『僕のアリアドネ』

小田舵木

『僕のアリアドネ』

 気がつけば。僕は囚われていた。

 ゆっくりと目を開けて。状態を確認する。

 パイプ椅子に縛り付けられている。

 そして。周囲を見渡せば。すり鉢状の穴の底に居るのだった。

 だが。僕はこんな事態になるような事をした覚えはない。

 …というか。この状態になる前の記憶がすっぽりと抜け落ちている。

 

 僕は椅子の上でもがく。

 とにかく。苦しいったらありゃしない。

 しかし。僕を縛り付けたロープはキツく締められていて。解けそうにない。

 全く。何でこんな目に遭わなければいけないのか?

 僕は悪いことをした覚えもないし、人に恨みを買った覚えもない。

 

「おおい。誰か、誰か居ませんかあ」なんて阿呆な台詞を吐いてみる。

 返事は当然ない―と思っていた。

「やあ、目覚めたかい…いや。眠ったと形容すべきか」女の子の声。

 彼女は。すり鉢状の穴の暗がりから出てくる。

 見た目は。普通の女の子。歳の位は僕と一緒。即ち中学生。

「目覚めた…ではなく。眠った?」僕は彼女の台詞をオウム返しする。

「そうだよ。そも。ここを何処だと思ってる?」彼女は僕の前に立って言う。

「現実世界の何処か…でも。ここに至るまでの記憶がない」

「よくよく考えてみるこった。君は少し前に何をしていた?」

「…」僕は想起してみる。確か…学校に居たはずなのだが…

「でも。君は今はここに居る」彼女は。僕の思考を読み取ったかのような返事をする。

「ここは…ここは。眠りの中か?」じゃないと。辻褄が合わない。彼女の台詞とも合わない。

「そうだよ。君の眠りの中さ」

「にしちゃあ。感覚がソリッドだ。まるで現実だよ」

「明晰夢って言葉もある」

「そら、そういう言葉もある。だけどさ。これはソリッド過ぎるんだ。現実感がありありだ」

「ま、気にすんなよ」

「気になるに決まってるだろ…そして」「君は誰だい?」

「私?いやいや、問うなよ。ここは眠りの中だ」

「記憶の再現。僕の知ってる誰か」

「もしくは。ユング心理学的に解釈して。君の中の女性せいの現れ」

「即ち―アニマ」

「そ。でも、そんな事はどうでも良くないかい?問題は。君が縛り付けられている事だと思うけど?」彼女は僕の目を覗き込みながら言う。

「…ここは夢なんだろ?という事は―僕は眠っている。レム睡眠だ。レム睡眠なら。体が言うことを聞かないのも納得できる」

「一応、ノンレム睡眠でも夢は見てるんだぜ?知覚してないだけさ」

「ま。何にせよ―僕は夢の中に居る。動けなくても問題はないね。そのうち目覚めるから」

「ところがどっこい。君はもう目覚めないかも知れないぜ」彼女は。フラットな調子でそう言う。

 

                  ◆

 

「目覚めない?」僕は訊き返す。

「そう。夢の奥底に囚われて―永遠に目覚めない」

「それは夢じゃなくて…昏睡だ」

「そう形容しても良いかも知れないな」

「いやいや。僕は至って健康な中学生だ。昏睡する謂れはない」

「何が起こるか分からんのが人生ってヤツだ。君はもっと現実のナマの感覚を大事にすべきじゃないかな」

「いやいや。ここは夢だろうが。何だよ現実のナマの感覚って」

「君が今、知覚している現象に素直になれって事だよ」

「冗談キツイぜ」

「こっちはマジだ」

「…んで?君は何をしに来たのさ?」

「そら。夢のあるじ様が落っこちて来たんだ。ツラ見にね」

「助けてくれるんじゃないのかい?」

「助けてやっても良い。だが。他人にモノを頼む時にゃ、それなりの礼儀が要る」

「…助けて下さい。お願いします」

「…良いね。その懇願する面。気に入った。縄を解いてやる」

 

 彼女は。僕の座っている椅子の後ろ側に周りこんで。縄を解いてくれる。

 僕はゆっくりと椅子から立ち上がる。

 …やっぱ。夢にしてはリアル過ぎる。それに。彼女はここがノンレム睡眠だと示唆した。普通、ノンレム睡眠の夢の場合。概念的な夢を見る事が多い―とモノの本で読んだのだが…

