Octet 1 タバコカード
palomino4th
Octet 1 タバコカード
サミュエルには三分以内にやらなければならないことがあった。
速やかに入り込んで速やかに立ち去る。
三分で出来ることか?
もちろん長引かせるのは危険だ。
一分くらいで済ませられれば上出来なのだろうが、かと言って短い間で十分にしおおせるとも思えない、自分自身の力と相談して三分、これが最適解。
三分越えたら確実に向こうに気づかれる。
さりげなくそこに立ち入り、異変に感づかれる前にさりげなく立ち去る。
素性を隠す出で立ちは全て「商品」で準備してきた。
頭のてっぺんから足の爪先まで、すべてを自分のものではない品物でかため、サミュエルではない他人に成り済ます。
スーツも革靴も腕時計も自分のものではない。
普段は無精髭の伸びるままの顎も丁寧に
念のために確保しておいた、自分のものではない細身のフレームの眼鏡も、かければサミュエルらしくない風貌になる。
部屋の鏡の前で表情を作りこれで行こう、という角度を見つけておいた。
表通り沿いにならんだ紳士用品の店の大きなウィンドーに自分の顔を映し、練習しておいた角度を思い浮かべてから、目的の料理店に入った。
さぁ、三分で済ませるぞ、サミュエル。
エントランスに入ると背筋の伸びた初老の男が立ち、サミュエルを見て
「御予約の御名前は」
「やあどうも。トマス・ベアーと言います、でも僕の名前では入っていない。今日こちらで会食をする予定になっている者なんだが。僕を呼び出して指定をした人の名前で入ってるだろう。バーク。バーク・ハドリーさんだ」
「失礼ですがそのような御名前のお客様はいらっしゃいません」
「おかしいな」笑みを浮かべつつ困惑と少し焦ったような表情でサミュエルは続けた。「えーと確かにこの店です。日付も……日付と時間も間違いのない筈なんです。向こうからの連絡を受けてですからこうして準備をしてやってきました」
微笑んで衣装を見せても、ドアマンは動じずに丁寧に、しかし相手が場違いな店にいることを言外に
「まさか。申し訳ない、まさかとは思うけど日付が違う可能性はありませんか。バーク、ハドリー。ハドリーさんからは確かに今日だ、と聞いたんだけど、思い違いされてるかもしれない。なに、忙しい人だからそういうこともあり得るでしょう、……予約にあればその日に出直せます、こちらは」
眉を
ほぼ一分。
サミュエルは所在なさ気に顔を動かし、さりげなく(いる筈の無い)ハドリー氏を探すように店内を覗き込む振りをして、店内を覗き込んだ。
高い天井の下、高価なしつらいの幾つものテーブルで、ブリューゲルの群衆絵画のように、各々ばらばらに、食事を楽しむ人々が見えた。
彼は注視しないような素振りで見渡した。
それぞれのテーブルの人数、そこにいる客の顔、性別、特徴、料理。
店内に貼られている鏡の映り込みを通して、入り口からは見えづらい奥の席の様子もしっかりと見た。
そうして見る端から頭の中で情報を分解、整理して収納して記憶した。
「失礼しますトマス様」戻ってきたドアマンは丁寧にこえをかけてきた。ほぼ二分あたりだ。
「確認をいたしましたがハドリー様の御予約は本日、及びこれまでとこれからのご予約の中には入っておりませんでした。残念でございますが、お席はございません」
「ああ」サミュエルは
彼は深く息をついて見せておいて、しかし深く食い下がらない。
ここで変にこじらせて店内からの注意を引けば任務は失敗だ。
「手間をかけさせて済まなかったね。今度は……自分で予約して来るから……5年か10年くらいしたらさ」
「お待ちしております」
三分。
ドアマンに手を軽く振り通りへと出て、サミュエルはしばらく歩いてから完全に通りの通行人の一人になって
数ブロック離れた下町の通り。
