晩柑みっつ
「お久しぶり、です」
晩柑を拾い上げてから、見月は頭を下げる。そのつむじに、ぶっきらぼうなままの低い声が届く。
「今は、何をしとぉ」
「教師をしています。小学校の先生です」
見月が顔を上げた時、彼はそっぽを向いていた。
「ここにゃもう、学校はないなったぞ」
「今日は、ただの旅行で来ました」
「……子ぉ、こさえたか?」
「はい。浜辺で遊んでいるのが夫と、息子です」
「わざわざ、なしてこがぁな海に。いい思い出なんか、ありゃせんじゃろ」
「そう、ですね。あなたに、いじめられてばっかりでしたし」
そこまで言って、彼はチッと舌打ちをした。
日焼けの上から顔を赤くして、見月から目を背ける姿は、クラスの子どもたちに重なる。
彼をそんなに幼く思うようになった自分までおかしくて、吹き出してしまった。
「笑うな。アホみたぁに」
「はい、すいません」
はぁっ。大きく息を吸い込んで、見月は座る彼に駆け寄った。石段の境の砂浜は、波打ち際に比べて粒が粗い。触れるとちくちくすることを、見月は思い出した。
夏祭りの日、彼が見月を海から連れ戻して必死に声をかけてくれた場所に、今、見月は立っている。
『生きろ。生きろ! 死ぬなら、妹にも母やんにも胸張れるようになって、そっから死ね!』
まだ海の中にいるようなぼんやりした記憶。その中で、彼の言葉だけは見月の頭に残って離れない。
『地球でいっちゃん幸せじゃったって! そう言えなけりゃ、お前はまだ、二人の分も生きなきゃいけん!』
騒ぎを聞きつけた大人が集まって、見月と引き離されるまで、彼は声を枯らして怒鳴ってくれた。
見月を抱えた腕も、脈を測った手も、息を吹き込んだ口も、全部が目の前に座る男の人のそれだった。
「ぎろぎろ見るな。気色悪い」
煙草の白い煙と一緒に、彼はそう吐き出した。
「そぃで、答えとらんが」
「はい?」
「なして、ここに?」
「あなたに会いに、来たわけじゃないです」
はっきり言ってから、しまったとは思った。彼が小さく舌打ちしたのは、聞こえないふりをする。
感謝も謝罪もする気はなかった。
そもそも、会えるなんて思ってなかった。
伝えたいことは出てくるけれど、全部言葉にするのはもったいなかった。
「見せてあげたいから」
彼に、見月は笑ってみせた。この時だけ、地球の誰にも負けないつもりで。
「どうだ、ここまで生きたんだぞーって。私は、あの頃の私に見せてあげたいから、今日、ここに来ました」
「……なら、えぃ」
彼は立ち上がって、駆けていく。
木陰の灰色を踏み切り線に、垂直に跳び上がった。
衝撃に木が揺れて、落ち葉は数枚、最後に彼が降りてきた。
「ん」
毟った晩柑を、見月に投げて寄越してきた。
見月の手の中に、晩柑みっつ。
「一人にひとつ、持っていけ」
麦わら帽子をかぶり直して、彼は歩いて行ってしまう。
風に乗って、煙草と潮と、みかんの匂いがした。
晩柑みっつ 河端夕タ @KawabatayutA
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