妖牛小奇譚

中田中

妖牛小奇譚

 赤の剣豪には、三分以内にやらなければならないことがあった。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが自分たちを破壊する前に、この殺し合いを終わらせなければならなかった。


 赤の剣豪は刀を正眼に構えていた。十歩ほど先には、小太刀二刀を逆手に携えた青い武芸者がこちらを睨みつけている。


 今から三分以内に決着をつけなければ、二人は全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れに殺されてしまうのだ。


 ・・・


 一回目。

 月が輝く夜だった。

 

 何かから逃げるように、街から街へ転々と流れ歩く赤の剣豪は、人気のない街道で背後から声をかけられた。

「探したぞ」

 振り向けば、小太刀を抜いた年若い武芸者。険しく歪んだ眼は憎悪の火に燃えている。武芸者の顔と着込んだ青い着物に、剣豪は見覚えがあった。

「お前……」

「覚えているだろう。忘れたとは言わせないぞ」


 青い武芸者は怒気を孕んだ声を発した。剣豪は苦虫を噛み潰したような表情を作る。できることなら、斬り合いたくない相手だった。

 しかし武芸者が構えた姿を見て、本気でやらなければいけないと悟った。右手を前に突き出した構え。

 かつて同じ構を持つ手練と仕合ったことのある。

 剣豪と互角に渡り合ったその者に勝るとも劣らない覇気を、目の前の武芸者は放っていた。


「……よくぞ練りあげたな、その力」

「地獄のような鍛錬を繰り返し、何度も血を吐いた。貴様を殺すためだ」

「そんな暇があるのなら、街へ出て良い人でも引っ掛ければ良いものを」

「言うなっ! 貴様に全てを奪われたのだ。そんな希望はとうに捨てた」


 終わりだった。これ以上、言葉を交わすことに意味はない。

 

 剣豪は腰に刺した刀を抜いた。無銘だが癖がなく使いやすい、愛用の品だ。ともに何度も死地を切り抜けた、10年来の相棒であった。

 武芸者は深く息を吸い、吐いた。赤の剣豪の実力は知っている。この決闘は長引くことはない。十合以内にどちらかが死ぬと直感が叫んでいる。


 どちらも動かなかった。隙を一瞬でも晒すことは死を意味した。


 遠くで聴こえた犬の遠吠えが、木霊のように消えていく。草むらから顔を出した野兎が、二人をじっと見つめていた。

 

 野兎が屈む。ジャリッ、と土を踏みつける音。

 武芸者が絶叫し、切り掛かった。

 剣豪が受ける。

 打ち鳴らされる甲高い金属音。

 刃が放つ、三つの鈍い輝きが闇の中で煌めいた。

 そして、肉を切る感触。


「――無念」

 青い武芸者は斃れ、動かなかった。真っ赤な鮮血が地面に広がる。


「くそっ! ……すまない」

 殺す気はなかった。しかし、手を抜けなかった。剣客の生存本能が発動し、反射的に胴を横薙ぎに切り裂いていた。それほどまでに武芸者は腕を磨いていたのだ。

 そして、剣豪もまた致命傷を受けていた。胸から胴にかけて切り裂かれ、長くは持たないことが嫌でも理解できた。

 剣豪は沈痛な面持ちで、武芸者の死体を見つめていた。


「……なんだ?」

 

 そして気づいた。

 大地が微かに揺れている。地響きが徐々に大きくなり、もはや立っていられなくなった時、剣豪はそれを見た。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れだった。


 無論、剣豪はバッファローなどという生物を知らない。彼にとって全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは、猛牛の如き巨大な妖怪にしか思えなかった。

 逃げる間もなく、赤の剣豪と青い武芸者の死体は全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れに圧殺された。角に突かれ腹に穴が空き、臓物をぶち撒けながら宙を舞った。


 ・・・


 二回目。

 月が輝く夜だった。


「……何?」

 赤の剣豪は眼に映る光景が信じられなかった。

 死んだはずの青い武芸者が自らの二本足で立ち、自分に得物を向けているのだ。

 自分も死んだのではなかったのか。妖怪に襲われ、凄まじい突進を受けて意識が飛んだ。そして気がつくと無傷のまま、刀を抜いて立っている。

 

 何が起こったのかわからなかった。遠くから犬の遠吠えが耳に入ってきた時、殴られたような衝撃とともに胸がカッと熱くなった。

 剣豪の胸に青い武芸者が小太刀を突き刺していた。武芸者は簡単に致命傷を与えられたことに驚き目を見開いていた。

 力が入らず、剣豪は地に斃れた。息が上手くできず、視界が黒く染まっていく。


「やっ……た? やったのか? ……やったのだ! 兄上の仇を取りました!」

 

 武芸者がそう叫ぶや否や、地面が振動を始める。そして全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが現れた。


