第29話:そんなに戦争の道具にしたいのでしたら見せてあげます。理士の闘い方を

 歩とソフィアは展望デッキフロアを進む。

 下階へ進むスロープに入る辺りでコウが後ろ手に腕を組んで待っていた。

「待っていましたよ、歩くん。お久し振りです。その紋様、リシになりましたか」

 コウは二人を見つけると手を広げて歓迎する。

「……どうも」

 白龍運送で初めて会った時のような紳士然としたその仕草に歩は面食らった。

「それにソフィアさんも。その姿、懐かしいですね。何年振りになりますか?」

 コウは歩への挨拶を済ませると、視線をソフィアに移す。

 人間となった彼女の姿を睨め回すように見つめると懐かしむように話しかけた。

「……仰っていることがわかりません」

 ソフィアはコウの話の意図が理解出来なかったが、警視庁でミンもおかしなことを言っていたのを思い出し、その気味の悪さに顔を強張らせながら応えた。

「ああ、そうでしたね。最早別人格なのでしたか。顔立ちがそっくりでしたのでついつい昔話をしてしまいました」

 ソフィアの反応に首を傾げたコウであったが、逡巡し手を打って独り納得する。

 ミンの話、いまのコウの口ぶり。

 ソフィアの記憶の中で何かが蘇ろうとしていた。

「まさか……」

 ソフィアはその記憶を思い出さないように抗おうとするが押さえられず、恐怖に顔面を蒼白させていく。

 その様子を愉しみながら、コウは思い出話を続けた。

「2035年のクリスマス……フィラデルフィアは雪が降っていて大変寒かったのを覚えています」

 眼鏡のブリッジを指で押し上げたコウの口角が歪む。

「あ……ああ……!」

 虫食いのブランクデータであったその記憶が、人間になったことにより欠損部が修復されていき、ひとつの塊となっていく。

 ソフィアは抗おうと頭を抱え、必死に振り払おうとする。

「北アメリカであなたのオリジナルを暴漢に襲わせたのは、私ですよ。覚えておいでですか?」

 最後のコウの言葉で、ソフィアの身体が電気ショックを受けたように撥ねる。

「ぎゃあああああ!!」

 ソフィアは頭を抱えて絶叫すると崩れ落ちるように膝をつき、そして倒れた。

「ソフィー!?」

 身を丸くしてガタガタと震えるソフィアに驚いた歩が彼女の肩を抱きかかえる。

 その時、理士となった歩の脳内にソフィアの記憶が雪崩れ込んだ。


 毎日研究に没頭し帰ってこない父の書置きと、テーブルに置かれた生活費。それを恨めしそうに眺め、薄暗い室内で独り過ごす。

 僅かばかりのお金を握りしめ、雪が降り積もる夜の街を徘徊する。

 談笑を交わしながら道行く親子とすれ違う。

 街の灯りの眩しさに目をやるとクリスマスのイルミネーション。

 その明かりから逃げるように、路地裏に入り、寒さで蹲る。

 路地裏の奥から暴漢が現れ、襲いかかってきた。

 暴漢たちから暴行を受ける最中、奥で彼らに金を渡すスーツ姿の男。

 気が付くと、暗黒の世界にいた。

 目の前のモニターに映る研究室と、父の姿。

 その傍らにはぼろ雑巾のように成り果て、ベッドで眠る自分の姿。

 視覚と聴覚しかないことに気付く。

 なんの臭いも感じない。

 寒さも暑さも存在しない。

 重力も、触覚も味覚も失い、漆黒の世界にいる自分は父の実験体にされたのだと気付き、パニックを起こし、父に助けを求めた。

 そして実験室に鳴り響く自身の肉体が死亡したと報せる心電図の警報音。

 父は頭を抱え、そして憤慨し、怒り狂ったかのように机を何度も叩いて暴れた。

 散々泣き喚き、意を決した父はキーボードを打ち始める。

