進め、バッファロー!

藤之恵多

進め、バッファロー!

 美咲には3分以内にやらなければならないことがあった。


 目の前で梨子が頭を下げている。

 首元には「可愛いでしょ?」と自慢してきたマフラー。服装はモコモコしているが、色合いは地味なものだ。

 いつもなら笑顔が振りまかれている顔は眉が下がって情けなくなっている。


「ほん……ごめ」


 場所はコンテストの控室。

 いつも集合時間の10分前には入るのに、今回はギリギリ。

 その時点で嫌な予感はした。


「その声で喋らなくていいよ」

「ん」


 マスクの下から漏れた声もガビガビ。

 よりによって、今日か。その思いがなかったといえば嘘になる。

 美咲は用意してあったペットボトルを梨子に渡した。


「辛いでしょ」


 とりあえず座るようにソファをポンポンと叩く。

 固い表情だ。自分が声を枯らしても同じ表情になっただろう。

 座った梨子の額に触る。熱はないことにほっとした。


「どうしますか?」

「どうするって……」


 マネージャーの言葉に美咲は時計を見た。マネージャーの手元にはタイムテーブルがある。

 今日出演する番組の進行具合がそこには書かれている。

 先に現場入りしてい美咲も時間はすでに聞いていた。


「辞退するなら、もう通知を出さなければなりません」

「……そうですよね」


 真剣な瞳。

 美咲は机の上に置いていた台本と練習していた楽譜に目を落とす。

 既に会場近くに来ているファンも多いだろう。

 と、隣から袖を引っ張られた。


「で、て」


 かすれた声なのに、目力だけ呆れるほど強い。

 普段、可愛いキャラのくせに。美咲は唇を尖らせた。

 梨子は頑固で心が強い。

 まったく困ってしまう。


「梨子。でも、その声じゃ」

「ひとり」


 美咲が答える前に梨子は人差し指立て、目の前に差し出す。

 マスクの前に立てられた指の細さ。

 美咲は目を瞬かせた。


「デュエットの曲を、ひとりで?」


 首を傾げれば、梨子はこくんと頷いてくれた。

 マネージャーもすでに巻き込んでいるのか、梨子の代わりに説明が始まる。


「デュエットですが、『進め、バッファロー!』なら一人で歌うことも可能かと」

「でも」


 進め、バッファロー!

