いつか同じ朝焼けを見たい

セツナ

「いつか同じ朝焼けを見たい」

 私には3分以内に、やらなければならないことがあった。

 30秒で顔を洗い、2分で着替えを済ませ、10秒で髪を整え、20秒で靴を履く。

 そうすることで、3分で家を出られるのは既に検証済みだ。

 故にこの時間まで寝てしまう自堕落な自分を叱りたい気持ちはあるが、今はそんな事を言っている場合ではない。

 髪をくしで整えて、靴を履いた瞬間に目覚ましのスヌーズが鳴り響いた。

 うん、今日もギリギリ出社完璧。


 家の前の道をヒールの靴で思いっきり駆け抜ける。

 この道は走り続ければ5分で駅に着くことを知っている。

 借りた時には駅から徒歩5分のうたい文句だった事は一生許さない。走らなきゃ間に合わないじゃないか。

 ホームを抜け、階段を降りると丁度電車が着いたところで慌ててそれに駆け乗る。

 電車はいつも通り人が沢山詰め込まれた満員電車で、圧迫死の可能性はないがそこそこ動きづらいような電車だ。

 駆け込んだ先、満員電車なのにふわりと香ったいい香りに視線を上げると、そこには目を見張るほどのいい男が立っていた。

 色素の薄い感じの無理に染めている風に見えない栗色の髪。ビシっと決まったスーツに、女の割りに背が高い私でも少し見上げる程の長身。鼻筋の通った顔は中性的な様子だ。

 一瞬で彼に目を奪われ、同時に思い当たる記憶に目を見張った。


咲弥さくやくん?」


 その姿は、幼い時に仲の良かった男の子が、そのまま大人になったかのような姿で、私はついその男の子の名前を読んでしまう。


「まひるちゃん?」


 すると彼も私の名前を呼んでくれる。

 大人になると恥ずかしい、私には可愛らしすぎる名前。


「まさか、こんな所で会えるなんて……偶然だね」


 私は驚く気持ちを隠しながら、平然を装いながらそう言った。

 彼は幼い私の初恋の相手だ。


 大好きだった相手にまさかこんな所で再会できるなんて思っていなくて、自分の容姿が気になってしまう。

 走ってきたから汗の匂いとか凄そうだし、髪の毛はくしで一回とかしたくらいだし、化粧なんてしてないし!

 こんな、咲弥くんに会うって分かってたら、もっとしっかり身だしなみを整えて来たのに。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼は平然と話を続ける。


