牛皆壊せと祈りてしこと

鶴川始

土埃を巻き上げる冬空の下で

 僕には三分以内にやらなければならないことがあった。

 

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを君は見たことがあるだろうか。

 なければ僕に言ってくれ。

 いつでも君に見せることが出来るから。


 例えば君が朝起きて、この世の全てが憂鬱に感じたとしよう。痛々しい冬の晴天の下を歩き、教室の扉に手をかけて、保てているんだか壊れているんだかよくわからない君の人間関係を維持する作業が今日も始まる。


 毎日自分の知らないところで陰口を叩かれている気がしていないか?

 男子数名が笑い声を上げているとき、それが自分への嘲笑だと思っている?

 女子同士の内緒の話は全て君をのけ者にするための算段だと感じないか?


 それが唯の杞憂に過ぎないことを君は知っている。

 知っているからといって頭から離れてくれることでもないことも知っている。


 ただ何気ない会話を二、三行うだけで、自分の掌から何かが漏れ出ていくような気分を今日も味わう。知らない内に他者から接続を拒否されているような気がする。属していなければならないなにかに属していないような気がする。自分の知らない場所で重大な何かが進行しているような気がする。


 それが唯の杞憂に過ぎないことを僕は知っている。

 それでも不安に思うのなら僕に相談してほしい。

 突き進むバッファローの群れをもって全てを破壊してみせるから。


 今日もひとつ中学校のクラスを破壊してきた帰りだ。受験を間近に控えて妙な緊張に包まれているクラス。私立はもう既に受験が終わっているけれど、公立の受験は目前というところだろうか。勉強なんかしてもしなくても、どうせそのクラスは一ヶ月もしないうちに解散する。卒業という形をもって。続く人間関係とそうじゃない人間関係のどちらが多いかはわからないが君の気にするところではない。他人のとの付き合いは死に覚えゲーのひとつだ。今度はもう少し長く維持出来たらそれでいい。壊れた関係を奇跡的に修復出来たのなら上々だ。


 そんな放っておくだけで壊れてしまうものでも壊したいと思うなら、僕はバッファローをそこに突っ込ませる。否、放っておいたら壊れてしまうからバッファローの群れをけしかけるのかもしれない。

 積み木を崩すならできるだけ自分の手でやりたい。

 それが人の心ってものだろう。


 この前は企業をひとつ潰してきた。

 出勤したくなかったんだろう。

 わけを聞かなくても僕にはわかるよ。


 重要なのは何を壊したいのかということだ。


 休日の早朝の東京駅のトイレに出来る長い列を壊したいと言った奴が居る。膀胱の我慢の限界から逆算して並び始めている老若男女をバッファローの群れでひとり残らず破壊した。肉塊と血と老廃物にまみれた床を歩いて用を足し、僕にバッファローをけしかけさせた男は長距離バスの乗り場から、彼の実家へと帰省していった。


 長距離バスの中で矢鱈とうるさい乗客を壊したいと言った奴が居る。夜中にスナック菓子の袋の開けてさくさくさくさくうるさくしている男に向けてバッファローの群れを突っ込ませた。破壊されたのはその男と男が座っていたシートだけ。こう見えてバッファローの群れは器用なんだ。雑音が無くなっても結局よく眠れなかったわ、と言った女は大阪に着くと自転車に乗って自宅のアパートへと戻っていった。


 大阪市の東淀川にあるT字路で見かける交通マナーの悪い自転車の連中を壊したいと言った奴が居る。別にバッファローで壊さなくてもそのうち勝手に壊れるんじゃないかと僕は言った。女が何かを言う前に、僕はわかったよと言ってバッファローをけしかけた。積み木を崩すならできるだけ自分の手でやりたい。それが人の心ってものだった、ド忘れしてたよ。いつか事故を起こしそうな自転車の女はバッファローに壊されていった。パステルカラーみたいな色の軽自動車に乗った中年の女は心晴れやかに出勤していった。


 マニキュアを塗っている女をすべてバッファローで壊したい?


