【KAC20243】恋愛相談室

こむぎこ

金曜日の音楽室

 窓から差し込む夕日は、とても穏やかだった。


 2月になり、寒さがしみ込むと同時に、この学年ももうじき終わることを感じさせる。


 音楽室は、ストーブなしではきっと風邪をひいてしまう寒さだった。


 吹奏楽部の練習もない金曜日で、普段なら顧問の音楽の先生とともに、雑談に花を咲かせたり、先生が趣味でしている恋愛相談の手伝いをしたりしていたが。


 今日は先生が少し別の場所で恋愛相談に乗ってくるとのことで、この場には一人だった。


 こういう日は帰ることにしているのだが、先生からいつものように恋愛相談の用意だけして、私の帰りを待つようにと厳命されている。

 

 先生は、普段の通り、お手製の薄い机用マットを敷くだけ敷いて行ってしまったから、その上に決められたとおりに付箋を貼る。


 あるところには、好きな人の名前を、別のところには、好きな口調を、またほかのところには、初めて会った時の印象を、さらにさらに、これからどうなりたいのか、という風に項目ごとに付箋がばらばらに用意されており、これを相談に使うそうだ。


 書いてすぐに剥がして隠せる、というのが気軽さにつながってるのさ、なんて先生は語っていた。公開したい気持ちと隠したい気持ちの線引きだって、ひとにもよるだろうしね、なんて付け加えていたのが妙に印象的だった。


 実際のところ相談を聞くのはなんだか悪い気がして、私は退席してしまうので詳しくは知らないけれど、相談が終わると、それを小さな木の箱に詰めて、ほかの人があけないように鍵をかけて、返すらしい。


 相談者一人につき、一つの箱を配って、自分の付箋を自分で管理させるのだ。証拠を自分のもとで保管していた方が安心して相談できるだろとも、実際は安心させていろんなことを話してほしいだけだよ、なんても言っていた。


 本心では何を考えているのか、いまいちはかり切れない先生だけれど、なんとなくこの相談室は盛況で、尾ひれがつきながら噂は成長しているそうだ。


 *

 

 ひととおりの準備を整えて先生の帰りを待つ。床と上履きが、きゅっとこすれる音、それから、こん、こん、と元気なノックの音が聞こえた。

 

「どうぞ?」


 音楽室のドアをたたく音に、声だけで答えた。が、聞こえてきたのは先生の声ではなかった。


「し、失礼します。こちらが、その、噂の場所ですか」


 聞き覚えのある声だった。幼馴染の明石の声だ。


「えっと?」


 と聞き返すも、極度に緊張しているのか、多分、私のことが視界に入ってもいない。目も空いていないのだ。


「恋を、かなえに、来ました」


 とテンパったように口早に言う。


 それには、どう答えたものか悩んでしまう。


「相談かな?」


 ようやくわたしのことを認識したのか、え、千歳? とこぼす。


「それにしても意外ね、明石がこういうところ来るなんて」


 幼いころはもうちょっと惚れっぽく、しゃいなところがあった気もしたけれど、大きくなってからはめっきりこういう話は聞かなかった。

 

 小さいころ、ほんとうにちょっぴりだけ好きだったことはあったけれど、私とは想像できない、と繰り返し言われるうちに、私は、その気持ちにも蓋をできるようになったのだった。


 だから、明石が来ても、たぶん、そう動揺せずに、対応できたと思う。


「恋がかなったひとも、いるらしいけどさ。でも、ここは、あくまで。自分に向き合うための場所らしいからさ、期待しすぎもよくないだと思うよ」


 とだけ注釈をつけておくことにした。


 その言葉に少し悩んだのか、じじじ、というストーブの音だけが、沈黙を埋めていた。


 やがて、


「そう、か。それでも、お願いしたい」


 と聞こえた。


「……えっと、ね。ただ、今、先生は出かけてるんだよね」


「……千歳は、普段の相談をどうやってるか、しらないのか?」


「うーん、知ってはいるけど。じゃあ、知ってるところだけ。この机を使うんだけど」


 と言って、付箋が大量に貼られた机に案内する。


 あとは見ればわかるだろうけれど、項目を埋めていって、自分の感情をしっかり整理するのだ、と伝えた。それから、終わったら箱にしまって、持ち帰るらしいと。


「そう、か」


「必要なら、先生が帰ってくるのを待った方がいいかもね、親身には聞いてくれると思うよ」


 それを生きがいのように楽しんでいるから、とは言わないでおいた。


「じゃあ、あたしは席外すよ。なんか、いてもあれでしょ」


「……いや、いてくれ」


「うん? あー、まあ、そうか。一人でこんなことしてたら誰か来た時に困る、かな?」


「……う、まあ、そうだ」


「わかったよ、じゃあ、内容は見ないようにちょっと離れたところにいるから」


 机を一つ挟んで、見守ることにした。

 

