様に苦笑いしながら、男への警告を続けた。
自分と一緒にいれば、ただでは済まない。自分は大丈夫だから即刻この場を離れるように。そう言って聞かせても、男は頑としてここに残るという。
「いいえ! お任せください! 私、すごく丈夫なのです! 時速六十キロくらいの車に轢かれる程度なら無傷なので!」
「それは常軌を逸しているわね」
「十階くらいの高さから落ちても捻挫で済みます!」
「バッファローより倒しにくいわね、あなた」
男はドンっと胸を叩いて、小屋の外に出た。すると、すでにバッファローの群れは木々を隔てているにもかかわらず視認できる位置まで迫っていた。
窮迫する命の危機。それを男は笑って見せた。
「惚れた女を守れずしてなにが男か! 俺は世界一丈夫な男なれば、あのような牛たちなど跳ね返してさしあげましょう! そして成功した暁には、結婚してください!」
「あのねぇ。あなたがそんな、命を張る必要はないのよ!? 何度も言ったとおり、本当に私は大丈夫だから――」
「いいえ、張らせてください。そして勝ったら結婚してください!」
「――ああ、もう、いい加減にしなさい! バッファローの群れが到着するまで、三分もないのよ!?」
「まかせてください! バッファローの群れ、私が倒してみせましょう! そして結婚してください!」
「する必要ないって言ってるのに、もう! 付き合ってられないわ、勝手になさい! 生き残ったらプロポーズでもなんでも聞いてあげるわよ、馬鹿!」
ついに女は男の頑固さに負けて約束を受け入れてから、小屋の中へと消えていった。一方、言質を取ったことで男は興奮の雄たけびをあげた。
「うおおおお! かかってこい、バッファローども!」
そして、バッファローの群れと男は激突した。粉塵と折られた樹木の木片をまき散らしながら、群れは男並びに小屋へと一直線に向かっていく。男は両手両足胴体すべてに力を込めた。
勝負は一瞬であった。
「うわああああああ!」
男はあっさりと群れの一頭に突き飛ばされ、べじゃっと近くの地面へと吹き飛ばされた。
群れは勢いを殺されることなく、小屋に突撃しこれを粉砕する。合計五十近いバッファローたちが通りすぎていく様を、地面に無様に転がった男が目撃した。
「そんな――っ」
男は腰を軽く痛めただけだったので、すぐに起き上がった。そして無策にもバッファローの群れのお尻に突撃したものの、後ろ脚で蹴飛ばされた。たんこぶができた額を抑えながら、男は泣いた。
「そんな――! 俺の婚約者が、婚約者が――!」
「まだ婚約してないわよ」
身体を丸めて地面に伏すように泣いていた男は、そのはっきりとした否定に顔をあげた。その声は先ほどまで聞いていた妖艶な女のものに違いない。キョロキョロと上下左右くまなく探すと、崖の向こうへと手を伸ばすようにして生える幹の太い木の上、そこに女を見つけた。
女の生存を確認した男は、嬉し泣きをしながら女が登っている木の根元へと駆け寄った。そこは小屋の裏側であり、崖の上であった。
「生きていたのですね、てっきり小屋の中かと!」
「荷物回収したら、さっさと裏口から出たわよ。バッファローが向かってきてるのに、小屋に留まるわけないでしょう?」
女は手に小さい鞄を持ったまま、するすると器用に木から降りた。男が女の曝け出された膝小僧と太ももに心を奪われている中、女は説明を続けた。
「あなたが聞く耳持たなかったからもう一回説明するけど、私、対策もなしにここに住んでるわけじゃないのよ。ほら、見なさい。……いや、見なくていいわね。潰れた可哀想な子たちでいっぱいだもの。こうやって命の危機があったときは、この木に登ってやり過ごすのよ。そうすると、身軽でない猪突猛進な動物は急ブレーキもできずに崖下へ自ら落ちていくから」
「なんと、バッファローを倒す作戦をお持ちだったのですか! では私がさっき命を張ったのは一体!?」
「だから説明したのに、あなた、ひとりで盛り上がって全然話を聞かないんだもの。あなたを説得してたら、それこそバッファローたちに突き飛ばされちゃうわ、待ってらんないわよ」
「確かに!」
男は女に一瞬抗議したものの、あっさり論破されてその場に崩れ落ちた。男の脳内にあるのは、骨折り損だとか、無駄だったとか、そういった命を張ったことへの後悔ではない。そもそも、男にとってはこの程度、命を張ったうちには入らない。彼の脳内に踊っている言葉はただひとつ。
プロポーズ失敗、である。
「け、結局バッファローを倒せなかった以上、結婚できない! さっきの誓いを撤回したいが、男である以上二言はありません! 残ったのは住居侵入罪の事実のみ! どうぞ、警察に通報されなさい!」
「…………あなたの勘違いを正しましょうか」
ミュージカルのような芝居がかった口調で悲嘆に暮れる男に対し、女はため息を吐きながら樹木に背を預けた。
「まず、私は警察に通報できないわ。多分来た警察官に惚れられてしまうし、そもそもここ国有地だから、勝手に小屋を建てていることがバレてしまうの」
「なんと、不法侵入仲間でしたか」
「ええ、不名誉なことに。あとね、男に二言はないっていうけど、そういうのって女も男も関係ないのよ。女にも二言がない方がいいに決まってるでしょう、お馬鹿さん」
「なんと、言われてみれば確かにそのとおり」
「でしょう? ……それであなた、私がなんて言ったのか覚えてる?」
女の問いに、男は首を傾げた。女は仕方なく、男にヒントを出した。
「私、人に迷惑かけるお馬鹿さんは嫌いだけど、人を守るために無茶をするお馬鹿さんは嫌いじゃないわよ。空回っててもね。それにあなたは本当に丈夫で、私と一緒にいても大丈夫そうだし」
「……えっと?」
「…………私、結婚の条件、生き残ったらって言ったのだけれど」
女は流れるように美しい髪の先を指でいじりながら、男を見つめた。
「チャンスをあげる。なにをすべきか、わかるわよね?」
そこで男はようやく、自分が彼女の結婚の条件に当てはまっていることを思い出した
男がすべきこと。それはすなわち、三秒以内に最高のプロポーズをすることである。
男はその場で膝をつき、再び拙い愛を口にしたのだった。
*
その三か月後、とある会社員の男の下へ封筒がひとつ届いた。
それは三カ月前に行方不明になった元部下から来たもので、「これで奥さんに許してもらってください! ところで私は三日前に妻と喧嘩してから口を利いてもらえません。そうすればいいでしょうか、アドバイスください」と書かれた手紙とともに、黄色い花弁の付いた植物の茎でできている不格好な指輪が入っていたという。
バッファローより倒しにくい男 葎屋敷 @Muguraya
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