第24話 マイカは友達にがっつく
声がした。
「そこまで!」
それを合図に、地面を叩く音がやんだ。
大男とベアトリスのバトルも終わり、拳をぶつけ合った姿勢のまま、二人同時にその場で倒れた。
声は、建物の奥の、そこだけ一段高くなった場所からだった。
「稽古はコミュニケーション。決してキルタイムではないぞい」
人影が2つ。ひとつは、白髭の老人だ。顔はしわくちゃだが、筋肉はこの場にいる誰よりも丸く、大きく盛り上がっている。
もうひとつは――
「ベアトリス様。姉弟子の頼みです。トッティ様のお話を聞いては頂けませんか?」
――シャブリナだった。
トッティのお伴であるシャブリナは、元はヨワービ邸で働いていたのだという。ベアトリスの姉弟子ということは、この道場らしき集まりの関係者でもあったということか。
息も絶え絶えに、大男と肩を貸し合いながら立ち上がると、ベアトリスは答えた。
「了解です……でも姉弟子。私は、姉弟子や……」
と、目を泳がす。マイカが手を振ると、ベアトリスはちょっと頬を赤くしてうつむいた。
「……皆さんがいらっしゃってるのを、いま知りました。嫌だなんて私は言ってないし、まだ用件も聞いてないうちから、そんな……私は、姉弟子の頼みだなんて言われなくても、普通に、その……」
「強くなったわね。ベアトリス」
ベアトリスに近付くと、シャブリナは彼女の頬を撫でた。
「シャブリナ姉さま。あの、昨日もお会いできると思ってたんですけれど……」
「聞いたわよ。試験官の冒険者をやっつけちゃったんですってね。それも試験にならないくらいの圧勝で」
「えへへ」
試験の間、お伴の者は校舎の一角で待機させられていた。それでも休憩時間には子供達のところに行くことが出来るのだから、ベアトリスが望めば、トッティのお伴で来てたシャブリナと一言二言交わすくらいは出来たかもしれない。だがご存知の通りベアトリスは、休憩時間が来る前に試験でやらかして、他の子供達から引き離されてしまったのだった。
そんな二人の会話を聞いて、輪の男達から声が上がった。
「おいおいおい。勝ってたのかよ」
「昨日から思いつめた顔をしてたから。なあ?」
「てっきり外の奴に気合を入れられちまったのかと思ったぜ」
気合を入れられるとは、負けて悔しい思いをさせられるくらいの意味なのだろう。空気が緩み、温かいもので満たされてゆく。輪のどこかから放られた干菓子を噛み砕く。するとベアトリスと、彼女と闘っていた大男の傷がみるみる治っていった。それを見て、トレンタが言った。
『回復系のアイテムだね。あれがあるから、彼女は厳しい修行でも体を壊さず、好きなだけ強くなれたんだろう。確かにヨワービ卿の言った通り、噂で正しいのは1部分――『ベアトリスが武術の稽古に熱中し過ぎている』ってところだけだったのかな』
逆にいえば、それ以外は全部間違ってたということになる。
『『その両方ではない』っていうのも、なんとなく分かる気がするね――』
マイカは頷く。
ヨワービ卿は言った。『自分が馬鹿なのか愚かなのか、私には分からない。しかしこれだけは確かだと言える。少なくとも私は、その両方ではない』と。
ベアトリスが武術を習うことになった理由は問題ではない。ベアトリスが武術に熱中しすぎている――ヨワービ卿が嘘を吐いて隠そうとしたのは、そのことなのだろう。そしてそこから広がった、屋上屋を重ねたような嘘と噂を放置してしまっている。そのことは上手くない。かといって、世間体を気にしてベアトリスから武術を取り上げてしまっては、これもまた上手くない。
どちらが馬鹿でどちらが愚かなのかは分からないが、ヨワービ卿は、少なくともその両方の過ちを犯してしまうことはなかったというわけだ。
と、マイカがそんなことを考えてる間に、他のみんなは本題に入っていた――トッティが言った。
「ベアトリス。今日、僕が来たのは――昨日、君が秒殺した試験官。彼に、僕はまったく歯が立たなかった。悔しかったさ。でも、気持ちは明るかったんだ。空の蓋が外れたみたいにね。でも、君はどうだろう? もしかしたら、がっかりして学園に行くのが嫌になっちゃったんじゃないかなって思ったんだ。それで……正直に聞かせてほしい。君はいま、どんな気持ちなんだろう?」
