推しは推せるときに推すべき。

美澄 そら

お題【書き出しが『○○には三分以内にやらなければならないことがあった』】






 ファンには三分以内にやら決断しなければならないことがあった。


 都内を走る数多の電車。数十分と待たずに来てくれるうえ、ほぼダイヤは正確。

 網の目のように広がっていて、行きたい場所へとすぐに行ける。

 便利すぎて、地方民の私からしたら羨ましくて涙が出てくるレベルだ。

 明日、推しのライブを控えているので前乗りすることにした私は、十四番線で列に並んでいた。

 せっかくなので有休消化しつつ、行ってみたかったプラネタリウムにでも行こうかなという魂胆だ。

 朝のラッシュを抜けた時間帯ではあるけれど、平日の朝はごたごたしている。四番目に並んでいた私の後ろにも、埋めるようにすぐに人が並んだ。

 スマホの画面を鏡代わりにして、自分の前髪を直していると、後ろの男性がちらりと写って見えた。

 大きめのサングラスに、黒の不織布マスク。真ん中分けのグレーの髪の毛。羨ましいほど白い肌。背は列の中で頭一つ分高い。

 推しに似ているなぁと見惚れていると、彼が黒いマスクの位置を直した。

 その左手の中指に、ごついシルバーのリングが見えて、思わずスマホを落としそうになる。

 間違いない。推しが付けているリングだ。

 特注で作ったと、以前に女性誌の質問に答えていた気がする。龍が彫られていて、その眼にはブラックオニキスが宿っている。

 心臓がバクバクと音を立てる。

 まさかの似てる人、ではなく、本人。

 変な汗までかいてきた。

 明日のライブのチケが取れただけで幸運だと思っていたのに、前日に本人を目撃してしまうなんて……。あれ? 私明日死ぬ? いや、ライブ前に死ぬ訳にはいかないから意地でも生きるけど。


 ――十四番線、間もなく電車が参ります。


 ハッと顔を上げる。定刻通りに電車が到着するのであれば、あと三分で来るはず。

 あと、三分かぁ。

 三分しかこの距離感を堪能できないのだと考えると、急に欲が湧いてきた。地方民の私には、もう二度と推しを街中で見かけることなんてないだろう。

 けど、推しのプライベートを邪魔していいのかという、古参ファンとしての謎のプライドもある。

 あと二分。

 乗る予定の車両が遠く見えてきた。

 あと一分。


 困らせてしまうかもしれない。

 でも――!


 私は勢いよく振り返り、深く深く頭を下げた。

「あの……明日、ライブ行きます! いつも応援してます! 握手してください!」

 早口で、どこぞのプロポーズ企画さながら手を差し出すと、小さく押し殺すような笑い声が聞こえた。

「いきなり頭下げるからびっくりした。……明日、気を付けて来てね」

 顔を上げると、手を包むように握手してくれて、サングラスを少しずらしてウインクまでしてくれた。

 なんという神ファンサ……。

 推しが立ち去ったあとも、しばらく感動でその場に立ち尽くしていた。

 そして二本電車を逃して、やっとプラネタリウムへと向かうことが出来た。





  


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推しは推せるときに推すべき。 美澄 そら @sora_msm

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