 

「本でかじった知識なんて。役には立たない。言ってるだろ。ナマの感覚を大事にしろって」彼女は相変わらず僕の思考を読んでる風。

「とは言え。知識は知識だ。ここは理屈にあってない」

「理屈なんて。仮説の一種だ。君はね。頭でっかちなんだよ。素直さが足りてない…そんなんじゃ…ここからは出られないぞ」

「ここから出る…ね。単純に目覚めりゃ良いんだろ?」

「頬でもつねってみるかい?」

「ああ」僕は頬をつねるが…いやあ。痛い。痛覚が仕事をしてらっしゃる。

「君は。今のところ深い眠りに就いている。簡単な刺激じゃ目覚めないぜ」

「ならさ。どうすりゃ良いんだろ?」

「簡単な事さ。ここはノンレム睡眠の底…即ちノンレム睡眠のステージ4。ここから這い出せば良いだけさ」

「簡単にモノを言うなあ。どうやって自分でノンレム睡眠のステージを逆行すれば良いんだよ?」

「このすり鉢状の穴を。上って行けば良いだけさ。簡単だろ?」

「案外にフィジカルな答えだな」

「概念なんて。体で乗り越えりゃ良いのさ」

「君は―とことんカウンターな存在だよ、僕にとって」

 

 僕は周りを見渡す。

 このすり鉢状の穴の底を見渡す。

 だが。登れそうな取っ掛かりはない。

 完全な絶壁が僕の前に立ち塞がっている。

 おいおい。これを登れってか。クリフハンガーにも程があるぞ。

 

「なあ。お前は上りゃ良いって言うが。完全な壁しかねえじゃねえか」

「うん。そうだねえ」

「そうだねえ、じゃねえよ。何か無いんかい」

「私には何も無いよ」

「『私には』?」

「そ。そも。私は君の夢の中の存在だぜ?この夢の一部な訳だ。夢に働きかける力なんてある訳無いじゃないか。むしろ。夢に働きかけられるのは君だ。夢の主なのだから」

「ってもなー。どうすりゃ良いのか皆目検討がつかん」

「イマジン。想像し給えよ」

「想像する…」

「想像、即ち創造ってね。この壁に取っ掛かりを創ってくれよ」

 

 僕は目を閉じて。

 目の前の壁に念じてみる。

 ボルダリングのホールドのようなモノでも生えろ、と。

 しばらく念じていたが―壁はうんともすんとも言わない。

 

「駄目じゃねえか」

「そういう事もあるさ―って。見ろよ、生えてきたぜ」

 

 僕が彼女から目を移すと。壁に取っ掛かりが生えてきた。

 ただし。見た目は、ボルダリングのホールドではない。

 肉塊のような何かが生えてきたのだ。

 

「気色悪いモン生やすなよな」彼女は言う。

「僕の創造力は変な方向で豊からしい」

「だな。壁に肉塊たあ。趣味が悪い」

「が。取っ掛かりは取っ掛かりだ。さっさと登ろう」

 

 僕は壁に張り付く。

 彼女は僕の後に続く。いわく「スカート穿いてるからな」

  

                 ◆

 

 壁は案外に高い。

 僕は必死に登る。出来るだけ下を見ないように。

 何せ。僕は高所恐怖症なのだ。

 

 しばらく登れば。

 壁の頂上に着く。

 僕はうの体で登りきる―と同時に。

 体が宙に浮かぶ感覚がした…

 

 今度は。無重力な世界らしい。

 その上。まるで宇宙みたいに寒いし。何なら酸素すらなさそうだ。

 ああ、このままじゃ死ぬ―

 

「創造し給えって言ったろ」彼女は、僕の近くを浮遊しながら口を動かす。

「…」創造ねえ。宇宙服でも創り出せってか?