「そうなんだ。会社の転勤でこっちに越して来て……まさか、まひるちゃんが居るなんて思わなかったからビックリしたよ」


 彼の告げた駅は、先ほど私が駆けこんだ駅と一緒、そう最寄り駅が全く同じ事が判明したのだ。

 私たちはお互いの仕事先の駅を伝えあうと、そこはやや離れていて少し残念だった。

 運命じみたものを感じたけれど、そこまで現実は甘くないか。

 そう落ち込んでいると、咲弥くんから私に嬉しい提案をしてくれる。


「再会記念にさ、今日仕事帰りに待ち合わせて飲まない? ちょうど金曜日だし明日に響かないでしょ?」


 夢にも思わない初恋相手からの言葉に、私は「ぜひ!」と二つ返事で行くことを決めたのだった。


- - - - - - - - -


 彼と別れてからの時間は早かった。

 スキップでもしそうな程、ウキウキ状態で職場に向かい、仕事中は大嫌いな上司からのお小言も、右耳から左耳へと聞き流せるような鋼のメンタルを手に入れることが出来た。

 なんたって、今日私は初恋の相手と飲みに行くのだ。無敵だ。

 今の私に勝てるものなど居ないだろう。

 定時ぴったりにタイムカードを切るという、お手本のような定時退社をキめて、地元の駅に向かう。

 仕事終わりにデパートの化粧室でしっかりメイクを施し、髪型も綺麗にセットしなおした。

 抜かりはない。

 そして、ゆとりをもって時間を伝えていたために、余裕をもって駅の待ち合わせ場所に到着することが出来た。

 少し待つと、改札のホームから手を上げながら颯爽と降りてくる咲弥君の姿があった。

 恐ろしい程、様になるから遠くから見ても一目でわかる。


「お待たせ」


 と、彼が早足で私の所に駆け寄ってくる姿は夢でも見ているかのようだ。


「ううん、本当に全然待ってない」


 時間よりもまだ大分余裕があるし、彼も急いで予定を合わせてくれたのだろうか。

 彼の息が整うのを待って、私はおすすめのお店に彼を案内することにした。


「今日の今日だと、オシャレなお店とか予約取れなくて……居酒屋になっちゃうんだけど、いい? 味と品揃えは保証するから」


 店の前に着いて、申し訳なく思いながら伝えると、彼は「まひるちゃんが選んだお店なら外れないよ」と言ってくれた。

 その言葉に後押しされるように中に入ると、いつも出迎えてくれる中年女性の店員さんが席に案内してくれる。

 どうやら、今回は気を利かせてくれたのか、やや奥まった席の半分個室のような席で、その気遣いが逆に恥ずかしくも感じる。


 席に着くと早速お互い1杯目を頼んだ。

 彼は「ビールは苦手なんだ」とカクテルのブラッディ・マリーを頼んだ。

 最初にこのお酒を頼む人は珍しいな、と思ったが黙っている事にした。

 私は大好きなジントニックを頼むと、お酒はすぐにやってきて早速乾杯。


「乾杯」


 と、グラスを合わせてから私が「何に乾杯?」と聞くと、彼は「この再会に、とか?」と笑った。

 その笑いはどこか照れたような様子で、恥ずかしくもあるが微笑ましく感じる。


 料理を頼むタイミングになり、私はこれでもかと彼にオススメの料理を伝えた。


「このだし巻き玉子すっごく美味しいからオススメ、あとこの唐揚げも美味しいんだぁ、タルタルソースがイチオシ!」


 と、水を得た魚のようにおすすめの品を指さすと、彼は柔らかく笑って「じゃあ全部頼もうか」と言ってくれた。

 料理も頼んでからすぐに届いて、仕事終わりの空腹を早い段階で満たすことが出来た。

