まずは、スーパーやくもの復刻版から

第1話 まずは、スーパーやくも

 スーパーやくもは、9時5分、岡山を定時出発。

 4両編成で自由席は1両だけということもあって、かなり混んでいます。おおむね7割程度か。2両になれば分散されて助かるけど、そうも言えません。

 この時期は、繁忙期というわけでもないですからね。

 大体、2月と8月は商売の売上が下がる月と相場では言われているくらいですからね。もっとも、私の場合学習塾で仕事していまして、2月は高校受験、8月はお盆期間を除いて夏期講習と忙しい状態の仕事が続いていましたから、その相場観はあまりないのですがね。


 私は381系に乗車するときは、必ず、冷房ダクトの横の座席を取ることにしています。ここは2人用の座席を回転できないため、1人用の座席となっております。グリーン車の一人席程ではないが、使い出はいいです。しかも、横に荷物が置けますし、窓の景色も少し距離があるけど、よく見えます。なんせ、前の窓と後ろの窓の両方でその気になれば見ることできますからね。

 今回もまた、大山と宍道湖が見える進行方向右側の座席を取って、椅子と窓の間に荷物を置いて、さあ、一仕事。

 目の前のテーブルは、その気になれば2つ使えます。後ろとの隙間があるから。

 さらに、椅子にも小型のテーブルがあります。こちらも出します。

 こうして、ローテクではあるけれども最高の仕事場のできあがり。

 もっともこの電車、国鉄時代、それも私が中学生になった年に新製されたものですから、車齢はすでに40年以上。各席にコンセントが当たり前となり、ネット環境も整備されている今どきの特急列車からすれば設備の不十分さが指摘されても仕方ないレベル。4年程前に図書館への寄贈で香川県を回っていたとき、これより少し遅い時期に製造された185系気動車や2000系気動車にも乗車しましたが、車両の乗り心地はともあれ、コンセントがないのには困りました。特にパソコン持参で移動していましたからね。


 普通車特等席ともいうべき場所に落ち着き、早速仕事開始。

 ときに録音を兼ねた動画撮影、時に車窓の撮影。

 岡山操車場には、伊豆急行のロイヤルエクスプレスが入線中。現在瀬戸内や四国界隈を回っている模様。JR九州のななつぼし、鉄道国有化前の九州鉄道のぶりる客車をモチーフにしたような車両が登場以来、寝台車と名のつくものはこの手の大金のいるイベント用豪華列車ばかり。かつてのように夜寝て移動する必然性もほとんどなくなり、そこまでしなければいけないような区間には飛行機でという時代ですから、まあしゃあないわな。


 スーパーやくもは山陽本線の岡山‐倉敷間をわずか10分で走破。

 倉敷からも、幾分乗車有。

 1両に多くの客が入るため、座席はほぼ埋まっています。さすがに立客までは出ませんが。さらに幾分の客を乗せたスーパーやくもは、倉敷駅少し西のポイントをおもかじ一杯・大きく右に曲がって伯備線に。ここから備中高梁までは複線です。

 井原鉄道の分岐点である清音を通過し、総社に停車。

 なんとここから、親子連れと思しき3名が乗車。まとまって座れないからということで分散して着席される。ふと前を見ると、その方々、総社から出雲市までの乗車券と特急券を持っていることが判明。岡山や倉敷からだと200キロを超えるところだが、総社からであれば200キロ以内に収まるからね。そのことがわかって行動されている方々なのか、はたまた総社近辺の人なのかは不明。

 総社を出ると、豪渓、日羽、美袋(みなぎ)、備中広瀬の各駅を軽々と通過。豪渓には、小学生の頃2度ほど、一度は養護施設から、もう一度は短期里親でお世話になった家の方と一緒に近くにある滝まで行ったことがあります。あの頃はまだ気動車の時代でした。現在も活躍中のキハ40・47がデビューする前。17系や20系といった古い気動車に加え、元準急用のキハ26などが活躍していました。

 そして9時41分、備中高梁到着。ここで降りる人もいなくはないのだろうが、ほとんどいない模様。大体が、米子より先への人たちか。

 高梁を過ぎると、ここからは単線。ポイント制限もあるため、カーブこそ高速で走れるとは言え駅付近はそうもいきません。どうしても、そこは時間がかかってしまいますが、仕方ないでしょう。

 備中川面では、反対列車の待合わせ。やって来たのは、国鉄色やくも。あちらの方が目的だけど、しゃあない。帰りに、乗ります。なぜか中年の男性が1名、やくも撮影に来られていました。

 高梁川はここまで進行方向左側でしたが、このあたりから右側に沿ってくることも多くなります。

 川面発車後は、方谷、井倉、石蟹(いしが)と通過して、新見の市街地へ。

 かつての急行「伯耆」2往復とも、井倉には停車していました。気動車時代こそ全列車通過でしたが、電化後の「やくも」には、一部この井倉駅に停車している列車もありました。井倉洞などへの観光の玄関口ということ。

 ここも、1979年8月に短期里親の家の方と一緒に行きました。井倉洞の入口は列車の進行方向右側にしっかり見えます。

 お召列車をけん引したことのあるD51の838号機が、ここに静態保存されています。そのお召列車を運転したことのある元機関士の方が、岡山大学近くの喫茶店をされていました。現在は息子さんが不動産屋をされているようです。学生時代にその喫茶店で話を聞かせてもらったことがあります。

 石蟹駅を過ぎて間もなく、これまた進行方向右側に新見市役所と図書館を横目にちらり。そこまでバスに乗って移動しましたが、あちこちこまめに停まるので結構時間がかかった印象があります。その代わり、新見の町の様子がじっくりと楽しめましたから、それはいいか。


 かくして列車は、新見着。

 ここまでの人もいくらかはいますが、あまり乗降の動きはありません。ここから乗ってくる人もそれほどいない模様。昔は新見駅弁もありましたが、今はありません。図書館の寄贈に行ったとき、その業者の方にお会いして話しました。今も業者自体は駅前にあるようです。


 新見を過ぎると、布原駅をそろそろと通過。伯備線にとっては信号所扱で、芸備線の列車が停車します。ここにもなぜか、撮影をしている人が一人。

 これは、まだ今日は一人だけという意味。なんせ、蒸気機関車の時代から有名な撮影地ですからね。

 布原の先をさらに右にカーブし、備中神代駅を通過。

 ここから芸備線と別れ、伯備線はさらに山間へと入っていきます。

 高梁川の川幅も、かなり狭くなってきました。

 少しずつ、残雪がちらちらと見え始めました。もっとも今日は晴れ。

 立春まで、あと2日。

                               (つづく)

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