ベアトリスは、静かに頷いた。
王都の貴族の子であるトッティは、同じく王都で育ったベアトリスとは顔なじみなのだろう。そうでなければ、こんな問いかけは不躾とそしられかねなかった。
「あの、私……」
言い淀むベアトリスの肩を抱いて、シャブリナが言った。
「いいのよ、思ってることを話せば。ひとつ話しただけではおかしく聞こえるかもしれない言葉でも、10話せば意味が見つかるかもしれない。考える前に、まずはあなたの心の中で起こってることをそのまま話してちょうだい」
マイカには、シャブリナの立ち位置というのがまだ掴みきれていないのだが、このようにベアトリスを導いて場を仕切ることを許されるような立場ということでいいのだろうか? いいのだろう。問題があれば、あの一番偉い人っぽい大きな老人が何か言うだろうし。
というわけで「あ、あう……あ……」と、なにか言いたげな感じのヨワービ卿のことは、マイカは全力で忘れることにした。
「がっかりした……違う。こんなものかとは、思った。
でも?
「泣いてる子……いた。怖がられるかも。仲良くなれないかも。だったら……いいかも。学園……行かなくていいかも。修行するだけなら……ここでいいから」
そこでだった――
出しゃばり、スタンドプレー、空気を読まない――あらゆる批判を差し挟む隙の無い速やかさで、トッティが言った。
「修行するだけって言ったね? じゃあ、他には何があるんだい?」
ベアトリスは目を丸くする。
いきなり何を言うんだという顔だった。
おずおずと、それでも答えた。
「お勉強、とか」
「他には?」
「……お友達を、作ったりとか」
トッティが言った。
きらっと笑いながら、手を差し出して。
「じゃあ、まずは僕と友達になろうよ」
いかん。
これはいかん――。
マイカは焦った。
しかし。
「あ、ありがとう……」
頬を赤くして。
つぶらな目に涙を盛り上がらせて。
ベアトリスが、トッティの手を握る。
マイカは逆上した。
(な、なんだそれなんだそれなんだそれ!! なんなんですかそれは~~!?)
これでは、まったく空気ではないか! なんか良いことっぽいこと言うタイミングを図って『あう、あう、あうあうあ~~』って結局なにも言い出せず後ろで唸ってるだけのヨワービ卿なみの存在感の無さではないか! 一件落着した後で『あれ、君、いたの?』なんて言われてしまうポジションではないか!
大人に囲まれてる時は控えめな立ち位置に退がるマイカであるが、子供同士の人間関係においては、ちょっとムキにならざるを得なかった。
「私! 私も! 私も友達だよ!!」
結果、必死の形相で飛び出し、なんとかベアトリスの背中に抱きつくことに成功したのだった。
「マ、マイカひゃ~ん」
ベアトリスの涙は、そんなマイカのいぎたない自己顕示欲に気付いてないがゆえに違いない。しかし、こちらには見透かされてたかもしれない――トッティが、にやりと笑って言った。
「ベアトリス。君を怖がるヤツなんて、いたとしてもほんの僅かさ。だって君の後で、君よりもっと凄いことをやらかした子がいたんだからね」
「ふえ……?」
目をぱちくりさせるベアトリスから目を逸らすように、一瞬、みんなが声を途切らせた。そんな一瞬へ、滑り込むように響く声があった。輪の男達の1人だった。
「まあ、武術に関しては、外の奴らから学べることなんて無いだろうけどな」
そしてそれを待ってたかのように、とでもいうか。そこで、ようやくこの人が口を開いた。いや、口は開きっぱなしだったのだが、ようやくそこから声を発するチャンスを得たというべきか。
この人――ヨワービ卿が、男に訊いた。
「それは、どういう意味かな?」
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猫は世界の支配者だった! ~失恋と死を経て、もっさり令嬢が人生をリスタートします~ 王子ざくり @zuzunov
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