 しばらく今まで何をしてたのかとか、昔のたわいもない話に花を咲かせていると、突然彼が笑い出した。


「どうしたの?」


 あまりに急だったから驚いてそう尋ねると、彼は「いや、それがね」と笑った表情のまま私の唇を指した。


「まひるちゃん、ずっと口にタルタルソースついてるから」


 言われて初めてそのことに気付いた私は慌てて、口元のソースをティッシュで拭った。


「気付いてたなら早く言って欲しかったな」


 と、少し怒って彼を見ると、彼は「昔からタルタルソース好きだったもんね」と、答えになっていない返事を返す。


「まひるちゃん、昔から全然変わんなくて安心した」


 散々笑った後に、そんな風に優しく微笑みかけてくるもんだから、私は恥ずかしくなって目を伏せてしまう。

 その恥ずかしさを紛らわせるように、慌てて手元のお酒に口をつける。

 その時には2杯目のお酒に変わっていて、炭酸の効いたコークハイを一気に煽ったものだから、つい頭がグラっとする感覚に襲われる。

 その感覚になってから、酔いつぶれるまでは早かった。

 ご飯を食べれば大丈夫だろうと思われたが、一度回った酔いは抜けることなく、徐々に私の思考はぐにゃぐにゃになっていった。


 だから、咲弥くんがいつ会計を終わらせてくれたのかも分からないし、気付いたらタクシーに乗っていた。


「まひるちゃん、家の住所言える?」


 聞かれてずっと住んでるアパートの住所を伝えると、ゆっくりと車が動き出した。

 車内は静かで、視界の端に映る車のライトや夜景は現実感が無くて、ふわふわとした心地に包まれていた。


 駅から5分の名目なので、タクシーはすぐに停まり咲弥くんは私を支えながら降りてくれる。

 部屋番号を聞かれて、鍵を出してもらって中に入ると、彼はゆっくりと私をベッドに寝かせた。

 そして紳士的に、布団をかけて出ていこうとする、彼の服の裾をつい私は掴んでしまう。

 それがどう言う意味になるのかも分かっていたし、応えて欲しいと思っていた。

 しかし、彼は「まひるちゃんの事は好きだよ。でもダメなんだ」と言って、その私の手をそっと布団にしまい込んだ。


「危ないから鍵かけて郵便受けに入れておくね」


 とまで言って、宣言通りに部屋から出て行ってしまう。

 あぁ、やっぱり私は魅力無いのかな。

 彼に釣り合う女じゃなかったんだな。

 そう思った瞬間、目の端から涙が一滴こぼれた。


- - - - - - - - -


 彼女はいつも強かった。

 思い出の彼女はいつも笑ってて、逞しくて、正義感に溢れていて、食いしん坊で、可愛かった。

 僕が彼女に出会ったのは、彼女が7歳の時だった。

 小学校に上がったばかりの彼女は、公園で一人で遊んでいる僕に優しく声を掛けてくれたのだ。


「あなた、名前はなぁに?」


 僕はそれに「さくや」とだけ返したのを覚えている。


 その公園にくる男の子たちは、いつも僕の事をイジメてきて、ちょっと怖かった。

 だから、この子もそうなんじゃないか、って身構えたんだ。

 でもそんなことは無かった。

 まひるちゃんは優しくて、こんな僕とも一緒に居てくれて、僕をイジメてくる男の子たちも蹴散らしてくれた。

 強くてかっこいい女の子なんだ。

 僕が女の子みたいで、ナヨナヨしてるからって男の子たちはイジメたりからかってきたけど、まひるちゃんだけは彼らに向かって「私は素敵だと思うもん!」と大声で言い返してくれて嬉しかったのを覚えている。