 僕は。酸素の少ない中、目をつむる。

 そして。彼女と僕に。宇宙服を身に着ける想像をする―

 

「やれば出来るじゃん」彼女の声が聞こえる。ただし、機械音声だ。

「全く。何時まで。こんな綱渡りをすりゃ良いのさ?」僕は宇宙服のヘルメットに仕込まれたマイクに向かって言う。

「夢から目覚めるまでさ」

「…長い話になりそうだ」

「なにせ。まだ。ノンレム睡眠のステージ3だ」

「後。2と1。それにレム睡眠が残ってる」

「さて。君は何時まで知恵を回せるかな?」

「さあな」僕はそう言いながら、辺りを見渡す。

 

 想像通り。ここは宇宙だ。

 冷たい暗黒が身を包む。そして静寂。

 僕と彼女は。二人っきりで宇宙に居る。

 しかし。宇宙ってもっとスペースデブリ宇宙ゴミだらけだと思っていたのだが。

 案外に綺麗だ。ここが地球の近傍ではないからか?それとも?僕の想像する宇宙だからだろうか?

 

 僕は。宇宙服に付けたはずのジェットを噴射させる。

 そして方向転換。近くに星があるはずだ。

 ここは妙に明るすぎる。

 だが。星なんて。どこにも存在しない。

 ここは暗黒だ。何か光源はあるが。僕と彼女以外は何も存在しない―

 

「どうせ夢だ。理屈に合わんこともあるさ」彼女は言う。

「に。したっちゃ。不条理が過ぎるぜ」

「夢が不条理じゃなかった試しがあるかい?」

「ないね。大抵は意味不明だ」

「そりゃ。睡眠中は脳の神経がランダムにバーストしてる、道理に合う夢なんて滅多にない」

「それもそうか…しっかし。どうやってこの場から抜け出すかね?」

「だからあ。私に問うな。自分で想像してくれ」

「僕の想像力は変な方向に走るから」

「一々面倒みてらんねえよ」

「知恵を貸せ」

「世話の焼けるヤツだなあ…良いか、ここは宇宙なんだろ?宇宙を動くためには?」

「この宇宙服のジェットじゃ心もとない」

「でっかい船だ。ここを航海しちまうには」

「ああ、宇宙船」

「お前は頭でっかちの癖に頭が悪い」

「悪かったな」とか言いながら。僕は宇宙船を想像してみるのだが。

 どうやら雑念が混じったらしい。実際に出てきたのは…

 小さなボートであった。いいやあ、湖を渡るんじゃねえんだからさあ。

「お前馬鹿なの?」彼女は言う。

「ロマンチストと形容して頂きたい」

「宇宙をボートで揺蕩たゆたうアホが居るかよ」

「僕らが史上初だ」

「ま。四の五の言ったって始まらん。乗るか」

「無重力でどっか行っちまう前にな」

 

 僕らは。僕の創ったボートに乗り込む。

 すると。ボートは無重力から開放され。宇宙に浮かぶ。ああ、理屈にあってない。

 まあ。浮かんでくれたならだ。後は漕ぐしかない訳で。

 

「さ。しっかり漕げ。男よ」彼女は僕と向かい合いになりながら言う。

「公園のボートかよお」

「そんなもんらしいぞ」

「自分の創造力が憎らしい」

 

 僕たちは。ボートで。宇宙を揺蕩う。

 ボートは水をかき分けるかのように宇宙を進んでいく。

 だが。真っ暗な空間が続くだけだ。

 漕いでも漕いでも終わりが見えない。

 ボートのオールに暗黒の宇宙が纏わりつく。

 重いったらありゃしない。

 

「まるでデートだな。昭和の」

「まさしくな。今日日きょうび公園でボートなんて漕がねえ」

「何が良かったんだろうな、公園のボート」

「知らないよ。筋肉自慢にでもなったんじゃねえ?」

「マッチョイズム。女は男の筋肉に惚れる、か。馬鹿らしい」

「一応、お前も女なんだろ?」

「どうなんだろうな?一応男性器はないから女性かなってだけでさ」

「アニマを自称したじゃないか」

「あれはさ。あの場で適当に言った事だ。本当は。自分が何者かなんて分からないんだ」

「夢の一部だとも自称した」

「あれも仮説。私はこの世界の一部かもな、って思っただけ」

「とことん適当言うヤツだな、お前は」

「何者かでないと。君とコミュニケート出来なかった」

「で。適当に話をでっち上げたと」

「そ。訳知り顔でね」

「いい迷惑だ」

「だが。今んトコは上手くいってる」

「結果論だ」

「いいじゃないか。素直になれ。起こってる事を受け入れろ」

「…僕はお前に言いくるめられて。お前の都合の良いように転がされているだけなのかもな」

「かも知れんがいいだろ?状況は前進してる」

「前進してるのか?分からんぞ。こんな暗黒の中を漕いでるんじゃ」

「そろそろ適当なトコに着くだろ。これ私の勘」

「…」僕は黙ってボートを漕ぎ続ける。

 

