ペンギンマンニンゲンラン

鳥辺野九

ペンギンロードを冷たい風が吹く方へ


 アデリーペンギンの前頭葉を肥大化させたら流暢に喋りだしやがった。


「知っているか? 地球温暖化って奴は言葉のまやかしに過ぎないんだ」


 まったく。アデリーペンギンがこんなに口喧しい奴だと知っていたら、電化増脳手術など執行しなかったものを。私は自身の軽率さを呪った。運転中なので軽く心の中に止める程度で。


「地球は氷河期に突入しつつある。これは宇宙レベルでの自然のサイクルだ」


 軽トラックの狭苦しい助手席でアデリーペンギンは悠長に続ける。身振り手振りを交えて、見えない空気の塊を右へ左へと捌いているようだ。私はハンドルを軽く揺すりながら聴き役に徹した。


「惑星に自生している生物ごときがとやかく言える問題ではない」


 彼の言うことは概ね正しい。しかし少し間違っている。地球は自ら何もアクションを起こさない。太陽がまもなく休眠期に入る。それだけのことだ。


「太陽光が暑いな。この忌々しい窓を開けてくれないか?」


 アデリーペンギンは手羽先で軽トラックの窓をペシペシと叩いてくれた。もともと気性が荒いアデリーペンギンだ。嘴で窓を割られてはたまったものではない。窓は開けてやる。存分に風を浴びるがいい。


「これでいい。太陽光と風がなくて困るのは体温調節ができない爬虫類ぐらいのものだ」


 アデリーペンギンの首元を締めるネクタイが走行風にひらり煽られた。つるんとしたペンギンボディにゆるっと締められた黒くて細身のネクタイが踊る。冷えた走行風が車内に雪崩れ込み、軽トラックのラジオから流れるニュースの声すら震えて聴こえた。


『──を盗んだ犯人の特徴は未だ掴めて──」


「ニンゲンだって困るだろう。それらは発電に欠かせない希少な自然エネルギーだ」


 私はネクタイの踊りっぷりを目で追いながら彼に言った。ラジオニュースのアナウンサーの声はとりあえず放っておこう。


「それよそれ。太陽光発電と洋上風力発電が地球大規模氷河期への道標なんだ。早くニンゲンどもに滅亡への近道を突き進ませるべきだ」


 そう投げやりに言い捨てて、アデリーペンギンは風に乗って踊るナローなネクタイを左右の手羽先でようやく掴み収めた。


「これよこれ。ネクタイだとよ! 公式の場での発表にはネクタイが必要だとか言いやがる。何故論文を発表するのにドレスコードが必要なんだ?」


「良識ある者は裸にならないらしいな」


「俺が裸に見えるって? ニンゲンどもは何を言っているんだ。この立派な羽毛を何だと思っていやがる」


 アデリーペンギンの黒い羽毛は細かく密集し、とても艶やかだ。たしかにこいつなら氷河期の極寒に晒されても平気だろう。ペンギンはニンゲンのように防寒着に依存することはないのだ。


「それと何だ? ラジオが何か言ってやがったな?」


「気にするな。ニンゲンの戯言だろう」


「ニンゲンどもがまたほざいてるのか? いいじゃねえかよ。聴かせろよ」


『──水族館から盗まれたペンギンたちの行方も──』


「おいおい! おまえらのことだぜ!」


 助手席に小さく収まりながらも、アデリーペンギンは運転室後部の小窓から荷台を振り返った。軽トラック荷台にひしめく荷物たちもいきり立っている様子が喧騒から伝わってくる。


「俺たちの時代がもうすぐそこまで来てるんだ! 地球が全球凍結した時こそ世代交代の時だな!」


 荷台がさらに騒がしくなった。これでは目立ち過ぎる。

 私はアクセルを踏み込んだ。びゅうと音を立てて走行風が吹き込んでくる。さらに激しく踊るペンギンのネクタイ。私のハンチング帽も風にさらわれそうだ。


「いいぞ、いいぞ! もっと冷たい風よ吹け!」


 アデリーペンギンのボルテージは最高潮に達したようだ。まったく、よく吠えるペンギンだ。


「俺はニンゲンどもの前で大演説をかましてやる! 地球を燃やす火力発電は全撤退! 太陽光発電のソーラーパネルで全地表を覆い尽くせ! ニンゲンはエコって奴が大好きなんだろ?」


