ある恋の終わり~あるいは未来への土台~

バルバルさん

もう、人生は交わらないけど

 カラン、カラン。グラスの中で氷が酒の中でゆっくりと解けていく。

 ここは王都にある上等な酒場。店内は薄暗い青色の明かりで照らされていて、ゆったりとした時間が流れている。

 そのカウンター席に突っ伏して、氷の解けゆくグラスを握っているのは、黒髪の少しゆるくウェーブがかかっている、執事服を着た青年。

 彼の耳は赤く、相当酒をあおっていた様子がうかがえる。

 その青年の後方、店の戸が開き、短い赤髪の、軽装の鎧を着た青年が入店する。

 その赤髪の青年は執事服の青年を見つけると、短くハァと息を吐き、その隣の椅子に座り声をかけた。


「飲みすぎだぞ、ヴィル」


 その声にヴィルと呼ばれた黒髪の青年の肩がピクリと反応し、ゆっくりと顔を上げ、真っ赤な顔をだらしなくにやけさせて返事を返す。


「あれれ、グラン。酒が苦手なお前が酒場になんてめっずらしいなぁ」

「お前が自棄酒をしていると聞いたからな」

「心配してくれたのか? 優しいなぁ」


 腑抜けた声色で話すヴィルを、燃えるような赤い瞳が横眼に見て、再び嘆息。


「馬鹿、ワーンハイム家の執事がだらしがないと、我らが主に悪い噂が立ちかねないからな。連れ帰りに来たんだ」


 そう言って、店のマスターに氷の入った水を頼むと、ヴィルの頬に当てる。


「ほら、これでも飲んで酔いを少し覚ませ」

「冷たい」

「当たり前だ。氷水だからな」

「ちげーよ。お前が冷たいって言ってんの」


 そう言うと、赤顔をふくれっ面にして。


「元とはいえ、恋人が自棄酒しているんだぜ? 理由くらい聞いて心配するものだろーが」

「おい、酔いすぎだ。しかも声が大きい」

「声がでかいからってなんだよ。心配してくれないのが悪いんだろ」


 まるで子供の様な理屈をこねるヴィルの様子に、グランは自身の顔を片手で覆い。


「正気に戻ったら、死ぬほど恥ずかしいこと口走っているぞ。その辺でおしゃべりな口を閉じろ」

「いーやーだーね」

「まったく。マスター、会計を頼む」


 駄々をこねるヴィルを何とか店外に連れ出し、グランは彼の肩を支えながら、屋敷への夜の道を共に歩く。

 ヴィルの酒臭さに、酒に弱いグランは眉をひそめながらも、ゆっくりと開いての歩調に合わせ歩いている。


「なー、グラン」

「何だ」

「なんで聞いてくれないのさ、俺の自棄酒の理由」

「そんなもの、大体想像はつく。どうせ女絡みの失敗だろう」

「ちげーよ」

「何が違う。俺と別れた後、女をとっかえひっかえしていると聞いたぞ」

「それは……」


 少し間が空き、ヴィルは暗い夜空を仰いで、つぶやいた。


「お前が隣にいなくなっちまったからだよ、馬鹿野郎」

「何だと?」

「少し前まで、休みの時間は、隣にお前がいるのが当たり前だった。笑ったり、いろんな思いで作ったりよぉ……」

「……ああ、そうだったな」

「なのに、お前は、もう俺の隣にいてくれないだろうが」


 そのヴィルの呟きに、グランもまた、少し間をおいて地面を見て口を開いた。


「仕方がないだろう。主からの紹介での結婚話なんだ。断れんさ」

「わかってるよ。でも、わかってる事と、納得できるかってことは別だ」

「軽蔑してくれて構わんぞ。付き合っていたお前を捨て、紹介された女をとったんだ」

「ああ、これ以上ないくらい軽蔑してる」

「お前も、俺なんか忘れていい相手を探せ」

「……無理だ」


 そうヴィルは呟き、ゆるゆると首を振る。


「俺、お前みたいな最低な奴を忘れるために、いっぱい女に声かけた。でも、一緒にいても、楽しくないんだ。いや、辛いっていうのが正しいかな。お前といた時間がちらついてよ」

「……そうか」

「ほんっと、お前って最低だよ。最低で、屑野郎だ。俺を振ったくせに、俺の人生に深い跡をつけやがった」


 そう言って、まだ酒の香る顔をグランに向ける。


「だから、キスしてくれ」

「何?」

「別れる時、俺はお前を何度もぶん殴った。でも、それで気分はちっともスッキリしなかったんだ。だから、逆にキスすれば、気分もスッキリするかなってね」

「そうか」

「そうだ」


 そして、ヴィルは目を瞑る。それを見るとグランは、そっと唇を合わせる。

 暫く、静寂が場を包む。


「どうだ」

「……あー。やっぱ、辛いわ」


 そこで言葉は途切れ、そのまま屋敷に敷地についた。

 その後も、会話は無かった。



 グランの結婚式当日。いつもの軽装の鎧ではなく、白いタキシードを着たグラン。結局、あの後ヴィルと会話らしい会話はできなかった。

 正直なところ、グランの中ではヴィルへの申し訳なさは大きくはなかった。そんな感情を抱いたら、ヴィルに失礼だ。自分の都合で、別れたのだから。

 ただ、ヴィルに幸せになってほしい。自分など忘れ、良い伴侶を見つけてほしいと深く思っている。

 すると、戸が開く。執事服で、この間の様に酒の入っていない、素面のヴィルがいた。


「ヴィル」

「グラン。結婚おめでとう」


 その右手には、ナイフが握られている。


「やっぱ、俺、さ。辛いからよ。お前、殺して、死ぬわ」


 そう言って、ヴィルはグランに、ナイフを手に体当たりをする。


「……なんで避けないんだよ。お前なら避けられるだろ」

「別に、お前に殺されるなら、仕方のない死に方だが納得できると思っただけだ」

「……ほんっと、むかつく奴」


 そう言って、ヴィルの体が離れる。だが、血は一滴も出ていない。


「引っ込むパーティ用ナイフだよ。全く、最後に驚くお前のツラ、見ようと思ったのにな」


 そう言って再び近づくと、トン、とグランの胸に、額を押し付け。


「……絶対、幸せになれよ」

「言われなくても」

「ならなかったら、次こそ殺して、俺も死ぬからな」


 そういって、体を放す。


「それだけだ。じゃあな」


 そして、ヴィルは部屋を出た。

 その後ろ姿を、グランはじっと見つめ、完全に視界から消えた後。


「……ありがとう。お前を愛せて、幸せだった」


 ヴィルに聞こえないだろうが、そう呟いた。



 この後、この二人の人生はほとんど交わらない。

 だが、この二人の過去は、変えようもない、幸せな時間だった。

 そして、幸せだった時間という土台があるからこそ、未来の幸せがある。

 二人は、大切な過去を偶に思い返し、かつて愛した彼に自慢できるくらいの、幸せを手にするだろう。

 きっと、いや、絶対に。

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