                  ◆

 

 暗黒の中を延々と船を漕ぐ。

 これは実際にやってみると。かなりの苦行である。

 何せ。岸が見えない。宇宙の真ん中に。僕と彼女は放り出されている。

 

「これさあ。終わり、ないんじゃね?」

「…かも分からんね」

「おいおいおい、永遠にこれか?地獄じゃねえんだぞ」

「地獄の方がまだマシだ。終わりがあるからな」

「…いい加減。疲れてきた」

「ま。休憩がてら。少し浮かぼうや」

「流されないと良いけどな」

 

 僕はボートを漕ぐのを止める。

 そして。ボートで宇宙に浮かぶ。

 いやあ。全くの暗黒。終わりはない。

 僕は再び漕ぐのが面倒になって。ボートの底に寝転がる。

 見渡す宙は。終わりのない暗黒で。

 

「これさ。漕いでるってアプローチが間違いじゃねえか?」

「と。言うと?」彼女も。ボートの底に寝転がってる。

「このまま。漕いだって。終わり、岸はないって訳」

「んじゃあ?どうするよ?」

「いっその事。沈んじまおうか」

「宇宙の底にか?」

「そ。何かしらあるかも分からん」

「ま。そうしたいならそうしろよ。付き合ってやるぜ?」

「…嫌に従順じゃんか」

「こっちにも策はない。なら。夢の主に従うまでさ」

 

 僕は。ボートの上に立ち上がる。

 そして。そのまま。宇宙に向かって飛び込んでみる―

 

 ゆっくりと。沈んでいく。

 無重力だったはずの宇宙に重力がある。

 全く。理屈に合わない。今度は水の中に居るみたいだ。

 ま、宇宙服を着てるから。呼吸は何とか続く。

 

 僕は上を見てみる。

 彼女も。僕に続いて宇宙に落っこちてくる。

 

「湖に沈んでるみたいだな」彼女は言う。

「だな。しかし。底はあるのだろうか?」

「ある事を期待しよう―いや。お前が考えろ」

「想像しろってかい」

「そ。この宇宙の底を創ってくれ」

「簡単に言うなよな」

「簡単に言うさ。お前が夢の主だ」

「宇宙の底ねえ」僕は考え出す。

 宇宙の底…と言うより。宇宙の終わりは。

 ブラックホール。そう。ブラックホールだ。

 

 僕は過去に映像で見たブラックホールを想像する。

 確か―どら焼きみたいな形をしてたような…

 

「正確さは問わんぞ」彼女は助言する。

 そう。別に。正確なブラックホールを再現する必要はない。

 別の空間に繋がっていれば良い。

 

 沈んでいく宇宙の中に。渦巻が発生する。

 コレが。僕の想像したブラックホール…

 相変わらず想像力がまずい。だが。コイツで。

 この空間から脱出できるはずだ。

 

 僕と彼女は。 

 渦巻の中に吸い込まれる。

 強力な重力に押しつぶされて。

 永遠に圧縮され続ける―

 

                  ◆

 

 押しつぶされた僕と彼女は。

 宙に浮かんでいて。

 そして。重力に従って。落ちる。

 落ちた先は。柔らかい砂の上。

 いや。ここは―

 

「砂漠と来たか。あっちい」彼女は宇宙服を脱ぎだす。

「とりあえず。ステージ3は終了したっぽいな?」

「だが。またぞろクソみたいな世界が広がっているぞ?」

「あーあ。どうしたもんだか」

 

 僕と彼女は。二人っきりで砂漠に居る。

 恐らくはノンレム睡眠のステージ2。

 そこは荒涼とした砂漠。何もない。

 いや。何もないのは相変わらずか。

 

 とにもかくにも歩き回って見る他はないのだが。

 見渡す限りの砂、砂、砂、砂。

 どこがどの方角なのかもわかりゃしない。

 

