マリとマリン 2in1 タイムリミット

@tumarun

第1話 際

日向翔は3分以内にやらなければいけないことがあった。


 日向翔は大学一期生。彼は夜の歩道を走っている。手元のスマホの画面は夜の9時まで後5分と表示している。


「手続きをするのに1分ぐらいかかるから後、3分もないな」


 誰が聞くわけでもないのに、ひとりごちる。

目的の高いビルまで後少しのところまで来ている。


 夕飯を食べてのんびりしていた時にスマホがなったのだ。呼び出しは知り合いの茉琳だった。


「どうしよう。翔」


 切羽詰まった声がスピーカーから聞こえてくる。


「今日までに払込しないといけないものがあったの。忘れてたなりぃ」

「お前なあ。『忘れてたなり』じゃないでしょう。普段から気をつけろと言ってるよ。忘れっぽいんだから」

「面目ないなり」


 茉琳はシオシオと言葉が萎んでしまう。

翔はスマホの時間表示を見る。すでに20時に迫ろうとしていた。


「払込って郵便局だろ?」

「そうなり」

はぁー、翔はため息を吐いた。

「こんな時間じゃ、どこの郵便局も空いていない。ATMだって時間外で止まってるよ」

「どうしよう。翔」


 茉琳の声に嗚咽が混じっている。


「払込できなくて、きっとブラックリストに載るなり。カードも差し押さえられて使えなくなるなりよぉ」


 翔には、スマホ越しでも茉琳が化粧が崩れるのもお構いなしに黒い涙を流しているのが想像ついてしまう。実際には金額にもよるけど、差し押さえなんてことはない。


だけれども、


「わかった。俺が代わりに手続きしてあげる。そっちいくから」

「えっ、いいなり?」

「あぁ、お前がくれたタブレットカバーのお返しだよ」

「翔!」


 翔は茉琳から自分の愛用しているタブレットのカバーをもらっていた。使い心地も良くて、気に入っていたりする。


「とにかく、入り口で連絡するから払込票を持って降りて来て」

「わかったなり。翔ぅ、愛してるなし」


 スマホ越しの最後の一言に翔は頬を染める。


「さあ、行くか」


 翔は件のタブレットの入ったワンショルダーバックをかけ、スニーカーを履いて下宿を飛び出していった。

 翔にも締め切り時間に間に合わないという体験がある。郵送で送らなければいけないものがあり、すっぽかししかけたのだ。ネットで調べると郵便局には夜の9時まで受け付ける窓口があるとかで、丁度、自分や茉琳の住んでいるところから近かったりした。レターバックを持って窓口のある郵便局に飛び込んだ記憶があった。入り口を入って窓口の手前にATMがあり、夜間に関わらず手続きをしていた人がいたのを覚えていたのだ。


