第28話:あなたは、戦えますか?

――板橋区、環八通り

 都内の大部分が暴徒により黙示録的な状況に陥っている中、事故車などが散見するものの、環八通りは比較的平静を保っていた。

 歩が目を覚ましたのは桐谷が運転するクラウンの後部座席だった。

「……うっ」

「目を覚ましました」

 覚醒した際の小さいうめき声で、助手席でカロリーを摂取していたソフィアが桐谷に告げる。

「すごいな、BETAは」

 事故車を避けながら運転する桐谷が、ソフィアの報告を聞いて静かに驚く。

「ここは……?」

 歩は周囲を見渡した。

 歩が意識を失うまで降っていたにわか雨は暗雲を残しているが収まっており、歩を乗せた車は環八通りを板橋方面へ向けて進行していた。

 事故車がそこかしこに見受けられ、道路向こうの住宅街ではところどころ火の手が上がっていたが、普段の喧騒と打って変わって静まり返った街の様子が、却って不気味に感じられた。

「いま東京はアムリタによる暴徒たちによる暴動で都市機能は完全に麻痺しています」

「それを止めるため、僕たちはいま発信源のスカイツリーに向かっているところだ」

 歩の疑問に、二人は簡潔に状況を説明する。

 ソフィアはカロリーを摂取しろと、歩の前に菓子パンとポカリスエットを差し出す。歩はそれを受け取り、ポカリを一口飲む。

「げほっ! げほっ! 俺は、どうなったんだ?」

 ポカリが喉を通った際に喉奥で乾いていた血の塊が引っかかり、歩は盛大に咽たあとドアウィンドウを開けて外にそれを吐き出した。

「バイタルを撃たれて瀕死でしたので、BETAを投与しました」

 ソフィアは私の血を、とは言わなかった。

 要点は同じであるため、いまは割愛したほうが良いと判断したからであった。

 歩は枕代わりにあてがわれていた服に着替えながら、自身の状態を確認する。

 血塗れで胸部が派手に破れたシャツを脱ぐと、真理に撃たれた箇所は傷が塞がっており、全身には紋様が浮かび上がっていた。

「真理ちゃんは?」

 歩が真理のことについて尋ねる。

 歩の言葉を聞き、ソフィアと桐谷は顔を見合わせた。

「……申し訳ありません」

 沈黙の後、ソフィアは謝罪した。

「……そう、か」

 ソフィアの謝罪を聞いた歩は、静かにそう返すと、悲しそうに項垂れた。

「いのりは、いのりたちは大丈夫なのか?」

 歩はいのりたちの安否を確認していないことに気付き、再び二人に尋ねる。

「いのりちゃんたちなら大丈夫。いまは二人とも病院にいるよ」

 いのりたちについては桐谷が答えた。

 いのりはアムリタが混ぜられたベリーベリージュースを飲んでいたため暴徒と化し、えりなに襲いかかっていた。

 桐谷が彼女たちを発見したのは、彼女がえりなを絞め殺す寸前のところであった。

 桐谷は立石から渡された注射器型のカーラクータをいのりに注射したため、大事には至らなかった。

 その後桐谷たちは二人を病院へ搬送したのち、意識を失っていた歩を後部座席に乗せて現在に至るのである。

「良かった……」

 いのりとえりなが無事だと聞き、歩は安堵する。

 ルームミラーで歩の状態を確認していた桐谷は、メンタル面でも大丈夫そうだと判断して状況説明を続けた。

「君が気を失っている間に、コウ・キュウキから犯行声明があった」

「えっ!?」

 桐谷の話に歩は驚き、身を乗り出す。

 桐谷は頷くと構わずに説明を続ける。

「要求は君とソフィアちゃんの身柄だ。指定時間までに現れない場合はスカイツリーを爆破し、停止信号の発信が出来ない状態にさせると」

 歩はコウの要求を聞いて怪訝な表情を浮かべた。

「なんで奴がソフィーのことを知ってるんだ?」

 歩の認識ではソフィアの元ボディーを所有しているのはコウである。

 であるならソフィアがいまの状態になっていることは知らないはずだと思った。

「警視庁がミン・シユウに襲撃されたので、その時かと」

 歩の疑問にソフィアが答える。

「警視庁が!?」

 歩はソフィアの話を聞いて驚きと共に、そのために街の様子がこうなってしまっているのかと察し、いまこの場でも罪の無い人々が次々と命を落としているのかと考えると怒りと恐怖でどうにかなってしまいそうだと思った。