 でも、カッコいいだけじゃなくて、可愛いところもあるのだ。

 自分の事は置いておいて、他の人に優しくしたり、友達の事で悩んでくれたりするところも素敵だし、優しさだと思う。

 髪の毛がいつも変な方向に跳ねてるのも可愛らしい。

 何より美味しそうにご飯を食べる姿は、愛らしさに溢れている。


「あぁ……本当にまひるちゃんは可愛いなぁ」


 一人、誰にも聞かれない言葉を呟く。

 そして、タルタルソースを口元に付けていた姿を思い出し、ニヤリと口の端を上げる。


「食べちゃいたいくらい可愛い」


 言った瞬間、自分の唇に尖った牙が触れるのを感じる。

 僕は現代に生きる吸血鬼だった。

 まだ生まれて間もないから年相応の姿までしか変化できることが出来ないが、年を重ねれば年齢も自由に変えられる。

 この街に越して来たのは偶然だし、まひるちゃんが居るとは思わなかった。


 いつしか幼い頃に、彼女が転んでケガをした時があった。

 その時に見えた血の鮮やかさと、誘惑の激しい香りに立ち眩み、思わず血を吸ってしまいそうになった。

 僕は彼女をそんな風に見たくなかったから、その次の日に彼女の前から姿を消した。

 だから、本当はまた彼女に会ってもこんな風に一緒にいるべきでは無かったのだ。

 でも、一緒に居たいと願ってしまった。

 酔いつぶれた彼女に掴まれた時、どれほど彼女の事を抱きしめその首筋にかぶりつきたかったか。

 けれど彼女を汚すのは僕の中の僕が許さなかった。

 彼女の細い首筋を思い出し、牙が疼きそうになるのを慌てて頭を振る事で拭い去る。


「明日にはこの場所を去ろう。もう、二度と関わらないと誓おう」


 しかし、彼女の家の窓を未練がましく見上げてしまう。


「でも、もしも10年後。もし君がまだ僕を好きでいてくれるなら、その時は――」


 と、呟くけれど。

 その言葉の先は、男が一人消えてしまった闇夜と同時に飲み込まれていった。


- - - - - - - - -


 10年の月日が経った。

 僕は久しぶりに彼女の居る街に降りて、彼女の姿を探した。

 10年前に彼女に再会した駅に入ると、電車が丁度来たところでゆっくりとそれに乗る。

 彼女は来るだろか。

 と、辺りを見回した時どこからともなく「あ」と言う声が聞こえた。


 そちらを見るとそこには、少し年を重ねた事を感じるがほとんど変わっていない、まひるちゃんの姿があった。

 彼女は既に車内で発車するのを待っていて、10年前からは想像もつかない落ち着いた様子だった。

 その髪は綺麗にセットされていて、メイクもバッチリ決まっている。汗一つ感じさせずむしろ香水のほど良い香りを漂わせていた。

 人間の10年は、これほどまでに人を変えるのか。……いや違う、きっとこれは彼女の努力の証だ。

 呆気に取られている僕に、彼女はその目を嬉しそうに細めた。


「咲弥くん」


 それはとても優しく、その声だけで涙が出そうになってしまう僕がいた。


「まひるちゃん」


 名前を呼ぶと、彼女も泣きそうな顔をして唇を噛んだ。

その唇をゆっくりと解くと、静かに口を開いた。


「また、あなたに会いたかった」


 彼女の口から発せられた言葉は、僕の心を十字架で殴りつけてくるようだった。

 自分が決めたこととはいえ、彼女に辛い思いをさせてしまったのだ。受けるべき痛みだ。

 何も言えないでいる僕に、彼女は続けて言った。


「私、嫌われたんじゃないかって思って」


 僕は絞り出すような声でそれを否定した。


「そんな事ないよ」


 僕は君のことが好きだよ、と今伝えてしまうのはあまりに空気が読めないだろうか。躊躇われる。

 だって彼女にはもう新しい誰かが居るかもしれない。

 10年後にいきなり戻って来て、好きだと伝えるのはあまりに身勝手だろう。


「いきなり居なくなっちゃってビックリしたけれど……それでも、ダメダメだった自分を変えたいと思ったのは、あなたのおかげ」


「それは違うよ」


 突然、口を開いて反論した僕の言葉に彼女は「え?」と驚いた声を上げた。


「まひるちゃんは、とても優しくて強い人だ」


 ずっと、ずっとずっと思っていた事。

 ようやく、伝えられた。

 その言葉に彼女は「そっか……」と嬉しそうに微笑んだ。


「咲弥くん、私に素敵な夢を見させてくれてありがとう」


「そんな事、言わないで。それじゃあ、また僕が居なくなるみたいじゃないか」


「あら、しばらくは一緒に居てくれるの?」


 大人になった彼女は、僕を試すように笑う。

 僕はそれに「そうだなぁ」とわざとらしく肩をすくめた。


「とりあえずこの10年、君に会いたかった僕の言い訳でも聞いてくれない? 仕事終わりにでも、居酒屋でさ」


 僕の様子に合わせてか、彼女もわざとらしく考えるような仕草を見せた。


「どうしようかなぁ」


 唇に指を当てて、小首をかしげながら。


「前に行ったお店は潰れちゃったんだけど、その後にまた美味しいお店が出来たの。そこに連れてってくれるなら、いいかな」


 なんて、少し甘えるような視線をよこして。


「じゃあ、またこの前の時間に」

「えぇ、あの場所で待ってるわね」


 彼女と僕がそう別れを注げたところで、彼女の勤め先の駅に着いた。

 扉は開き、彼女はホームに降りていく。

 その後ろ姿をみつめて、視界の端から彼女が居なくなるまで見送った。

 夜が来たら、彼女になんて言おう。

 今度はきちんと僕から彼女に、人間の一生では足りない程の愛を、伝えよう。

 ちゃんと伝えられるかは分からないけれど、それでも僕の精一杯で彼女に答えよう。

 流れる街の景色を見ながら、そう心に誓った。


-END-

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