 吹き出す汗。

 僕は宇宙服を脱いで。身軽になって歩き出す。

 後ろには彼女。

 

「終わりが見えないのは相変わらずか」僕はボヤく。

「夢に終わりなんてあった試しがあるか?」

「ないね。いつも突然眼が覚めて終了する」

「だろ。だから今回も。お前が終わりを想像するしかない」

「しかし。砂漠の終わりって何だろうな?」

「私に訊くな。大した想像力はない」

「…」僕は考えてみるが。いかんせん暑い。頭が上手く働かない。

「さあさあ。お前が迷ってる内に。私らは乾燥して死ぬぞ?」

「死んだら夢から覚めるかね?」

「いいや。リンボに落ちるかもな」

「リンボ?」

「現実に覚めずに。夢の中に囚われて終了…ってな訳だ」

「そりゃゾッとせん」

「頭を働かせろ、口を動かす前にな」

 

 僕は。砂漠の真ん中に立ち尽くして。

 上手く働かない頭をフル回転させて。

 砂漠の終わりを想像してみるのだが。

 いやあ。想像力が足りない。そもそも砂漠初体験だ。

 

 踏みしめる砂が。足を沈める。

 ああ。砂漠に囚われだしている。

 このまま。砂漠の砂の底に閉じ込められるかも知れない恐怖。

 それが僕の頭の回転を止める。

 

 だが。

 僕は。このまま夢に囚われている訳にもいかない。

 さっさと目覚めて…現実に回帰したい。

 現実…ね。何だか。あっちの方が遠い夢のように思える。

 今や。僕はこの眼の前の砂漠という現象に呑み込まれかかっている。

 

 僕は思考から脱出して。

 目を上げてみる。

 見渡す限りの砂漠。むせるような熱気。

 そして眼の前には蜃気楼が見える…

 それは砂漠の真ん中のオアシスだ。

 そこには。泉がこんこんと湧いていて。

 僕はフラフラとオアシスに向かって歩き出す…

 

「おい。どーした?急に歩きだして」後ろの方で彼女は言う。

「…向こうにオアシスが見える」

「あーあ。夢の中で夢を見出したよ、コイツ」

「アレは。僕だけに見えてる幻想なのか?」

「だな。私には何も見えん」

「いや。でもだ…よくよく想像したら―」

 

 僕は強く念じて。

 砂漠の真ん中にオアシスを登場させる。

 

「想像力の応用。いや。夢に慣れてきたな、お前」彼女は言う。

「コレで。渇いて死ぬことはない」

「助かったな」

 

 僕と彼女は。

 砂漠の真ん中に突如として現れたオアシスに行き。

 そこに湧く泉の水をガブガブ飲む。

 体に水分が沁みる。

 

 水分をしこたま補充してしまうと。

 僕はオアシスの草むらに寝転がり。

 空を見上げて。

 考えてみる。この砂漠から脱する方法を。

 しかし。考えるまでも無かった。

 砂漠の終わりを想像するのではなく。

 この空間の終わりを想像すれば良い。

 

 僕は立ち上がり。

 眼の前に扉を想像する。

 この空間の入口兼出口。そんな扉を。

 

 扉はあっという間に出現し。

 僕はそのノブに手をかける。

「さ。行くぞ。次の世界へ」

「頼もしくなったもんだ」

 

                  ◆

 

 扉をくぐれば。

 見渡す限りの書棚。壁一面に本が詰まった書棚が林立している。

 上を見上げれば。書棚が重なり合い。うずたかく層を成している。

 それが円形に広がり。ドームのような形を成している。

 

「ここは…何だ?」

「お前の記憶庫じゃねえ?見た感じ」後ろから着いてきた彼女は言う。

 

 僕は壁の書棚から本を引く抜く。

 そして本を開いて見るのだが。そこにはどの言語とも似てない記号が印刷されていて。

 まったく解読できそうにない。

 そして。潜ってきた扉は。いつの間にか書棚と化している。

 

「おいおい。閉じ込められたぞ」

「ま。悲観すんなや。これで。ノンレム睡眠とはおさらばさ」

「ノンレム睡眠のステージ1」

「そ。後はレム睡眠の層が残るだけ…この層を脱出出来たらの話だが」

 