 すると身体がひとつ、またひとつと砂のように崩れていく。

 身体が砂になっていくごとに失われていく記憶と感情、感覚。

 その様子に恐怖を覚え、父に助けを求める。

 モニターの外に映る父は、泣きながらキーボードを打ち続けた。

 バラバラと崩れていく自分の身体と意識に気が狂っていく。

 断末魔の叫びと共に全てが崩れたあと、ロボットの姿になった自分が残った。


 それはいままで父、シュルティによって封じ込められていた記憶。

 ソフィア・ウパニシャドが生前から現在に至るまでの記憶であった。

 ソフィアは完全なプログラムから生まれた人工知能ではなかった。

 コネクトミクスを用いて抽出された、人間であったソフィア・ウパニシャドの人格を電子化し、人間らしい部分を封印して作られた存在であった。

 なぜならば人間の人格と言うものは流動的なものであり、感覚質の伴わない電子の世界ではそれを維持することに耐えられないためであった。

 そして歩はこの時、シュルティがBETAを作るに至った、否、作らざるを得なかった本当の理由を知った。

 彼はただ、目の前の男、コウ・キュウキによって死に追いやられた娘を生き返らせたかっただけだったのだ。

「なんでそう、お前は他人を平然と傷つけられるんだ!」

 傷つき怯えているソフィアを見て笑うコウの暴力性が、歩は悲痛なほど理解しがたかった。

「力を持つ者の特権です。人間社会の本質は暴力によって成り立っているのですよ。さぁ、ソフィアを渡しなさい。そうしたら街の混乱は止めてあげます」

 侮蔑の視線を向ける歩を無視し、コウはソフィアの身柄を引き渡すよう伝えると指を天に向けて鳴らす。

 すると彼の後ろから水牛の仮面を被った特殊部隊員たちが現れる。

「!?」

 コウ一人でいるわけがないとは思っていた歩であったが、身体の紋様を見る限り、彼女たちもまた、ミンと同等の能力を持っていると察し、驚愕する。

「ミンと比べ性能は劣りますが、彼女たちもアムリタで作ったリシ……。私は烈士と名付けました」

 歩はコウの話を聞きながら、エレベーターに乗る直前、桐谷がジャッジの弾を密かに入れ替えていたことを思い出した。

 ジャッジに装填されている弾は散弾が二発、カーラクータが三発。

 隊員たちは三人。

 一発の余裕も無い状況ではあるが、桐谷の咄嗟の機転に歩は感謝した。

「ソフィーは絶対に渡さねぇ!!」

 一触即発の空気の中、歩は啖呵を切ると撃鉄を起こし、ゆっくりと近づく隊員たちをけん制する。

「……よろしい。元々あなたをこの場に呼んだのは、あなたを彼女の目の前で痛めつけて、彼女に諦めてもらうためでしたからね。……やれ」

 歩を取り囲むように展開していた隊員たちが、コウの合図でカラシニコフ銃を構える。

 彼女たちがセーフティーを外す瞬間、歩はカーラクータ弾を隊員たちに向けて発砲しながら、コウに向かって一直線に走り出した。

「うわぁあああ!!」

 カーラクータ弾は隊員たちに当たらなかったが、そのおかげで彼女たちの隙間をすり抜けることには成功し、歩はコウに肉迫していく。

 ジャッジには残り二発の散弾が入っている。

 歩はこれだけはなんとしてもコウに使いたかった。

「……いやはや」

 コウは歩の特攻に呆れるように溜息を吐く。

 歩が引き金を引こうとするが、隊員の一人が彼の側面に追いつき、ハンマーとシリンダーを押さえて発砲不可能にさせた。

「なっ!? はや、ぐっ!」

 歩がそれに気付いた時には、彼は隊員に組み伏せられていた。

「いかにリシと言えども、素人ではこんなものですか」

 ジャッジを取り上げられ、隊員二人に担がれるように立ち上がらされる歩。