「一部のニンゲンは、な」


 本来なら地表を温めるはずの太陽光エネルギーをソーラーパネルで根こそぎ電気へと変換する。それは暴挙だ。熱量保存の法則に則って、地表の温度は下がる一方だ。そう、凍りつくまで際限なく。


「洋上風力発電を作りまくろうぜ! 再生可能エネルギーだって? バカ言ってんじゃねえニンゲンども! 熱は再生しない! 下がりまくるぜ!」


 海は風によって常に攪拌されている。海流が生じて暖かい部分と冷たい部分が丁度良く混じり合う。洋上風力発電で海上の風を奪い取ってしまえば、海の温度は自律調整されなくなる。間もなく温度の低いところは限界まで冷たくなり、やがて全球凍結の出来上がりだ。氷河期が訪れる。太陽光発電と洋上風力発電のおかげで、だ。


「エコな発電によって熱を奪え! 雪と氷に閉ざされた地球! それこそ俺たちの時代だ!」


 ネクタイを緩めたアデリーペンギンが手羽先を掲げて叫んだ。

 凍った海も、雪に覆われた大地も、そこはペンギンの楽園だ。ペンギンこそが全球凍結世界の支配者になれる。


「恐竜時代の再来だ! 待たせたな、祖先たち!」


 ナローなネクタイを締めたペンギンが遠い遠い祖先へ熱烈なラブコールを送る。軽トラックの助手席で、緩めたネクタイを風に靡かせて、アデリーペンギンは荷台の仲間たちを熱い演説で煽り立てる。


「ニンゲンどもを焚き付けるぜ! 太陽光発電と洋上風力発電をフル稼働だ! 自らの手でその首を絞めさせる! 大氷河期への記念すべき第一歩を踏み出させるのだ!」


 軽トラックの荷台にひしめき合うキングペンギンたちが雄叫びを上げた。なかなか壮大な第一歩ではないか。我々ペンギン族が、恐竜の子孫として、雪と氷に閉ざされた地球に再君臨する日がついに訪れるのだ。これがアクセルを踏まずにいられるか。


『ペンギン窃盗事件の続報です。ペンギンを盗み出したペンギンは、軽トラックに盗難ペンギンを積んで国道4号線を南下中とのこと──』


 私は軽トラックのラジオをひねって消した。国道4号線を南下だって? 我々はとっくに国道を降りているちょっと寄り道だ。また別の水族館でペンギンたちを解放しなければならない。


「なあ、コウテイペンギンさんよ」


 助手席のアデリーペンギンがシートにどっかりと腰を据えてこちらに嘴を向ける。手羽先でネクタイを締め直し、晩飯のメニューでも尋ねるように流暢に喋りだしやがる。


「ところで、俺たちは何処へ向かっているんだい?」


 それは種としての未来への展望か。それとも電化増脳手術を受けたコウテイペンギンである私が運転する軽トラックの目的地を聞いているのか。

 どちらでもいいか。ペンギンが望む氷河期は明日の方向にある。ペンギン族の皇帝である私は明日へ向かってアクセルを踏むだけだ。


「ニンゲンが多い場所を目指して」


 アデリーペンギンは嘴を縦に振るった。


「ニンゲンがうじゃうじゃいる場所か! そいつは景気がいいな。地球環境を変える演説にうってつけのハコを頼むぜ」


「ネクタイ締めたペンギンが真摯に訴えかければ、心を打たれないニンゲンなどいない。我々の演説は、やがてニンゲン全体の偽物の環境保全運動に繋がる。それまで、私はアクセルを踏み続けるだけだ」


 水掻きのついた足でアクセルペダルをぐいと踏み込む。荷台のキングペンギンたちも冷たい風に歓喜の雄叫びを上げる。


「遠慮なくぶっ飛ばしてくれ。氷河期が来るまでネクタイを締めてニンゲンを説得し続けないとな」


「ああ。氷河期まで止まれない。頼むぞ、アデリー」


 ニンゲンたちへ告ぐ。地球を冷やすために必要なのは環境保全活動でも人類減少でもない。心動かす演説と愛のあるカリスマ性だ。アデリーペンギンの白いアイリングにはニンゲンを惹きつける魔力がある。こいつのキャラクターならニンゲンも演説を聞いてくれるだろう。


「カワイイは正義だ」


「ああ。カワイイ奴の声はデカい。ニンゲンどもをひれ伏せさせてやるぜ」


 氷河期を待ち望むペンギンたちを乗せて、軽トラックはさらに速度を上げた。全球凍結の氷河期まで、もう少し。

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