【KAC2024】ウェルダックス・トリップノーツ

湿布汁

ウェルダックス・トリップノーツ

我々には、三分以内にやらなければならないことがあった。

今宵のパーティーの主催者から提供され、我々がたったいま服用した幻覚剤の効果が切れる三分間の内に、目の前にある、ひとつの古びた手記の内容を解読しなければならないのだ。


その手記の名を、「ウェルダックス・トリップノーツ」。

大手製薬会社ウェルダックス・ウェルネスグループの代表、アントニオ・ウェルダックス氏が没する直前に書き上げたという手記。

アントニオ氏の死後、息子のヘンリー氏に託され、今日まで保管されていたのだが、その内容はまるで、幼児が万年筆でデタラメに書きなぐったかのようで、全く読み取ることができなかった。と、主催のヘンリー氏がパーティーの余興で語った。

それに続いて、彼が「ここからはどうぞ口外されぬよう」と断ると、参加者である我々のいるテーブルに、ウェイトレスたちが小さい薬瓶を配り始めた。


「そちらは、我が社が祖父の代から研究を重ね開発を試みてきた、天然素材に完全に由来した幻覚剤です」


ヘンリー氏がそう言うと、重厚なガラスケースに保管されたその手記がどこからか運ばれ、会場中央のステージに上げられた。


「父は生前、この薬剤の試作品を自ら服用し、作用から得られた気付きを、死ぬ間際までこのノートにまとめておりました。そして最期に彼は私にこう言ったのです。『この手記に、私の全ての財産の在り処を記した』と」


その言葉に会場がどよめいた。

かのウェルダックス・ウェルネスグループの代表の財産など、今の企業成長ぶりを見れば、それが果てしない額に相当することは想像に易かった。


「その父の言葉どおり、彼の死後、一人息子の私が法的に相続された財産は、実家と庭、それと我が社以外は一文も無く、本当にこの手記に、父の他の全てが残されているのだと悟りました。もちろん、父の預金ですら、在り処が分からないまま。きっとそれすらこの手記に書き残されているのでしょう」


言って、彼はガラスケースから手記を取り出すと、何枚かページをめくり、適当なところで開いて会場に見せる。

使用人がどこからか撮影しているらしいカメラの映像が、ヘンリー氏の背後のスクリーンに映し出され、その画面には、彼が開いて見せている手記の見開きがアップで映っていた。


「先ほども申し上げたとおり、常人には到底解読不可能な筆跡ばかりが何百ページも続いています。しかしこれを、いま皆様の目の前にある、父が服用していたものと同じ幻覚剤の作用を受けながら解読を試みたら、どうなるでしょう?」


含み笑って、ヘンリー氏は単刀直入に告げる。


「希望される方のみで構いません。そちらの幻覚剤を服用し、この手記を読んでみたいという方はいらっしゃいませんか?もしも内容を読み取れて、父の財産にありつく手がかりが少しでも見つかったら、解読した方に財産の総額の半分をお譲り致します。なぁに、幻覚剤に副作用はございません、ちょっとしたパーティーゲームだとお思い頂ければ......」


途端に沸き立つ会場。

我々出席者は皆、ウェルダックス社の製品の信頼性を心得ている長年の関係者ばかり。

迷わず幻覚剤を服用し、こぞってステージのヘンリー氏が持つ手記の方へ向かった。


「どうぞ落ち着いて!紳士淑女の皆様、はは、どうか!こういう場こそ礼節を!」


ヘンリー氏がそう言いながら、参加者たちが見やすいように、ステージ上に設けられたテーブルに手記を置いた。


「万が一を考慮して、お配りした幻覚剤は通常の濃度から何割か希釈しております。作用の持続時間は3分といったところでしょう。あぁ、どうか焦らず、ははは」


皆興奮しながらも、ある種の戯れだと心得て、お互いに笑い合い、談笑を交えながら手記の周りを囲んで内容を凝視した。

しかしそうしながらも、我々はこの三分以内で、この手記から何かヒントを得なければならない。


「あの曲線は何処かの山を表しているのではないか?」

「あの文字列は有名な暗号の類じゃないかしら」

「この図はあの宗教画を簡略化したものでは!?」


皆から憶測が飛び交う。

幻覚剤の作用か、デタラメに思えた手記の筆跡が、あらゆる意味を持っているように視えてくる。

同業他社、提携企業の重役たちが、思考を巡らせ、意見を交わし、そして誰かがこう叫んだ!


「あぁこれは!ヴェネツィアの!」


それを聞いて、また誰かが叫んだ!


「まさかあの世界遺産の詩では!?」


そして映画好きの私は閃いた!

そして財産山分けの当事者になるべく、一目散にヘンリー氏のところへ一目散に駆けた!


「ヘンリー氏!これは、かの有名なロマンス映画『恋慕、運河にて』のストーリーに当てはめると全て筋が通ります!」


幻覚剤の作用か、驚くほど饒舌になった私は、勢いに任せて全て説明した。

各ページの隅に書かれた小さな記号の意味、おかしな筆跡のページを前後合わせて光に透かすと見えてくる映画の名場面のスケッチ、何から何まで。

そして最後のページに書かれた虫食いの文字列に、作中の名台詞を部分的に当てはめることで見えてくる、銀行の名前と預金の引き出し方.......


「なるほど!素晴らしい!」


それを聞いたヘンリー氏が感嘆の声を上げ、つぶやいた。


「では、後ほど試してみます」


静まり返る会場。

以外にあっさりとしたヘンリー氏の返答に興冷めたのか。いや違う。

幻覚剤を服用した参加者全員、泡を吹いてその場に倒れたのである。


「父と近しい年頃の重役たちを集めて正解だった。その映画は詳しく知らんが、大昔に大ヒットした、モノクロ映画の有名作であることくらいは覚えがある。なるほど、カラー映画やサブスクリプションにしか親しみのない俺の知る限りでは、解読のヒントが思いつかなかったわけだ」


ヘンリーはテーブルから手記を回収し、ガラスケースにしまった。


「これで。ようやく進展があったな。よぅし、使用人ども!手早く運び出せ!こんな年寄りたちでもあともうは薬の影響に耐えられるだろう。もう一度、各々のホテルの客室に連れ戻すんだ。そして朝になったらモーニングコールして、をさり気なく確認すること!全員異常が無ければ、また明日の夜この会場に連れてこい!くれぐれも、!」


俺たちには、三分以内にやらなければならないことがあった。

幻覚剤によって誘発された気絶から目覚めてしまうおよそ三分の内に、コイツらに軽い睡眠薬を投与しなければならない。

それさえ済めば、あとは離れのホテルに連れ戻すだけだ。


「.......さて」


俺は懐から別の手記を取り出す。

あいつらがトリップした回数と、得られた遺産のヒント、発言内容を記録するためのものだ。


・四回目、進展アリ。

『恋慕、運河にて』の内容と脚本、要調査


そうして、ウェルダックスの後継ぎもまた、幻覚者から得られた気付きを手記にまとめるのだった。

明日も、おそらく明後日も。



「Weldachs Trip Notes.」










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KAC2024】ウェルダックス・トリップノーツ 湿布汁 @daifukucrimson

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