第6話

 ふぅー……。


 どうにか、番台さんをごまかせたな。

 番台さんと俺と、お互いに恥ずかしい思いはしたけれども。


 本当に危機一髪だった。



 俺は、洗い場の椅子に腰かける。

 前にある鏡を見ると、しっかりと自分の顔があった。


 透明になったときには、ちゃんと元に戻れるのかって不安になる部分はあるけれども。

 今日も大丈夫だ。


 鏡越しに、汗をかいてベトベトな自分の髪が見える。

 こんな髪をしていて、よく風呂上りだってバレなかったな。

 やっぱり、恥ずかしかったけれども、臨戦態勢が役に立った形かもしれない。


 でかしたと、言って褒めておこう。


 特に深い意味は無いけれども、家に帰ったら思いっきり撫でてやろう。



 俺は身体を洗おうかと思ったが、ボディソープやシャンプーを置いてきたことに気がついた。

 旅館にあるような温泉とは違って、町中にある銭湯には備え付けのシャンプーなどは無かった。


 戻るのも大変だし、とりあえず、お湯で流すしかないな。

 お湯だけだったが、しっかりと身体を洗い流して、湯船へと向かう。



 その頃には、臨戦態勢も解除されていた。

 小さくまとまるのも、日本人らしい奥ゆかしさがあると、俺は思う。


 俺のピンチを救ってくれたからな。

 俺の良い相棒だ。



 浴室ヘシャンプーも持ってきていないが、タオルを持ってきていなかった。

 そのまて、生まれたままの姿を晒しながら湯船へと歩みを進める。


 湯船へ着くと、そのまま入る。

 湯に、肩まで身体を沈めていく。

 湯船の底に腰を付けて、ゆっくりとくつろぐ。



「はぁーー、いい湯だーー……。気持ちいい」



 なんだか、一気に疲れたな。

 透明人間になれたらやりたいことだったが、計画を立ててから来ないと大変だということが分かった。


 部活も休みである今日しかチャンスが無いと思って、勢いで来てしまったからな。

 今度来るときは、ちゃんと準備をしてから来よう。


 その時は、また、あの子に会えるといいな。

 発育抜群女。



 ……あぁ、いかんいかん。

 男湯で、臨戦態勢になるところだった。

 そうだとしたら、本当に危ない奴だぞ。


 落ち着こう。


 俺は、湯の中にある自分の身体を見つめる。


 ……あ、ちょっと、手遅れだったかも。

 ……あちゃー。


 通常状態に戻ってからじゃないと出られないな。

 こんなの人に見せることじゃないし。



 しばらく落ち着くと、だんだんと身体は元に戻る。



 女湯に入ったことの言い逃れだったけれども、あれが通常状態だなんて、よく信じてくれたな。

 そんな、やつの臨戦態勢を見てみたいよ。


 本当はこんなにこじんまり。



 ……って、あれ? ‌待てよ。


 番台さんが、臨戦態勢を通常状態だと信じているとしたら、本当の通常状態を見せたらまずいんじゃいか?

 さっきの言い訳が掘り返されて、『女湯に入っていたから臨戦態勢になった』ということがバレてしまうのではないか?



 俺は、その考えに至ったところで、俺の臨戦態勢は完全に解除されてしまっていた。



 ……あぁ、これじゃだめだ。

 どうにか、しないと。


 さっきまでは、三分以内にやらなければと思っていたが、今度は時間無制限でも、やらなければならないぞ。




 ◇




 俺は、臨戦態勢にならないまま、一時間ほど湯の中に使っていた。


 出るに、出られないのだ。


 番台さんが、俺のことを忘れてくれていると嬉しいんだが。

 おそらく、あの子は頭が回る子。

 絶対に俺のことを覚えているはずだ。


 これは、まずい状況。



 そうやって焦れば焦るほど、あの状態になるのも難しい。

 なんという浅はかさだろう、一時間前の俺……。


 今度から、脱出するまでの計画も立てておかなければいけないな。

 ピークの時間が過ぎてきていたんだろう。

 周りを見ると、段々とお客さんも減ってきていた。


 こんな人が少ない状態じゃ、見つからずに出るのも至難の業だし。



 一時間湯に浸かる間に、最終手段として一つ考えたんだ。


 日付が変わるまで湯につかって、日付が変わったら、また透明人間になって出ていく。

 本当にどうしようもなかったら、そうするしかない。


 そんなことを考えつつ、いつまでも臨戦態勢になれないでいると、浴室のドアが思い切り開け放たれた。

 男湯だというのに、そこには女の人の姿があった。



 バスタオルを身体に巻いて、頭にもタオルを巻いて髪をまとめている。


「この中に、覗きがいるぞ!!」


 大声で、そう宣言すると、浴室内で声がエコーされるように響いた。

 浴室にいた男性たちは、ポカンとした顔で入ってきた女の人の方を向いていた。


「……おいおい。覗きは、お前の方だろ。せっかく開放してやったっていうのに、男湯にくるんじゃないよ」



 俺は、その二つの声に聞き覚えがあった。


 よくよく見れば、その二人。

 バスタオルを巻いている方は、発育抜群女さん。

 ツッコミを入れた方は、番台さんだった。


「私は、心の声を聞いてわかっているんだ。女湯を覗いてきたやつは、男湯に隠れている! ‌早く出て来い! ‌出てこないなら、覗き返すぞ」


 もはや、覗きも何も……。

 自分から、ほぼ裸の状態で、男湯へやってくるって。


 やっぱり、発育抜群女さんは、頭の方は少し残念なのかもしれない。

 もしくは、本当に痴女的な見せたがりなのか。



「番台さんとのやり取りで、分かってるんだぞ! ‌通常状態であれが凄いやつが犯人だ! ‌私が見てくから、みんな見せろー!!」

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