第16話
発育抜群女さんは、とても歌が上手かった。
お世辞抜きにして、とても上手い。
なんで今までカラオケでこの曲を歌わなかったのだろうと思うくらい、上手く歌っていた。
楽しそうに歌う発育さんが、歌の途中なのに、急に俺にとがった口を見せた。
「透明さん! 合いの手忘れてますよ!」
「……え、ああ、ごめん」
合いの手を欲しがるところ。
……なんだか、可愛いな。
俺も、全力で合いの手を入れる。
女の人のキーなんてよくわからないから、声が裏返ってしまっているが、発育さんはそんな俺のことも優しい目で見てくれていた。
サビの終盤に差し掛かると、萌え歌特有のセリフパートが入ってくる。
それに対しても、発育さんはしっかり歌い上げる。
「私の初めて、あなたにあげるよ。だからずーーーーっと見ててね!」
萌え歌って、過激な歌詞が多いんだよな……。
あらためて、なんて歌詞をしてるんだって思うよ。この歌……。
この曲の振り付けなのか、いきなり俺の方に寄ってくる発育さん。
そのまま、顔を近づけてきて。
スポットライトから、俺を隠すような立ち位置になる発育さん。
その時、俺はなぜか、『皆既月食』という単語が思い浮かんだ。
月と太陽が重なる瞬間。
食べるって表現を使うのは、なんでだろうな。
それは、文字通り食べているのかもしれない。
どちらが食べているのか。
その答えは、当事者にも分からないかもしれない。
唇に感触が伝わったので、俺が食べたのか。
俺の方が食べられたのか。
唇に柔らかい感触が残っていた。
皆既月食の位置から発育さんが元のポジションへと戻っていく。
「ドッカーーーン!」
そんな余韻を残させない歌詞……。
何事もなかったかのように続きを歌っていく発育さん。
単純に、こういう振り付けだったのだろう。
発育さんは、素直にそれを実行しているだけだろうな。
楽しそうに笑って歌っている。
ドキドキしたのは俺だけなんだろうな……。
俺は、こんな天真爛漫な発育さんのことが、少し好きになり始めているのかもしれないな……。
歌は一番が終わって、二番が始まった。
伴奏をするお姉さんも、ボイパをするお姉さんも、二人ともこの歌を詳しく知っているのだろう。
何の支障もなく進んでいく。
俺もしっかりと把握している。
二番目の歌詞も、同じ部分が出てくるはず。
来るってわかっていれば、準備もできる。
今度は、俺からしてやろう。
こんなチャンス、滅多にあるもんじゃないからな。
サビに近づいてくると、なんだか緊張してくる……。
和やかに皆既月食を待ち望んでいたが、サビに入る前に、魔王が戻ってきた。
番台さんがニヤけ顔から元に戻って、俺と発育さんを見て来た。
「……おっ? なんだ、このショーは? 私が見ていた未来と違っているような……」
番台さんが見ていたのは、どんな未来なんだか……。
「もしかして、私が未来を見るっていう行動をしたばかりに、未来が変わってしまったのか……?」
それが本当だとしたら、未来を見る能力も、やっぱり役に立たない能力かもしれないな……。
番台さんの話を聞いて、俺が早々に透明状態を解除したことによって、番台さんが見ていた未来を変えられたのかもしれない。
「まぁいい。多少違うとしても、お前の運命は変わらないからな! 透明になれなければ、見えるわけだから!」
番台さんがそのセリフを吐いた瞬間、スポットライトが消えて、いきなり真っ暗な夜が訪れた。
「……なんだ、停電か?」
音楽とボイパだけが流れている浴室。
二度目の皆既月食は行われることなく、音楽もボイパも鳴りやんでしまった。
あまり上手くない鼻歌とボイパだけが浴室に響いている。
それでも、アカペラで歌う発育さん。
「私の二回目も、あなたにあげるよ。だからずーーーーっと見ててね!」
俺は、合いの手を入れる。
ライブ会場に行くようなやつが入れる合いの手。
いわゆるコールっていうやつだ。
「ずーーーーっと見てるよ! 愛してる!」
真っ暗な中でも、月食というのは起きているんだ。
知らないだろうけど。
俺のコールに、「ヒューヒュー」と、歓声が起こる。
真っ暗闇。
音も、「ヒューヒュー」としか聞こえない状態。
俺は、ここぞとばかりに、発育さんの手を取った。
「続きはカラオケで聞いてやるから、今は逃げるぞ!」
「……えぇー良いところだったのに」
天然娘は、扱いにくいな……。
カッコ良く連れ出させてくれよ。
俺は発育さんの手を引っ張って、浴室の出口へと走った。
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