第2話 さあいよいよ、峠を超えて山陰へ。

 しかしまだ、岡山県。川は列車の反対側に流れています。

 神代の次、足立で運転停車。反対列車は、緑色のやくも号。

 ここにも、写真撮影中の方がおられました。

 ちょうど列車が停まったあたりには、かつて蒸気機関車が走っていた頃からあるであろう水道も残っています。列車待合わせ中に顔を洗う乗客も多数いたことかと思われます。特急電車では、わざわざそんなことをする必要ないですけどね。


 何とかすれ違いも無事終わり、さらに山の中へと突入。しばしば残雪が見られるようになってきました。

 足立の石灰岩の工場を右手に見つつ上り勾配を突っ走り、次の新郷を通過。まだ岡山県ですが、この後列車は少し長めのトンネルへ。

 この日はここで車内放送があり、谷田峠の解説が入りました。この峠こそが南の高梁川、北の日野川への分水嶺となっているとのこと。

 トンネルを走っている間に列車は下り勾配に入り、トンネルを出るとそこはもう鳥取県。山間に浜田、残雪がしばしばみられます。岡山県側ではあまり残っていない残雪も、こちらにはあちこちに。山間の田んぼなどには、まだ一面にうっすらと残っているところさえあります。

 上石見を通過すると、次は生山。この列車は営業停車します。

 この日はこれまでに反対列車の遅れなどで3分程遅れており、結果的に回復できぬまま。単線区間は仕方ないですね。備中高梁から米子までの間の複線区間は、井倉と石蟹の間だけ。川に沿った旧線から新線に置換えられている場所なので、折角だからということで複線化されている次第。さすがに新見から北にはそういう場所はありません。

 生山を出ると、あとは米子までノンストップ。ただし、行き違いあり。

 すでにこのあたりからは日野川の水系に沿って走っているため、川の流れは列車の進行方向に同じ。川の流れも沿線の道路のクルマも追い越しまくる振子電車は、なんだかんだで快適に進みます。


 この列車は車掌が一人乗務のようで、新見までは車掌室と自由席車の行ったり来たりが多かったのですが、新見を過ぎる頃には1両すべての検札も終わったため、特に行ったり来たりもなくなりました。

 新見到着前に検札をしていたとき、車掌にコンセントの場所を後ろのビジネス客が尋ねていました。


「何分古い車両でして、申し訳ありません」


 利用者にしてみれば、もはや、ね。

 食堂車や車内販売がないのは仕方ないと割り切れるにしても、コンセントがなくインターネット接続もないとなれば、悪いけど他当たりますわとなってしまうものです。昔の気動車から電車になる頃にしても、同じこと。利用者としては、快適で速い電車のほうがいいに決まっています。趣味人の感覚と利用者の感覚は、決して埋まることなどないものかと、つくづく感じさせられます。


 この列車では、生山からの乗客はなかった模様。後ろのビジネスマン各位も、これは仕方ないとあきらめて何とか対処されたようです。

 列車は下り勾配を全速力で下っていき、日野町の中心駅根雨も通過。気動車特急時代から一部停車列車もある駅です。それにしても、下り坂の振子電車は快適にすいすいと飛ばしはするものの、駅近くになるとどうしてもスピードが落ちます。そこはまあ、仕方ないことと言えばその通り。

 もはやパソコンを出してどうこうしても仕方ないと観念しておりますので、ここはもう、取材用ノートと手帳をテーブルに出し、ペットボトルの珈琲をすすりながらひたすらメモ、さもなくば短歌や俳句をひたすら書きまくりました。

 あとは、ひたすらひたすら、写真撮影。

 さあ、撮影するならば、そろそろ、これを写さずして何を写すかという場所が近づいて参りました。そう、伯耆富士こと、大山!

 伯耆溝口を通過するあたりから、進行方向右側に富士山の親戚にお会いします。

 そう、大山です!