 なんてふざけたタイトルだと、もらった当初は思った曲。

 だけど、アイドルが夢を追いかける姿が描写された歌詞は美咲の好みだった。

 なんでアイドルとバッファローをならべるかは謎だったけれど。

 梨子が勢いよくスマホをタップしている。

 メッセージの通知が画面に出た。


『これは、あたしたちの夢。せめて、ミサミサに叶えて欲しい』

「梨子。それはそうだけど」

『ミサミサの歌、響かせて』


 ぐっと詰め寄られる。見上げる仕草は可愛いのに、まるでカツアゲされている気分。

 歌うことが好きだった。センターで歌う事は中々叶わなかったけれど、練習で手を抜いたことはない。

 歌いたい。

 アイドルになってから、その想いは加速するばかりで、梨子とのデュエットは今までにないくらい歌える曲だった。

 梨子の瞳から逃げるように顔をそらす。


「ひとりは、嫌です」

「じゃあ、どうするんですか」


 マネージャーの言葉と梨子の無言の圧力に美咲は唇を噛み締めた。

 3分のタイムリミットが来ていた。


 ※


 会場は異様な熱気に包まれていた。

 美咲と梨子を応援しにきた美咲のTシャツを着た男性と梨子のTシャツを着た男性もテンションが上がってしまう。


「ミサリコのデュエットが、TIWに出れるなんて」

「トップ・アイドル・ワールド! 何てったって、ワールド、世界だからな!」

「ついにここまで来たんだなぁ」


 回ってきた席番はアリーナ一桁。

 掲げられた看板も首をそらさなければ見えない近さだ。

 1列目には審査員席があり、審査員たちの後ろ姿が見える。

 正面のモニターにはネクストアイドル:ミサリコとアーティスト写真と一緒に表示されている。


「しかも、楽曲が『進め、バッファロー!』」

「美咲ちゃんの低音で響く歌声と、重なる梨子ちゃんの高音のハーモニー!」


『進め、バッファロー!』はタイトルの奇抜さに目が行きがちだが、メロディの高度さも評判で、ミサリコ以外に提供できなかっただろうとまで言われている。

 美咲推しが言った内容に梨子推しは頷きながら付け加えた。


「梨子ちゃんのダンスもスゴいからな」

「お、始まるぞ」


 BGMが小さくなり、会場のざわめきも小さくなる。

 反比例するように推したちの心臓の音は大きくなった。

 やがて照明がしぼられ、ステージに一筋の光が落ちる。


「先を進む背中に泣いた」


 光の中からアイドルにしては低い声が響いてくる。

 ベース音が目立つ。これはバッファローの走る音を表しているらしい。

 最初のメロディは美咲、次に高音で梨子が被せる。

 それが通常の進行だったが。


「夢を諦めそうで」


 ハイトーンも美咲が歌う。

 その違和感を吹き飛ばすように歌う美咲の前に梨子が現れ、全身を使ったダンスを披露した。

 いつもと違うアレンジに、すぐに美咲推しは梨子推しの肩を叩いた。


「おい、梨子ちゃん、マイクないぞ」

「え、ダンスだけってことか?」


 目を白黒させていると、サビ前の転調に入ってしまった。

 メロウな雰囲気から一気に激しい曲調へ。

 慣れた体は自然と美咲と梨子にあわせて拳をつきあげる。


「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ!」


 アイドルとは思えない太い声が会場を貫いていく。

 美咲推しは飛び跳ねながら拳をあげた。

 と、梨子も全身を使ったウェーブを行う。


「おおー」

「ダイナミックな振り! ダンスに集中してるからだな」


 ウェーブから立ち上がり、すぐに美咲と背中あわせになる。

 アリーナからふたりの手が繋がれるのがはっきり見えた。


「周りなんて気にするな」


 カラフルな光線が一瞬で単色のビームライトに切り替わる。

 二人のシルエットが浮かび上がる。

 不思議なことに影になっても二人が笑っているのが見えた。


「突き進め! 突き進め!」


 ここからは怒涛の煽りだ。

 バッファローの大群が走り抜けるように、会場が一体になりリズムを刻む。

 その熱狂の中で美咲推しは梨子推しに肩をぶつけた。


「美咲ちゃん、キレッキレ」

「いや、キレッキレ具合なら、梨子たんだろ」


 いつも冷静な美咲がひとりで声を張り歌い上げる。

 その眩しさを自慢したかったのだが、梨子推しも気持ちは同じらしい。

 梨子も見たことがないくらい、楽しそうに踊っていた。


「いや、最強コンビだな。ミサリコ」

「よきよき」


 梨子がひとつと歌わなかったことも、美咲がほぼ踊らなかったことも気にならない。

 推しにとっては満足しかないコンテストになった。


 ※


「ひとりは嫌」


 美咲はもう一度繰り返す。

 時間はすでにない。諦めるつもりもない。

 ここまで来た。

 トップ・アイドル・ワールドはアイドルなら誰もが目指すステージ。

 そこで歌う夢を美咲が潰すことなんてできない。

 美咲はソファを立ち上がり、梨子の前に立つ。


「でも、みんなの夢を潰すのはもっと嫌」


 下から見上げる梨子の視線に鳥肌が立った。

 今から自分は無理を言う。

 歌えない人間をステージにつれていくのだ。

 だけど、ふたりの曲は二人で見せたかった。


「梨子、一緒に行ってくれる?」


 手を差し出す。

 一度手と美咲の顔を見比べた梨子は、マスクを下げてニッと笑った。


「しょ、がない」


 手が重ねられ、梨子は立ち上がる。

 美咲は重なった手に額を近づけた。

 そのまま祈るように、誓うように告げる。


「ありがと……歌は、絶対歌い切るから」

「ん」


 信じてる。

 音のない梨子の声が美咲には聞こえた気がした。


「大丈夫、ふたりなら」


 繋がった手さえあれば、無敵だ。

 出ると決めたなら時間はない。

 美咲と梨子は大急ぎで改変デュエットの準備を始めた。

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