「なあっ……!?」


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを武芸者は死んでいたため、その存在を知らずに驚愕していた。

 青い武芸者は猛然と走る全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの角に激突し、そのまま身体が半分に削れるまで引き摺り回された。赤の剣豪は無数の蹄に踏み潰され、頭蓋骨が陥没し目玉が飛び出した。


 ・・・


 三回目。

 月が輝く夜だった。

 

「一体、どうなっているのだ……?」

 青い武芸者は困惑を隠せなかった。

 

 赤の剣豪に殺された。が、生きていた。

 白昼夢でも見たのだろうと自分を強引に納得させて、棒立ちの仇敵を殺したが今度は牛の化け物に殺された。

 そしてまた、自分は生きていた。

 もはや夢では説明がつかなかった。あまりにも真に迫った苦痛と恐怖に塗れながら二回も死んだのだ。自らを騙すことなどできそうになかった。


「……なあ、何かおかしくないか」


 小太刀を構えたままの武芸者に、剣豪が語りかける。武芸者は答えなかったが、考えていることは同じであった。

 相対している赤の剣豪もまた、この異変を感じ取っているらしい。あの男の本気で困っている表情は、武芸者は目にしたことがなかった。

 殺すのは決まっているが、少し先延ばしにしても良いだろう。この混沌とし始めた状況を解決するのは吝かではない。


「……おい、貴様。何が起こっている。貴様が仕掛けた妖術の類か」

「いや、そんなことはしていない」

「どうだかな。貴様は殺すためなら姑息な手段も厭わないからな」


 そうは言っているものの、青い武芸者は赤の剣豪が罠を張っているとは思っていない。剣の腕以外はからっきしなのを、武芸者は知っていた。

 そうならば余計、あの化け物の群れは一体何なのかわからない。事態は複雑になる一方だった。

 遠くから犬の遠吠えが聞こえてきた。

 

「――あの犬、前も吠えていなかったか?」

「ああ、吠えていた。それにあの兎」


 武芸者が指し示した先には、草むらからこちらを遠巻きに観察する野兎がいた。兎が隠れると、ジャリ、と土を軋ませる音が鳴った。


「前と同じだ」

「そうなると次は――」


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れであった。

 二人は茫然と全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの行軍を迎え入れた。同時に押し潰され四肢がバラバラに吹き飛ばされた。


 ・・・


 四回目。

 月が輝く夜だった。


「ま、まずいぞ! これはいつまで続くんだ!? このままではただあの妖に殺され続けるだけだ!」

 赤の剣豪はこの場を離れようと転進して街道を抜けようと走り出す。

 その背中を青い武芸者が切りつけた。

 剣豪が身を捩りかろうじて躱す。

 

「うおおおっ!? 何をするんだお前!?」

「はき違えるなよ! やっと見つけたお前を殺せるならこの命など惜しくはない!」

「このまま殺し合ったところで妖どもに殺されるだけだぞ!」

「今回は現れないかもしれないではないか!」


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは現れた。

 切り結びながら街道を走り回っていた二人は救い上げられて落下し、潰れたヒキガエルになった。


 ・・・


 五回目。

 月が輝く夜だった。

 遠吠え。兎。全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。

 

 六回目。

 月が輝く夜だった。

 遠吠え。兎。全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。

 

 七回目。

 月が輝く夜だった。

 遠吠え。兎。全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。

 

 八回目。

 月が輝く夜だった。

 遠吠え。兎。全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。

 

 二人は全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れに殺され続けた。

 六十回目を超えた辺りで武芸者も事態の打破へ協力するようになった。

 生き残るためにあらゆる策を弄したが、結果は変わらなかった。


 殺され、殺され、殺された。



 ・・・



 一万六千三百九十八回目。

 月の輝く夜だった。

 

 剣豪が街道の真ん中に座り込んでいた。身じろぎ一つせずに俯いている。目の前には、抜かれた愛刀が置かれていた。

 青い武芸者は疲弊していた。耐えきれず地面に倒れ伏していた。立ち上がる気力すらない。


 何度やっても無駄だった。脱出する手がかりすら見いだせない。

 わかったのは三分間という、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが現れるまでの時間だけであった。これがわかったところでどうしようもない。時間がなさすぎた。三分の間にとれる対策などたかが知れている。

 

 それに屈辱だったのは、兄を殺した敵である男と協力せざるを得ない状況に陥っていることだった。

 悪鬼の如き殺人者を想像していたが、面と向かってみると些か冴えない男だった。

 迫り来る時間を前に普通の町人のように狼狽し、あまつさえ武芸者を言葉で励ました。

 腕は確かだったが、こんな男が兄を殺したのが信じられなかった。

 