 その真剣な横顔を見ると、ちょっぴり、胸が痛い気もした。


 *


 明石は、案外時間をかけて付箋の項目を埋めては、箱にしまっていた。かじかんでいるのでなければ、きっと、大事に言葉を選んでいるのだろう。


 おおよそ、相手は、部活のマネージャーかな、と思う。仲良く話しているのも時々見かけたし、プライベートでもお出かけしているのを見たことがある気がする。

 

 姉になり切ったつもりで、ほほえましく見守ることにした。

 きっと素直な気持ちを書いているんだろうな、とか。どこに惚れたのかな、とか。ちゃんと応援したいな、とか。

 こういう気持ちが向けられるというのもちょっとうらやましいな、とかは、湧いてなんかぜったいになかった。


 私がいろいろと考えているうちに、おおよそ埋め終わり、鍵もかけおわり、明石がこれからどうしたら? とこちらを見てくる。


「先生と話したいなら、来るのを待ったらいいと思うけど、自分で解決したなら、片付けていいと思うよ」


「……そうか、じゃあ……千歳に預ける」


 といって、照れたように渡して、呼び止める間もなく、足早に去って行ってしまう。


「ええ、まったく、勝手だなぁ……まあ、先生に、託せ、ってことかな」

 

 その意図は、私にはわからなかった。


 *


 明石が出て行ってちょっとすると、先生が帰ってきた。


「留守番ありがとな、何か面白い人でも来てたかい?」

 

 先生が元気そうに入ってくる。おそらく楽しい話でも聞けたのだろう。


「幼馴染がひとり来ましたけど、かえりましたよ」


「お、なんだ、面白そうじゃないかい、そっかぁ、こっちで待っててもよかったかもな、愛の告白でもされたかい?」


「まさか。ずっとお前とはありえないっていわれてきたんですよ。それより、これ、先生に渡すようにと」


「箱か? 渡されてもな、保管しておいて盗まれても困るしな……鍵もかかっていて、相談するにしても内容もわからないときた。……いや、こんな時のために用意してたんだったな、確かめてみるか」


「合鍵でもあるんですか?」


「いや、ないぞ、というより持ち帰られるのが前提なんだ、鍵なんてつくってどうする?」


「じゃあ、どうやって中身を確かめるんです? 箱を壊すとか?」


「まあ、こわしてもいいが、中の紙まで無事に壊せるかは怪しいな」


「じゃあ、無理じゃないですか」


「いやいや、箱の中にばかり拘泥してはいけないよ」


「どういうことです?」


 しばらく溜めた後に、先生は


「内緒にしてくれよ?」

 

 と言って、おもむろにうすい机マットを剥がして、下から一枚の紙を取り出す。


「これ、は?」


 見れば、汚い字だった。明石の字っぽさはある。右下を見れば、明石の名前も書かれている。だが、どうして?


 マットに目を向ければ、裏面はえんぴつの粉で汚れていて……。


「違う、これ、カーボン紙?」

 

「ビンゴ、だよ千歳君」


 先生は、机マットにはカーボン紙が張り付けられていて、その下の用紙に、転記されるようになっていたことを悪びれもせず言う。


 だから付箋の配置にも気を配っていたのだとも、箱は単なるフェイクで、ここにすべての情報が控えられているのだ、これを見ることが生きがいなのだ、と先生は熱く語り始める。


「先生……?」


 私の目線が冷えていくのが、私でもわかる。


「な、なに、普段はつかってないぞ。あんまり。でも!! こうして外出してる時に!! おいしい話が聞けないのは酷じゃないか!!」


 この不正になんといったものか困っている間に、先生は、その不正な控を読み進め、続ける。


「ほう、どれどれ? なるほどな?」


「それで、なにか、わかったんですか?」


 諦めて尋ねると、にやにやして、先生は言う。


「先生が、一ついいことを教えてやろう。千歳君はテストで一番大事なものを知っているかね?」


 うっとうしい口調だったけれど、答えなくては進まないことはなんとなくわかったので、適当に答える。


「しっかり準備することと、本番で冷静でいることですかね?」


 間違っているといわんばかりに先生は指をふり。


 長い溜めのあとに、


「名前を、きちんと確認することだよ」


 と言って、その不正な控の、左上あたりを指さして、私に見せてきた。







 見れば、そこには、私の名前があって、


 その下には、私への感情が、列挙されていて。




 混乱と、喜びと、わけのわからない感情と、それからやっぱり混乱が押し寄せてきて、顔が熱くなるのが、わかる。でも、そんな簡単に、あいつの言葉に惑わされるわたしじゃあ、ないと思うのだ。



 だからきっと、この顔のほてりは、燃えるような夕日のせいだった。













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