彼は自分の店の通用口から入ると、バックヤードで着ていた服全てを脱ぎ去り、普段の彼の営業用の着衣……着古したスーツに着替えた。
サミュエルはいつもかけている太いフレームの眼鏡を顔に載せて、エプロンをかけた。
サミュエルの古道具店内には数多の品物が雑然と置かれている。
中古品、質流れ、遺品、エトセトラ。
さっきまで「トマス・ベアー」の着用していたすべての品々は
仮にこの先、「トマス・ベアー」を探すものがいても、彼の存在は解体されて痕跡は散っていく予定だ(売れればの話)。
「食事中」の札を外し店頭の鍵を開け、午後の店を開いた……客などほとんどいないのだが。
その午後は古い天眼鏡やもう使えない古い電話機、電球の切れた懐中電灯が持ち込まれた。
サミュエルはそれぞれを見つめながら相手に値段を提示した。
持ち込んだ男は渋るような顔つきをしてみせて顔をしかめて「やれやれ」と金を受け取ったが、店を出て通りを歩いていくと「チョロいな」と嘲るようにニヤつきながら言った。
サミュエルは新しく仕入れた「ガラクタ」を軽く掃除してから値札を書いた。
手書きの値札には間違いのない情報が記されていた。
値段、名称、そして壊れていたり不足している箇所のこと。
それから売り場の棚に……普通の人間には思いもつかない配列で品出しをした。
そうして店内の掃除をしながら時折売り場の品物を手に取りそれを「読み」ながら頭の中を整理して店じまいの時間までを過ごした。
ガラクタしか無い店を戸締りし、独り住まいのアパートに帰宅するとダイニングで夕食を済ませた。
テーブルの上を全て整理すると、サミュエルはリーガルパッドを前に置き、使い慣れたペンを横に置くと深く呼吸してからペンを持ち黄色い紙の上に書き記し始めた。
サミュエルはアパートの一室にいながら、自分自身の頭の中に入り込んだ。
頭の中で例の店に入り、その棚に置かれた売り物の数々……実在の品とまったく架空の品、本来ならそんな大きさではない幾つもの品物が並び、それらを巡りながら彼は一つの棚の前で足をとめた。
置かれているのはバンドで束ねられたタバコカードで、彼は手に取るとバンドを外し扇状に開いた。
夢想の中のカードは覗き込むとありえない奥行きの中に漫画とも実写ともつかない場面が繰り広げられていた。
彼は床に膝を突きながら、開いたカードの中から一枚づつ取り出し、
扇状の中から抜かれても、カードの枚数は減ることもなかった。
そしてカードが床に置かれていく都度にサミュエルの古物店だったはずの場所は昼間の高級料理店の店内になっていった。
ドアマンに制止され入ることの出来なかった料理店の内部が再現されていたが、店内を歩きながら手前のテーブル席の客のそれは細部を見つめるとタバコカードの絵柄になっていた。
中身は動く漫画が繰り返されていた。
そのカードを見つめた後、彼はリーガルパッドに文章を綴った。
「郵便配達の男が鞄からアイスクリームを取り出して道端の自動車の運転手に手渡している。」
するとそういう仕掛けなのか
向かいの席のカードをサミュエルが覗き込むと、リーガルパッドにまた一文書かれていった。
「波打つアラベスク模様の上に水着の女が泳ぐ、頭が顔のある太陽」
すると向かいの席に褐色の肌の女性が腰掛けていた。
それは間違いなくあの時に見た光景の一部分で、彼は三分の間に目にした光景を頭の中で情報に分解し、カードの中に動く絵柄として記憶していた。
テーブルの形と色、席の配置、座る客、料理。
ぼやけた輪郭に近づき目を凝らしてカードを覗きながらその物語の断片を読み解き精確に再現していった。
そして黄色いリーガルパッドの上には、いくつもの意味の通らぬような通るような謎の文の羅列が記されていった。
頭の中で完璧な料理店の光景を再現せしめた後、サミュエルはしばらく書き記した文章を見つめ、幾つかの文頭に丸をつけほかの丸と線でつないだり、ある行は二重線で消したりした。
