第四十二(※残酷描写有り※)

※本話は、残酷描写がございます。苦手な方は次の第四十三からお読み下さいませ※




 見上げた木の枝にひっかかるようにして揺れているのが何か、白羅は、すぐには分からなかった。


 始めは、ただの赤い布の塊かと思ったのだ。


 その赤の隙間からだらりと垂れ下がる白いものが人の腕だと認識するのには、更なる時間を要した。

 ほっそりとしたはりのある肌は、若い女人のものと思われた。

 すでに生気をうしなった目は開かれたまま、瞬きもせず。木の枝を支えにのけぞる白い上半身には襤褸同然と化した布きれが、自身の血によって辛うじて貼り付き、揺れているのであった。


 放心したように見上げている間にも、新たに溢れては流れる赤が、その肌に幾つものすじを描いて、地面に血溜まりをなしていく。そして、その血まみれの腹の上に、覆い被さる――影。


 は、白羅の視線に気付いたが如く、己が身を起こして、白羅を見下ろした。


 口元をだらしなく血で濡らした顔面には目がなく、それでも耳の形や鼻から口にかけての造作は、人のそれに酷似している。しかし、こちらへ顔を向けてにやりと挙げた口の端からこぼれる牙は、やはり人のそれではなく、虎のように鋭い。体躯は羊のようにも見え、それらしき曲がった角が生えてもいる。獲物を押さえつけた両肢の下に光る、熾火の如き赤い瞳。明らかに人ならざる――かといって、ただの獣にも非ざるその、異形のすがた。


 魔性を帯びた眼が、ぎょろりと白羅をとらえ、次いでうっそりと細められる。


 新たに生暖かな雫が頬を濡らす。

 その、ぞくりとする生暖かさと、濃厚に漂う――血のにおい。

 白羅は、先程自分を濡らした温かな液体が、夥しい血だと、漸く自覚した。

 

狍鴞ほうきょう……!!」


 寧心か巍脩かが、吼えるように叫んだ。


 最悪の人食い妖魔である。

 本来ならば、未熟な自分達に対処出来るような相手ではない。

 なおも固まったままの白羅の前に、影が飛び出す。


「――何を呆けている!!」


 巍脩だった。迷いの無い背中が視界いっぱいに広がって、はっと我に返る。


「白羅。怖じ気づいたか!」


 尋ねたのが、或いは寧心だったら、素直に頷いていたかもしれない。が、巍脩を相手に、それを認めるのはだった。気を取り直した白羅は、「そんなことない!」と言い返して自分の剣を抜き、巍脩の横に立った。


 対する狍鴞はしかし、己が今まさに喰らっていた女人の遺体の、まだ食い荒らしていない胸の辺りへと嬲るように体重を掛ける。すると、余りにも簡単に皮膚が引き裂かれ、心の臓が引きずり出される。これ見よがしに掲げて見せたかと思えば、己の口に無造作に投げ込み、音を立てて咀嚼する。それからは、あっという間だった。


 残る頭や四肢などを、骨や皮ごと腹の中におさめてしまうと、赤く長い舌が、己の口元の血を舐め取る。凄惨な光景に吐き気を催しながらも、白羅は目を逸らさなかった。

 

 眼を逸らせば、湧き上がる恐怖心に負けてしまうだろうと思った。





――――――――――――――


【補足】

今回登場の妖魔は、超有名どころです。有名すぎるので別名で登場させました。

楽しい楽しい中国の地理書『山海經せんがいきょう』では、こちらの名前で登場しております。答えは次話の後書きに。


【ご報告】

近況ノートでもご報告させていただきましたが、

この度、本シリーズの「昊国秘史〈巻一〉~元皇太女、敵国皇太子に嫁入りす~」を、カクヨムの「政略結婚4選」でご紹介いただきました。

https://kakuyomu.jp/features/16818093085558546682


レビュワーの柚月なぎ様をはじめ、

この物語を目に留めて下さり、

ここまでお読み下さった方々に、深く御礼申し上げます。

ありがとうございます。


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