ザ・奇術ショー

高野ザンク

時をかける大脱出

 未知子には三分以内にやらなければならないことがあった。


 それは、この四方を囲まれた箱の中から脱出し、真上に吊るされた檻の中へ移動すること。いわゆる「大脱出」の奇術を成功されることだ。まだ高校2年生の彼女が、なぜこんな「大脱出」をしなければならないのか。それには理由がある。


 未知子の叔父は如月誠一という名の知れたマジシャンだった。日本国内で名を馳せ、普段は都内のホテルでマジックショーを披露しているが、このたび、故郷の田舎町の母校で凱旋手品ショーを行うことになっていた。

 なんでも、彼が初めて大掛かりな手品、つまり大脱出をさせたのが、高校時代のこの体育館だったそうだ。未知子も当初は、叔父の手品を観客として見るつもりだった。


 誠一が、未知子の家を訪れてきたのは1週間前のことだった。なんでも大脱出をするはずのアシスタントが怪我をしまったとかで代わりにマジックを手伝ってくれる人間を探しているとのことだ。いや、探しているというより、はじめから「未知子に代わりを」というお願いだったように思う。

 体操部に所属し、身体の柔らかさには自信のある未知子は、(ネタをバラしてしまえば)狭い場所をくぐりぬけて移動する大脱出の手品を成功させるには適任だということだった。

 競技であれば、人前で演技するのは抵抗がないが、ショーのようなものに出るのは嫌だと、最初は首を縦にふらなかった未知子だったが、東京のアミューズメントパークで豪遊させる(しかも公式ホテル2泊付き)、という条件を出されてしまっては承知する以外の選択肢はなかった。

 もっとも、大脱出を成功させて、友達に自慢したいという気持ちはなくはなかったのだが。


 「大脱出」の仕掛けは比較的単純だった。

 箱の下に、ほんの少し抜け出られるスペースがあり、そこをくぐって表に出て、目隠しの後ろを通って舞台袖に移動する。そこから、舞台上までかけあがり、天井から吊るされた檻の中に入って、あとは誠一が降ろしてくれるのを待てばよい。

 ただ、手順は単純だと言っても、実際に観客の目に触れず、しかも「オリーブの首飾り」が鳴り終わる3分以内にこれを実施するのはなかなか難しい。特に難所なのは、箱から出ること、そして、布で覆われているとはいえ吊るされた檻に入ること、の2点。

 持ち前の柔軟さで、箱から出ることは簡単にできた未知子だったが、吊るされた檻に入るのはなかなか上手くいかなかった。本番まで必死に練習して、ようやく10回に6〜7回の成功率だった。


「まあ、なんとかなるだろう」


 誠一は人懐っこい笑顔でそう言った。楽観主義なのか、あえて“そういうキャラ”を演じているのかわからないが、彼はいつもそんなふうに笑顔を浮かべていた。おかげで、未知子はあまりプレッシャーを感じずに済んだし、まあプロである叔父がそう言うなら大丈夫なのだろう。


 そして、本番の日を迎える。如月誠一の人気は圧倒的で、校内の体育館は学生だけでなく、保護者や、よくわからない「関係者」たちでぎゅうぎゅう詰めになっていた。未知子は少し後悔した。「大脱出」に怖気付いたからではない。バニーガール風の衣装をこんな多くの人に見られるのが恥ずかしかったからだ。


 20分ほど大小の手品を披露し、いよいよメインイベント「大脱出」の時間がやってきた。誠一が下手に手をかざすのを合図に未知子が登場する。出演を知っていた同級生から歓声が上がる。未知子は照れくさそうにぺこりを頭を下げた。


「それでは、最後の大魔術!大脱出をご覧いただきます!」


 誠一が高らかと声を張り上げると、オリーブの首飾りが鳴り始める。さあ、ここから三分が勝負だ。

 未知子はうやうやしく舞台中央の箱に入る。扉を閉める時に誠一が彼女に声をかけた。


「なにがあっても無事に帰ってくるんだよ」


 練習の時は、いつも飄々として笑顔を絶やさなかった彼が、真顔でそう告げたことに、未知子はちょっと恐怖を覚えた。でも、誠一だって本番で緊張しているんだろうと思い直し、とにかく自分は上手くやらなきゃと頭を切り替える。


 扉が閉まると箱の中は真っ暗になる。しゃがみこんで右後ろにあるはずのレバーを探す。1週間の練習の甲斐あって、身体がレバーの場所を覚えていた。それを横に倒すと、箱の下に小さな脱出口が現れる。舞台効果のせいでそれでも暗いままだが、開いただろうと思われる箇所に体を滑り込ませる。面白いほど簡単に箱の後ろに身をひそめることができた。

 誠一が意味ありげに箱を調べるふりをして、観客の注目を集めている間に、舞台袖に忍び込む。オリーブの首飾りはまだ中盤。練習よりいいペースだ。そのまま舞台裏にあるハシゴをかけあがって、すのこ天井にたどり着く。あとはタイミングをみて檻の中に入れば良いのだが、このタイミングが難しい。

 演出で2秒だけ照明を落とすのだが、そこを逃すと姿が見えてしまう。そのタイミングを観客席からギリギリ死角になる場所で待つ。

 演奏がクライマックスに入る。まもなく照明が落ちる。


 3……2……1


 一瞬舞台が暗くなった時を見計らって檻にかかった布をあげて、体を滑り込ませる。ここで1秒。そして檻を閉めて布を引っ張るのに1秒。布越しに舞台が明るくなるのがわかった。


 成功だ!やった!アミューズメントパークで大豪遊だ!


 未知子はこの上ない達成感と、得られる報酬に心を躍らせた。



 しかし、舞台は明るくなったはずなのに、一向に檻は舞台に降ろされず、布が外される気配がない。オリーブの首飾りはもうとっくに演奏を終えていた。それに……やけに体育館に人の気配がない。


 未知子は不安になり、布の間からそっと様子を窺ってみる。すると、あんなに人で満杯だった体育館ががらんとしているではないか!

 自分が檻に入った瞬間、気絶でもして時間が経ってしまったのか?いや、それだったら、檻が降ろされて布が取られたときに、気絶している間抜けな私が笑われているだけだろう。

 未知子は布を思い切りひっぱって、檻からはがした。重力に従って、黒い布は舞台の上に落ちる。


「うわっ!」


 悲鳴は落ちた布のほうから聞こえた。

 未知子は檻越しに舞台を見下ろす。落ちた布の下でなにかがもぞもぞを動き、やがて布をとりはらうと、一人の男子学生が姿を現した。彼は、檻の中の未知子に気づくと、眼鏡越しに目を丸くして叫んだ。


「キミ!そんなところでなにしてんの!?」


 未知子はその顔に見覚えがあった。多少若くはなっているが、間違いない。その学生は誰あろう、如月誠一だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ザ・奇術ショー 高野ザンク @zanqtakano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