3番ホームの葛藤
木瓜茄
3番ホームの葛藤
俺には三分以内にやらなければならないことがあった。
月曜の朝、羽柴駅の3番ホーム、会社へ向かういつもの路線、快速が来るまであと三分。それまでに決断しなければならない。
(次の電車に乗るか、それとも乗らないか)
まるで走馬灯のように昨晩の出来事が頭の中で流れていく。
いつも通りの日曜日のはずだった。平日より少し遅い時間に起きて、彼女が用意してくれた朝ごはんを食べる。ベーコンエッグとサラダ、時間が被らない時はトーストとコーヒーを各自で用意する決まりだ。洗い物は俺の担当。水につけてある彼女の食器とまとめて片付けてしまう。
同棲している2LDKの彼女に割り当てられた部屋に人のいる気配はなく、どうやら昨晩話していた買い物のためにもう家を出たらしい。
昼過ぎに会社の後輩から私用携帯へメッセージが来た。今年新卒で入社したばかりなのだが、まだ会社員生活というものに慣れていないのだろう。あまりにも参っているようで個人的な連絡先を教えてしまったのは失敗だった。女の名前で送られてきたメッセージの通知を見られ、彼女への弁明に苦労したのは先週のことだ。
明日の出勤までにどうしても相談したいことがあるらしい。会社から少し離れたファミレスが指定されている。「もうついているので何時でも大丈夫です」。断られるとは微塵も思っていなさそうな文面にため息が出た。返事は送らないままで彼女とのトーク画面を開く。
「ごめん。ちょっと会社のことで相談に乗ってくる」
「またあの後輩さん?いつ頃帰ってくる?」
「うん、そう。夕方くらいには帰るよ」
「わかった、ご飯作って待ってるから。遅くならないでね」
結局帰宅は午後10時を過ぎてしまった。ファミレスの向かいの席で泣き出した女の子を置いて店を出る勇気は俺にはない。彼女には9時ごろに一度メッセージを送ったが返信はないままだ。
灯の消えたダイニング。ラップがされた二人分の少し豪勢なディナー。コンロの鍋にはすっかり冷えた好物のクリームシチュー。
ふと、壁に掛けられたカレンダーが目に入る。今日の日付に赤い丸がついていた。
そうか。今日は付き合いだして三年目の記念日だ。
冷めたシチューを皿によそいゆっくりと味わう。彼女の部屋の前で「おいしかった」と声をかけ自室のベッドに潜り込む。眠気はなかなか訪れてくれなかった。
向かい側、2番ホームに彼女の姿が見える。今朝は顔を合わせづらくお互い部屋から出ない間に出勤ギリギリの時間になってしまい、着替えるだけで精一杯で寝癖を直す暇もなかった。次の電車を逃せば確実に遅刻だ。
なのに、腹が痛い。
常温で放置されたカレーやシチューの中で増殖するウェルシュ菌。その食中毒症状は8〜20時間の痛潜伏期の後に腹痛と水溶性の下痢を引き起こす痛い。昨晩鍋で冷えて痛たシチューを食べたのが午後11時痛いで現在時刻は午前8時、おおよ痛そ9時間ほどの痛い潜伏で電車痛待ちの今腹痛の症状痛が出てき痛い痛いめっちゃ痛い!
次の電車に乗らなければ遅刻だし会社の最寄り駅でトイレに行った方がまだリカバリーできるけど30分の乗車に耐えられるか?通勤時間帯のそこそこ混んだ車内で尊厳を失う事態はなんとしても避けたいが、俺の肛門は耐えられるか!?
そうこうしているうちに3番ホームに快速到着のアナウンスが流れた。遠目にこちらへ向かう車両も見えている。
あの電車が到着するまでに、乗るか乗らないかを決断しなければならない。
3番ホームの葛藤 木瓜茄 @bokexnasu
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