そうして出来上がったものは、殴り書きの散文詩の反故そのものだった。
サミュエルは両手で持ち、声を出さずに朗読してからうなずくと、ノートからその一枚を剥ぎ取った。
それから窓辺まで行きシングルハングの窓を少しだけ上げると、書き上がった一枚を外側に出し、紙の端を噛ませるように窓を閉じた。
クリーム色の紙片が窓枠に挟まれたまま風に吹かれているのを確かめてから、サミュエルは寝室にはいった。
そしてベッドに横たわると彼の頭から昼間に記憶したものは全て消え去り、思い出すことは一切なくなった。
……夜の町に風が吹き、サミュエルの部屋の窓のある5階から紙を吹き飛ばした。
そのまま風に巻かれてどこかに飛び去るように思えたが、奇妙な音……発射音とともに空に舞う紙がピンに射抜かれた。
ピンは紙をしっかりとらえると、後尾に繋がった細く長い紐が引かれてそのまま射手の方へ……隣のビルの屋上にいた黒づくめで目出し帽の小男の手元に収まった。
小男は紙を一目確認した後、ピンを撃ち出したライフルを手早く分解しケースに収め鞄に放り込み屋上からビルの中に入ると目出し帽をとってから5階まで降りた。
フロアの一室のドアにノックすると中からドアが開かれた。
薄暗い照明の部屋に入ると小男は中にいた大男に紙を渡した。
大男は受け取ってから部屋の奥まで行き床に置いてカメラで撮影をした。
カメラの撮影が終わると大男は小男に紙を渡した。
「もういい。外の風に飛ばしてこい」
「なあ」小男は釈然としない様子で問いかけた。「いったいこれは何だい」
「任務についてとやかく言うなよ」大男はいつもの不機嫌そうな顔(不機嫌とは限らない)で答えた。「俺たちはここで監視するのが役目だ」
「任務ったってこれ」小男はサミュエルの書いた紙の文に目を通した。「得体の知れない古道具屋の男をずっと監視してさ、そいつが窓から外に捨てる紙を拾って写真に写して本部に送る……なんのためにしてるんだい、これ。この下手くそな詩だかなんだか。これをこのまま送った方が早いんじゃないのか」
「原本はこの町に放り出していく。ここから持ち去りは出来ない。本部へは写真の写しのみを送るのが手筈だ」
「えええと。『全てを……』。何だ。『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』?どういう意味なんだこれ」
「俺たちには分からん。管轄外だ。本部の
「ヤツは何者なんだ。こちらの組織の人間じゃあないだろう。誰の元で働いているんだ」
「さっぱり分からんがな」大男は苦い顔で答えた。「ヤツは何故かどこかの場所に現れて何かを見る。情報を物語の一場面に加工して覚え込み、それを記憶するんだ、特別な記憶法で」
「ああ、そういう記憶方法を使ってとんでもなく大量に覚えて思い出せる人間がいるらしいな」
「
小男は目を見開いて手元の紙を見た。
「『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』。一体どんな意味になるんだい」
「分からんよ、組織の上の方でなければ。……そうだな、例えば。「バッファロー」が読み込まれていたら、本物の動物のバッファローは関係してこない。全て
小男の顔がなんとも複雑な表情になってのを見て大男は口を閉じて窓辺へ行きカーテンの隙間から向かいの建物の5階の窓……サミュエルの部屋を見張った。
小男はもう一度屋上に出て、風の中で手を広げサミュエルの書いた紙を暗い空に流した。
陽が昇れば、どこかの通りの朝の路上に落ちているだろう。
そして誰も気に止めずに沢山のゴミに紛れ込み、ただの詩の書き損じとして消えてゆく……。
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