 茉琳の住んでいるマンションも、ギリギリ走っていける距離にあるのが幸いした。息を切らしてエントランスに入りインターホンを鳴らす。

 程なくしてフリースの上下を着た茉琳がエレベーターで降りて来て、翔に払込票と代金を渡す。


「大丈夫なりか?。なんなら、放っていてもいいなしよ」

「はぁー、はぁー。任せて」

「なら、お願い え」


 茉琳は、翔の呼吸があまりにも荒いことに心配をしている。翔も膝に手を置いて屈んでいる。


「どこに行くなしかあ? そんなに遠くないなりね?」

「はぁー、はあ。大通りに高いビルあるでしょう。そこの受付」


 翔もだいぶ呼吸が落ち着いて来て会話もできるぐらいにはなった。


「あるなとこ郵便局? 知らなかったなしね。まだ走るなしよ」


 すると、翔は背を伸ばして、

「大丈夫。ここまでがウォームアップだよ。なまじ全身に酸素が回ったから走れるよ」


 と言って玄関に向かい、外へ出ていった。


「いってらっしゃいなり」


 茉琳は、手を合わせて祈るようにして翔を送り出した。



 翔は郵便局まで走り切った。玄関の自動ドアが開き、中に入って行くと


『このATMは、まもなくで終了いたします』


 というアナウンスが聞こえてきた。実際、この機械は時間が来るとシャッターまで降りてくる徹底ぶり。


「まだ、終わっちゃいない。やりきろう」


翔はバックから払込票を出してATMの画面のスイッチを押して行く。


「払込票を入れてください」

「番号を確認してください」

「金額は宜しいですか」

「電話番号を市外局番から入力してください」

「紙幣は右側、硬貨は左側へお入れください」


  ATMの音声案内に従って翔は代金を機械に入れて行く。


「最後にこの金額でよろしければ'はい'を押してください」


 翔は、画面のはいのボタンをタッチした。


「レシートを受け取りくだ………このATMは終了いたします」


 レシートが排出されると画面が切り替わってしばらくすると消灯した。そして筐体の上からシャッターが降りてきた。

 翔はレシートを引きちぎるように引っこ抜く。すると目の前をシャッターが通過して閉じてしまった。


「本当にギリでした」


 翔はひとりゴチる。


「さてと」


 翔は振り返ってみる。ここは夜間受付ということ少し広めのスペースがとってあり、手紙の整理や梱包用にテーブルが用意してある。軽量用の計やセロテープ、ステップラーまであったりする。

 彼はテーブルに備え付けのパイプ椅子に座り、バックからタブレットを取り出す。

 そのカバーを開いて折口に合わせるとタブレットスタンドに早替わり、さらに展開したカバーの裏側には、ANKキーが配置されている。キーボード付きのタブレットカバーだったりした。

 茉琳から送られて、いざ使ってみると場所を選ばずにタイピングができて便利だった。


「茉琳も偶には役にたつわ」

「呼んだなしか?」


 いきなり、後ろから声がかかった。


「うわっ」


 翔は慌てた。振り返るとベージュのワンピースに白いカーディガンを羽織った茉琳本人が立っていた。


「茉琳、なんで? どうして! ここにいる?」

「どうしてって、翔が心配だったしー。タクシーを頼んで、ここへ来たなりよ」


 キョトンとした顔をして彼女は答えている。


「なら、最初からタクシーでくればよかったじゃないか」

「だって、ここって知らなかったなりよ。ATMもこんな時間につかえることもわからなかったし」

「そ、そうか。そうだね」


 翔は自分の胸の辺りを押さえている。誰しも後から声をかけられれ驚くもの、ましては、くると思っていなかった茉琳に声を掛けられたのだ。いまだに翔の心臓は高まっていたりする。


「ところで翔」

「何?」


 茉琳はテーブルの上に立っているタブレットを覗き込んできた。


「用事を頼んだんのは、ウチだけど、わざわざ、ここで何してるなり?」


 ハッとした表情をして、翔はタブレットに向き直りキーボードをタイピングを始めた。そのタブレットに表示されているプレビューウインドには、画面いっぱいに手前に向かって、疾走してくる野獣の群れが映し出されていた。


「これは、牛さん? 角が大きいねえぇ。横の広っがているなりな」


 翔は、画面から視線を外さないでキーボードをタイピングしながら、


「迫力あるでっしょ、これは『全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ』って言う画像素材なんだ。……近い、近いよ。茉琳、近い!」


