3分後に会議 3分後に開店
林きつね
3分後に会議 3分後に開店
山本には3分以内にやらなければならないことがあった。
上司に命じられた書類のコピー。それが必要な会議がもう180秒後に迫っている。しかし、コピーが終わらない。
ちなみに、山本がコピー機に書類を入れコピー内容を設定し印刷ボタンを押したの10分前ことである。
ウィンウィンと鳴る機械音に耳を傾けて、山本はこの仕事の終わりを待っていた。
そして気がつけば、時計の長針が次の数字の上に重なっていた。
周りに誰か助けてくれるような人物はいないものか。しかし、いない。
会議まで残り3分。会議が始まる時間ちょうどに会議室に入るバカはいない。
皆、緊張の面持ちで会議室の椅子に腰を落としているのだろう。
ただ一人、山本の上司を除いて。彼は未だに帰らぬ部下を今か今かと待ち続けている。その顔は3分後に迫る自身の恥への恐怖か。それとも部下への憤怒か。
ああ、もうどうにでもなれ──。山本は意を決し、コピー機にあるありとあらゆるボタンを順番に一個ずつ押して行った。
ガビィンゴバコォンッッ!!
この世全ての機械からしてはいけない音が響く。
やがて時計は会議の始まりを告げ、山本は天井を仰ぎながら呟いた。
「まずい……」
飯田は料理人である。この道30年の大ベテランだ。これまでありとあらゆる客の舌を満足させてきたし、ありとあらゆる場所でその腕を認められ続けてきた。
しかし、それにあぐらをかく飯田ではない。飯田は今もなお、『一月に一つの新メニュー』という己の挑戦と誓いを守り続けている。
しかし、今回は失敗だった。飯田は頭を抱えた。この道30年の自分が、こんなまずい料理を作ってしまうだなんて。
しかしそんなことで挫けてしまってはプロではない。不味くなった原因を究明し、手を加え、それを美味しい料理にしなくてはならない。
けれど飯田に残された時間はあまりにも少なかった。
店の開店まであと3分。それまでにこの料理を手直ししなければならないが、さすがに無理というものだ。
「ああ、このままではこのもやもやを抱えたままにお客様の料理を作ることになってしまう。私のこの雑念がお客様の料理に影響を与えてしまったらどうする!!
ああ、なんだ。一体なんなんだ。なにか一つ。なにかが一つ足りないのはわかっているんだ。けれどそれが具体的になんなのかがわからない! 一体この新作料理にはなにが足りないんだー!」
「アブラじゃないか?」
「いやいや、アバラだろ。そう言ってたって。杖をこうもって……アバラケタバラー! って」
「なんか、後半も違うような気がするんだけど」
「なんだよお前見たことねえんだろポッター」
「いやないけどさあ、でもなんかそれだとシンプル蹴ってる感じしない? アバラと腹を」
「しねえよ! 魔法のファンタジーなんだよポッターは。ほら言え! アバラケタバラー!」
「あ、あばらけたばらー」
「アバラケタバラ!」
「アバラケタバラ!」
「アバラケタバラ!」
「……お、開店三分前だ。行こうぜ」
「油じゃなかった!」
飯田は叫んだ。
最後に同じ具材同じ味付け、そして追加で大量の油を使ってみた。けれど味はさらに酷くなるばかり。
ああ、枯れ果てた。自分は料理人として枯れ果ててしまったのだ。
――ああ、そういえば長らく休みを取っていなかったなあ。
飯田は思い至った。今の俺に必要なのは、新メニューじゃない。休養だ。どこかゆっくりした場所で、しばらく過ごそう。
「――まあ楽しみにしてろって。ここ本当に美味しいからうわぁ?!」
「……申し訳ありません。本日は、店仕舞いです」
開店時間になり入ってきた二人組の客に、店の真ん中で崩れ落ちていた飯田はゆっくりとそう告げた。
客に対して、これ以上のない失態。けれど飯田の心は凪いでいた。
「ど、どうしたんすか?」
そう心配そうに声をかけてくる青年は、よく見ると最近よく来てくれている客だった。
その後ろでなにがなんだかという顔をしているもう一人は見たことがなく、恐らく青年が連れてきてくれたのだろう。
「なんかあったのなら相談にのりますよ?」
そう言ってくれる青年に対し、飯田はゆっくりと立ち上がり首を振る。
「申し訳ありません、お客様。大変失礼な態度をとってしまいました。すぐにとっておきの料理をお持ちします。なんだか、悪い魔法にでもかかっていたみたいで」
「……アバラケタバラ?」
「――……アブラカタブラ、ではないでしょうか?」
山本には3分以内にやらなければならないことがあった。
それはこの場からの逃走。自分がコピー機を壊し、そのせいで今上司が恥をかいている。
なんとかコピー機を直そうと悪戦苦闘していたが、コピー機はおかしくなるばかり。気がつけば会議修理3分前だ。
逃げなければ。逃げなければどれほど怒られてしまうのか。
このままでは上司に怒られるだけではなく、コピー機を破壊した罪まで被せられてしまう。
いや確かに、山本はコピー機を完膚なきまでに破壊したかもしれないが、そもそもコピー機は最初から壊れていたのだ。
山本が資料をコピーしようとしたその時から、コピー機はおかしかったのだ。
自分は悪くない。悪いのはコピー機だ。今から上司に怒られるべきはコピー機なのだ。
「さあ、逃げよう! すぐにでも! どこへでも! あの上司が帰ってくる前に!」
「どこへいく? 山本」
背中からかかる声。その主は、振り返って確認するまでもない。
「3分時間をやろう。すべて説明しろ」
「……なかったんです」
「声が小さいなあ。なにがなかったって?」
「しょうがか!」
飯田は満足気に頷いた。
3分後に会議 3分後に開店 林きつね @kitanaimtona
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