 その様子を眺めていたコウは残念そうに呟くと歩に近づいていく。

 歩の正面にコウが辿り着くと、彼は隊員からコンバットナイフを受け取ると、歩の腹に突き刺した。

「ぎっ!? があっ!」

 突き立てられたナイフが捻られ、肉と内臓が抉れる。

 その激痛に歩は叫んだ。

「ほらほら、どうしました? お姫様を助けるんでしょう?」

 激痛に叫ぶ歩の表情に、コウの加虐心がくすぐられ、恍惚の表情を浮かべる。

 コウはナイフを引き抜き、今度は太ももを突き刺した。

「ぎゃああああっ!!」

 腹より痛がるよう、骨を砕くように突き刺したナイフに、歩が絶叫する。

 残りの隊員がソフィアを羽交い絞めにした状態で起こし、痛みに耐える歩の姿を強制的に見させた。

「あ……歩、さん……」

 朦朧とした意識のソフィアが、コウの拷問によって血に染まっていく歩の姿を見る。

「そ、ソフィーは……渡さない……」

 血を吐きながら、歩は抵抗の意思を表す。

「負けん気も結構ですが、私が聞きたいのは命乞いの方です」

 まだ足りないかとコウは次に歩の脇腹にナイフを地面と水平に突き立てる。

「ぐああああああ!?」

 ナイフが腹部の奥深くまで侵入し、歩は痛みで絶叫した。

「どうですか? 痛いでしょう? これを横に切り進めたら内臓が零れ落ちるんですよ? どうですか? 興味ありませんか? リシはそこまでされても死なないのか?」

 加虐心が完全に優位となったコウは、歩の反応を待たずにナイフをギコギコと切り進めていく。

「ああああああああっ!!」

 ナイフが前後に一往復するたびに切断されていく筋肉と内臓。

 歩のいる床はどす黒い血で水たまりが出来ていた。

「ほら! 早く! 助けてくださいと言いなさい! 泣き喚いて命乞いをしなさい!」

 歩の切断をギコギコと忙しなくナイフを動かして進めていくコウ。

 ナイフが歩のへその辺りまで辿り着いた時、コウの後方で何かが光った。

「ぎゃっ!?」

 コウが振り向くと、ソフィアの電撃によって失神した隊員と、怒りに肩を震わせるソフィアの姿があった。

「おや、お目覚めですか?」

 コウはソフィアが正気に戻ったのを確認すると拷問を中断する。

 歩はその場に打ち捨てられ、隊員二人はライフルを構えてコウを守るように立ち塞がる。

「歩さんをよくも……許しません」

 血だまりに倒れ、動かない歩を見て、ソフィアは自身の怒りを表すように全身の紋様を眩しいほどに光らせた。

 彼女の周囲にスパークが発生し、その物々しさに隊員二人は思わず怯んだ。

「遊びは終わりだ。彼女を捕らえ、なにっ!?」

 コウが懐から愛用の散弾銃を取り出し、攻撃命令を出そうとしたその刹那、ソフィアの姿が消えた。

 三人は周囲を見渡す。

 ソフィアは歩を抱きかかえ、展望デッキフロアの北側、チケットブースの物陰に彼を隠した。

「歩さん、傷が塞がるまでここで休んでいてください」

 ソフィアはそう告げ、歩の頬を撫でる。

「そ、ソフィー……」

 吐血をしながらソフィアを呼ぶ歩の状態を、彼女は確認する。

 BETA細胞により傷口の修復が急速に進んでいるのを確認したソフィアは安堵し、コウたちの前に再び現れた。

「い、一体どうやって移動したんだ……」

 まるで瞬間移動のようなその高速移動に、コウたちは驚愕する。

「そんなに戦争の道具にしたいのでしたら見せてあげます。理士の闘い方を」

 紋様を光らせながら、ソフィアは彼らを睨みつけた。

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