 必要項目を、入力し終わった翔が振り返ると、すぐ側でタブレットを見ていた彼女の顔にくっ付きそうになって慌てた。

 キスでもできる距離まで接近していたので、双方の頬が赤く染まっていく。


「気に入ったから手に入れるつもりでいたんだけど、夜間割引クーポンがあったのを思い出したんだよ。使えるのが21時以降有効のものなんだ」


「ごめんなり、ウチの失敗に巻き込んでしまって、時間を潰してしまったなしね」


 茉琳は手で口元を覆い、恐縮してしまっている。


「気にすることないよ、どうせ。それまですることなかったし。まったりしているだけだったからね」


「翔」


 そこで、改めて翔は茉琳に聞いた。


「聞いても良いかわからないけど、何を買ったの? こんな手間のかかる物って、なあにかな?」


 翔も体力を使い切るぐらい走らされたんだ、理由に興味があったのだろう。

すると、彼女は翔の手元を指差して、


「ネットでこのカバー頼んだら払込だけだっていうなし。でも一番安かったなり。それで頼んだなりよ」


 終いには指先をモジモジと合わせて、恥ずかしんでいる。

翔は絶句した。一言でもチクリと小言を言おうとしたけど、それを聞いてできなくなってしまった。気にいったと話したばかりなのだ。


「そう、俺も頑張った甲斐があるね」


 そういうのが精一杯だった。


「うん、ありがと」


 そういって、茉琳は彼に垂れ掛かっていく。翔には茉琳の吐息が鼓膜をくすぐり、彼女からの甘い香りが彼を包んでいくのを感じられた。

 

 翔は、心を鷲掴みされる感覚を味わった。

 わざわざ、スウェットの上下から清楚なワンピースに着替えて来てくれたんだ。微かに香る香水が、頭を痺れさせる。

 このまま、2人で夜の街へ紛れて行きたいという欲求に駆られる。茉琳は翔の腕を掻き抱き、その柔らかい体を擦り付けてきた。翔の視線が泳ぐ。

 しかし、ふと彼女の足元を見てしまった。つっかけサンダルの先から保護ジェルが塗られたピンク色の爪が見える。着替えはできたけど、慌てて履いてきたであろうの姿が瞼に浮かぶ。


 やっぱ、茉琳は茉琳だって、翔は納得してしまった。


「なあ、茉琳」

「なあに、翔」

「ここまで、どうやって来たって?」

「ここまでって、タクシーなり」


 これまで、甘く溶けていたマリンの顔が陰る。


「しまったなり、すぐ帰ると思って、待っててもらってるなり。待ち料金がかかるなしよぉ」


 慌てて、茉琳は立ち上がり、玄関まで走る。そして外に待たせているタクシーへ向かった。

 苦笑しつつ、翔はテーブルの上のタブレットを片付けて、茉琳を追った。

 怪しい気分など吹き飛んでしまう。気がそがれてしまった。

 

 翔は、茉琳を彼女のマンションまでタクシーで同行し送ると、そのまま1人夜の街を歩き帰宅した。赤く染まった頬を外の空気で冷ましながら。



帰りのタクシーのなかで


「そういえば着替えたのな、確かスウェットだっただろ」

「前に翔が言ってただに、あの格好はさる業界人が着てるって」


 翔も思い出した。


「確かに言ってたね」

「だから、ウチも考えて、いつもと違う感じにして見たの。どうだった?」


 そう、ストレートに聞かれて翔の目が泳ぐ。そして、


「綺麗だよ。どこぞのお嬢様かと思ったよ」


 翔は茉琳の姿を頭から足まで一通り見ながら率直な感想を言う。

 そして一度視線を外すと、茉琳にも聞こえないほど小さい声で呟く。彼女にも聞こえないはずだと。

茉琳の顔は赤くなっている。そして綻んだ。


「うれしいよお。翔が褒めてくれた。前にも言ったけど、ウチだってお嬢様の端くれだに」

「それが信じられん」


 翔は即答する。


「酷いだにぃ。んでもって最後にブツブツ言ったのって、『いつもこんなならな』でしょ。翔の言いそうなことならわかるにぃ。いつか、ギャフンって言わせてやるわ」

プンスカしだした茉琳に翔は苦笑する。

「『ギャフン』なんで死語をよくしってらぁ。でも、そうなるの期待してるよ。茉琳」


 それを聞いて、翔を叩こうとして手を上げていた格好のまま茉琳が固まった。しばらくして手を下ろして、そっぽを向いた。

 タクシーのガラスには笑みを浮かべた茉琳の顔が写っている。それを見て翔も微笑んでいった。

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