 「……本当にすまなかった」


 赤の剣豪が搾り出すような声で呟いた。

 武芸者が訝しみながら顔を向ける。

 遠くで犬の遠吠えが聞こえた。

 

 「今更謝ったところで兄上は帰ってこないのだぞ。どうして貴様のような男が兄上に勝てたのかわからんが」

 「……違う。俺はあの妖から逃れる方法がわかった」

 「何!?」


 武芸者は跳ね起きた。無意味に殺され続けるのは沢山だった。このお伽草紙じみた現象から一刻も早く抜け出したかった。何故抜け出したいのか、武芸者は目的をすぐに思い出すことができなくなっていた。


 剣豪は座したまま、刀を握った。

 野兎が土を踏みしめる音が聞こえた。

 

「何故あの妖が俺たちの前に現れたのか。その原因はおそらく俺だ」

「貴様が……?」


 剣豪が顔を上げる。その眼には涙が溜まっていた。武芸者は動揺を隠せなかった。なぜ泣いているのかわからなかった。

 

「俺はお前を殺した時、後悔した。叶うならば時がひっくり返って欲しいと願ったよ。そうしたら、あの妖が現れたんだ」

「では、あの化け物どもは貴様が呼び出していたのか」

「あいつらは勝手に俺の願いを媒介にして現世に現れたんだ。だが質が酷く悪かった。壊すことでしか願いを叶えられなかったんだ。俺がお前を殺したという事実を壊すことでしか」

「……なんということだ」


 武芸者は絶句した。神仏の如き力を持ちながら、歪んだ形でしか祈りに応えることしかできないモノなど、正に化け物だった。

 地響きが、近づいてきた。


「だから、こうするしかないんだ」

「なっ!? 何を――」


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが眼前に現れたと同時に、剣豪の刀が自らの主の腹を貫いた。

 口から血を吐き、剣豪が倒れる。止めようとした武芸者が駆け寄った。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れは、まるで初めからいなかったかのように、存在が掻き消えていた。


 剣豪の死の間際に宿った後悔が、あの化け物を呼び出していた。

 だから、剣豪が後悔なく死ねば化け物もいなくなる。

 武芸者がそう気づいた時には、全てが遅かった。


「貴様っ! なんてことを!」

「すまなかった……お前の兄を殺したくはなかった……道場を奪われると勘違いしたあいつが……切りかかってきたんだ……手を抜けなかった……殺されると……」

「もういい、喋るな! 傷が広がってしまう! 血が溢れてしまうぞ!」


 武芸者に抱きかかえられた剣豪の腹から夥しい血が流れ出る。武芸者が纏った、兄の形見である青い着物に鮮血の華が咲き乱れた。輝く月の光が一条の線となり、二人の人間を囲むように照らしだす。

 消えようとしている命の灯を燃やそうと、血を止めながら武芸者は語りかけ続けた。

 

「何故言わなかったんだ! あの晩に話していてくれたらこんなことにはならなかった!」

「言えなかった……あいつを心から……尊敬するお前に……それならいっそ……俺が敵役になれば良い、と――」


 ゴボリ、とまた血反吐をまき散らし、剣豪の身体が痙攣する。剣豪の中にある魂が飛び出そうと暴れているかのようだった。武芸者は剣豪を繋ぎとめようと、その身体を抱きしめる。


「なんでだ! なんで今更そんなこと言うんだ! 知りたくなかった! 一回目のあの時、殺したままにしてくれたら良かったのに!」

「そんなこと……できねえよ……」


 死にゆくにも関わらず無理やり笑みを浮かべた剣豪が、大粒の涙を流す武芸者の自らの血で汚してしてしまった結わいた黒髪を撫でる。


「あの娘っ子が……随分立派に……なった……もん……」

「おい……? おいっ! 死ぬなっ! 殺され続けた仲じゃないか! また甦れよっ! おいっ!」


 頽れた手を武芸者が握りしめ、起こそうと身体を何度も揺らしても、剣豪は二度と動かなかった。

 

「……来い……来いよ! 来てみろ化け物! どうして来ない!? 狂おしいほどの願いを、後悔を持つものがここにいるぞ! 戻してみせろ! この男を蘇らせてみせろ! 兄上がいたころまで戻せ! 皆が笑い合っていた時に! こんなの夢だ! 壊してみせろ! どうして来ないんだ!」


 涙が溢れた。

 誰もいない街道に、一人の少女の声が響いて消えていく。吸い込まれそうな静けさが、少女と死体を包んでいた。


 どれほど叫んでも、喚いても、願っても、何も来なかった。


 

「壊せ……壊して……全部……壊して……お願いだから……」


 三分前も三分後も、剣豪は目を覚まさなかった。


 輝く月だけが、泣き続ける少女を見つめていた。

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妖牛小奇譚 中田中 @nakataataru

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