 カードゲーマーをすべてバッファローで壊したい?


 コンビニの店員にいちいちお礼をいう客をすべてバッファローで壊したい?


 なんか小さくてかわいいやつをバッファローで壊したい?


 毎朝知り合いでもないのに挨拶してくる老婆をバッファローで壊したい?


 毎朝挨拶しても返してこない近所のクソガキをバッファローで壊したい?


 君は何をバッファローで壊したい?


 僕のおすすめは君が三分前に飲み下した睡眠薬二箱とストロング系の缶チューハイってあたりかな。バッファローの群れはとっても器用だから、君の腹の中にあったとしても問題はない。なんなら体内に溶け出した薬効を分子レベルで標的し、無効化することだって出来る。


 なんでこんなことを薦めるかっていうと、君のひとつ前に僕にバッファローの群れをけしかけるように頼んだ奴は、この地球を壊してくれと僕に頼んできた。バッファローの群れは器用だけど、それをするには準備がかかるから待ってくれと言った。器用ではあるけどパフォーマンスの最大値には限界がある。それでもあと数分もすれば地球はバッファローの群れによって壊され始めるだろう。


 ずっと遠く――窓の外の向こうを見てみよう。

 冬空の下に土埃が巻き上がっているだろう。

 バッファローがやってきているんだ。


 世界の終わりをラリったままで迎えたいかい?

 溶けかけた錠剤と、青くなったアルコールと、それらが混じり合った吐瀉物を君が床にぶちまけるより先に、この世界は終わるだろう。


 僕には三分以内にやらなければならないことがあると言っただろう。

 それは僕が君になにが出来るだろうかと訊ねることだ。

 だってもう三分で世界はバッファローに壊されてしまうからね。


 え?


 ああ、まあ。


 できるよ。


 バッファローの群れに破壊されたすべての因果を、バッファローの群れで破壊することも、出来るよ。パフォーマンスとしてはそこまでの量を要求されないからね。一クラス分の中学生を破壊するよりずっと楽さ。ただそれをするともう二度とバッファローは君に見せることは出来なくなるし、バッファローに何かを破壊させることも出来なくなる。一回こっきりのお願いだけどそれでいいかい?


 わかったよ。


 ああ、君の腹の中の薬剤に関しては気にしなくていい。それはかつてバッファローがなにがしかを破壊したことに因んだ結果のひとつだからね。バッファローがバッファローによって破壊されたとき、君の身体に回り始めている薬効ごと、錠剤とアルコールは消えるだろう。もう少しすれば君も素面に戻れるよ。


 いやなに、存外簡単なんだよ、バッファローをバッファローで壊すのは。

 真正面から同じだのバッファローをけしかけて対消滅のように消し飛ばすわけじゃない。そんなことをしなくても、バッファローに僕を破壊させればいいんだよ。


 そんなことを頼んできたのは君が初めてだ。いやまあそりゃそうか。だってこんな頼みは一回しかできないわけだから、二回目以降は存在しない。驚くとするならば、これまでの人々がそれを僕に頼んでこなかったことを驚くべきだったな。


 何を泣きそうな顔をしているんだい。

 僕にもそれはわからないなぁ。


 気にすることはないよ。どうせ全て破壊されて忘れてしまう。君が世界を救ったことも、全てを破壊するバッファローの群れがあったことも、どんな頼み事をしたのかもまるっと忘れてしまう。因果を壊すとはそういうことだ。


 たとえ積み木みたいな世界でも、そのうちいつか壊れてしまう世界でも、人に世界を壊されるより、自分で世界を壊すより、その世界を守りたいんだろう?


 君が守った世界で何をするかは自由だよ。また睡眠薬をアルコールで飲み下してもいいし、或いは高階層から飛び降りてもいい。タオルやベルトで首を吊ってもいい。自由なんだよ。

 そして君が生きていることもまた、自由なんだから。




 名残惜しいけどそろそろ時間だよ。


 僕には三分以内にやらなければならないことができたからね。

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