 ここはもちろん、車内放送での案内が入ります。

 晴天ということもあり、あまり頭に雪を抱いていない模様。

 大山を右手に見るうちに、山陰本線と合流。伯耆大山の貨物駅、そして旅客駅と通過。この駅は急行「伯耆」時代は通過でしたが、電車化後は一部停車列車もあります。この列車は通過。

 伯耆大山を通り抜けた頃には、そろそろ、鉄道唱歌のオルゴールとともに米子到着の案内。車内がいささかざわつき始めます。東山公園駅を通過し、間もなく米子に到着。

 米子で、半数以上の客が降りていきます。その代わり、近距離客がいくらか乗車してきます。この列車はどうやら、車掌が交代する模様。基本的に「やくも」は気動車時代から車両も車掌も米子持ち。岡山は山陽本線と他の路線の扱いが多いことも去ることながら、何より山陰方面の人の便宜を図る列車であるということが、その扱いの大きな理由と言えましょう。


 米子を出ると、車掌は若い女性に交代。

 しばらく複線区間を走り、安来に停車。ここではそう乗降はないようです。

 列車はすでに県境を越え、島根県に入りました。

 安来から先は基本的に単線。たまに行き違いも発生します。

 荒島、揖屋、東松江と通過し、島根県の県庁所在地である松江に到着。ここでもまた、残った客のかなりの割合が下車していきます。同時に、いくらかの近距離客も拾います。

 松江を出てしばらくすると、右側にはついに宍道湖が見えて参りました。

 乃木駅を通過。ここはかつて日本初の女性駅長が誕生したことで有名になった駅です。国鉄時代、1980(昭和55)年のことでした。

 乃木の次が、玉造温泉。私はここまで。

 早速下車の準備をし、リクライニングを戻して、ホームに。

 反対側のホームには、赤いパノラマやくもが停車中。最後尾となるパノラマ車の後ろで、親子連れが撮影中。私も、スーパーやくもを見送った後、いくらか撮影しました。

 撮影も無事終わり、地下道をくぐって駅舎へ。現在は無人駅となっており、券売機で乗車券と特急券が買える程度。岡山まで乗るとなれば、車内で精算しないといけません。もっとも帰りの切符は確保しているので、今回は大丈夫。


 さて、せっかくここまで来た以上は温泉に行ってみよう。

 というわけで、ここから歩いて十数分、温泉まで歩いて移動を開始。

 45年前に先輩が気動車特急を見続けた歩道橋ではなく、近くのガード下を潜り抜けて南側の温泉への道を歩きます。

 駅前はまだ残雪が少しばかり残っています。

 温泉街への道のほとりの民家にも、まだ雪が残っています。

 しかしさすがに、道路上にはもう残っていません。これなら安心。


 ぼちぼち歩くこと十数分、無事、温泉街に到着。

 目指している日帰り温泉を見つけ、ここでひと風呂浴びることに。

 入泉料は600円。確か別のホテルの案内に、150円の入湯税が別途かかると書かれていたので、普通に銭湯としては450円ということになるのかな。そうだとすれば、岡山市の銭湯の値段と一緒か。ただし、温泉を観光資源としているために地方税として温泉税という形で財源確保がなされていると理解。

 しかし、スマホの電源を補充できる場所がないや。

 そういう事態に備え、タブレットも持ってきておりますので、これで何とか今日一日、岡山まで持たせようというわけね。それこそ、家に帰るまでが遠足、もとい家に帰るまで電源を何とか持たせるのがこの取材、ってことですわ。


 かくして、生れてはじめて玉造温泉と名の付く温泉に入りました。

 さすがに、列車を眺めて4時間なんてことは、ねぇ。

 食事もとらないといけないし。

 とはいえまずは、温泉!

 ここの温泉、私にはどうも合うようです。

 生まれて50年以上このお湯につかれていなかったのは、ある意味残念。

 あんまり取材とか何とか、お固いことばかり言うのも考え物。

 というわけで、しばし温泉を楽しんでおります。

                      (つづく)


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