 僕と彼女は。この記憶庫の中を彷徨さまよってみる。

 時折書棚から本を引き抜きながら。

 だがどの書籍も。意味不明な記号が印刷されているだけだ。

 

 書棚を一周している最中に。

 ハシゴを発見する。それで上の層に登れるが。

 登ったところで。あるのは書棚と本だけ。

 

 僕は書棚の上に寝転がる。

 今度こそ詰んだ感覚がある。

 なにせ。意味不明な言語で書かれた本の海の底にいるようなモノだ。

 

「僕は目覚められるのだろうか?」

「目覚めたいんだろ?」

「だけど。あるのは意味不明な本達だけだ」

「ここで。頭を働かせろい」

「限界だよ、宇宙、砂漠、書籍庫…そろそろ想像力も尽きる頃だ」

「扉でも開きゃ良い」

「その扉が何処に続くのか保証はない」

「諦めんなよなあ」

「諦めたくもなるさ。こんだけ意味不明な夢ばかり見てたら」

「夢に意味を求めるのは暇人のやる事さ」

「それを言い出したらキリがない」

「まあね。んで。どうすっかね?」

「う〜ん」僕は試しに。本を創造してみる。

 右手に。文庫本が現れるが。それを開いても。意味不明な言語が印刷されているだけだ。

「駄目だ。本を創ってみたけど。この状況に則した本を創っちまった」

「もっと想像力を働かせるんだ」

「ってもねえ」とか言いながら、僕は次の本を創造する。

 今度は写真集。その写真集は―

「学校だ。僕の通っている中学校」

「…そいや。君は。学校に居たんだよな」

「言ったっけ?」

「何となく分かる」

「さて?この写真集をどうすれば良いか?」

「この中に。お前と私をれちまえ」

「は?」 

「だから。この写真集の中に遷移する訳だ。お前の夢の前の状況とリンクする」

「やってみる」

 

 僕は。中学校の写真の中に。自分と彼女を想像する。

 この写真集の中に。僕と彼女は居たのだ―

 

                  ◆

 

 

 気がつけば。

 僕は中学校の机の上に居る。

 そして眼の前の席には。彼女が居る。

 僕の学校の制服を着た彼女…

 ああ、彼女は。

 

「君は。僕の記憶の中の道行みちゆきさんだ」僕は言う。

「やっと気がついたかい?」彼女は言う。

「なんで。気が付かなかったかな?」

「夢の中だったからじゃないか?」

「それもそうだ」

「しかし。君をここまで引きずり出すのに苦労したぜ?」

「…君は。名前を失っていた」

「そして。夢の中の存在として振る舞っていた。それが正しい事のように思えてね」

「最初から。僕を導くつもりだったのか?」

「つもり、と言うよりは。そういう役目を君の夢から与えられた…と言うべきか」

「ま。なんにせよ。助かった」

 

「しかし。ここもまだ夢だよな?」

「一応そういう事になる。恐らくはレム睡眠」

「さっさと出るぞ」

「頬でもつねるか?」

「いいや。想像すれば良い」

「やりたいようにやれ。私は付き従うだけさ」

 

 僕は。想像する。

 この夢から覚めてしまう想像を。

 …最後に少し。彼女、道行さんの力を借りる。

「手を握ってくれないか」

「はあ?お前は。夢だからってスケベ心を出すんじゃない」

「いいからさ」

「はいはい…」

 

 僕の手に。温かい感触が触れる。

 それは道行さんの手で。

 僕はその手の感触に集中する―そうすれば…

 

                  ◆

 

「やっと目覚めたか。馬鹿野郎」彼女、道行さんの声。

「お陰様で。目覚めたよ」

「私は。寝苦しそうにしてたお前の手を握ってやっただけだ」

「それで眼が覚めた」

「あんまり力強く握りしめ過ぎたか?」

「いんや。僕の手は無事だ」

「あっそ。んじゃあ。帰るぞ」

 

 僕と道行さんは。

 荷物を纏めて学校の教室を出る。

 外は夕暮れ。

 大分、長い事眠ってたらしい。

 

 だが。彼女のお陰で。

 夢からは覚めれた…ま、夢の中で何をしたかは忘れちまったけどね。

 

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『僕のアリアドネ』 小田舵木 @odakajiki

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