「大丈夫。ミン・シユウは僕たちでなんとか制圧出来た。じきに警視庁も機能を回復するはずだよ」

 歩の不安を察した桐谷がフォローを入れる。

「アムリタに操られている暴徒の方々についても、冴島さんたちが警察の方たちと協力して非殺傷での鎮圧が進行中です」

 それも自分たちがコウ・キュウキを捕まえなければどうひっくり返ってしまうかわからない、とは敢えて二人は口には出さなかった。

 ソフィアが振り向き、歩を見つめる。

「歩さん、次は私たちの番です」

 そう言ってソフィアは歩の前にあるものを差し出す。

「あなたは、戦えますか?」

 歩の前に出されたもの、それはトーラスジャッジであった。

「!?」

 綺麗に拭われているが、意匠の筋に残った血が誰のものか、歩にはすぐわかった。

 裁きと名付けられたその拳銃を目にして、歩の記憶がフラッシュバックする。

 それは自分を撃ち、母を死に追いやった記憶。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 歩の瞳孔は開き、呼吸が早くなった。

 バクバクと脈打つ心臓を、苦しそうに押さえる。

「はぁ、はぁ、はぁ……。だ、大丈夫、やれる」

 恐怖を無理矢理抑え込んだ歩は、ジャッジを受け取る。

 そして恐怖に抗うように、運転席の座面を掴む手に力を入れた。

「よし、あとはコウ・キュウキだけ」

 歩の決意が固まったのを察し、桐谷の顔にも緊張が走る。

「行きましょう。スカイツリーに」

 ソフィアは頷き、目的地を告げる。

 三人を乗せたクラウンは禍々しい光を放つ東京スカイツリーに向かうのだった。

 

――墨田区、東京スカイツリー、第一展望台

 人質を取り、犯行声明を出していたコウ・キュウキは展望台から混沌と化していた東京の様子を眺めていた。

 その足元には人質として確保していた観光客や職員たちの死体が無残に横たわっている。

「ミンがやられてしまいましたが、ここまでは予定通りですね」

 ヘリも寄り付けない地上350メートルの陸の孤島。

 通常であればこのような状況で人質を取っての籠城など下策も下策であるのだが、コウにはミン・シユウの実験結果を元に生み出された特殊部隊がいた。

 彼女たちはかねてより本国で開発を進めていた実験部隊。

 ミンをベースに同じく超常の力を有しており、コウは彼女たちがいるなら日本の警察など恐れるに足りない。

 ソフィアの身柄とBETAを確保した暁には、悠々と帰還しようと目論んでいた。

 警戒すべきは自衛隊であったが、アクサムケバブを用いてばら撒いたアムリタで作った暴徒たちが、彼らの出動を政府に躊躇させていた。

「報告! アムリタ暴徒によってマヒさせた警察機能が回復傾向にあります!」

 警察無線を傍受していた隊員の一人が報告する。

「要因は?」

 望遠鏡を覗いていたコウはそのまま望遠鏡から視線を外さずに、なぜそうなったのか尋ねた。

「冴島組の生き残りと雲雀任侠会が警察側に加勢したためと考えられます。アムリタ暴徒を非殺傷で無力化しながら、徐々にその範囲を拡大しつつあります」

 隊員は壁に貼った都内の状況を描き込んだ地図に報告した内容を加える。

「冴島……ああ、あの時のヤクザですか。中々優秀ですね」

 報告内容を聞いたコウは望遠鏡から顔を離し、地図の情報を見る。

 池袋を中心に鎮圧済み地域の範囲が警視庁本部庁舎のある千代田区に向けて進行しているのが見て取れた。

 目の敵にされている警察の機能回復のため、滅私で事を為す冴島と言う無頼漢をコウは称賛した。

 モニター室から隊員が駆けてきて報告する。

「報告! 4階正面エントランスにて安達歩、ソフィア・ウパニシャドの両名を確認しました!」

 隊員の報告を聞いたコウはプレゼントが届いたかのように望遠鏡から離れ、身を躍らせながらモニター室へ向かった。

「さて、自衛隊が動き始める前に決着としましょう」


――同、4階エントランス

 普段は観光客で賑わっている東京一の高さを誇る観光スポットは誰もおらず静まり返っていた。

「静かだな」

 SIGを構えた桐谷が周囲を警戒しながら先行し、そのあとにソフィア、ジャッジを構えた歩は後方を警戒し、フロア中心にある展望台へ向かうエレベーターに進んでいった。

「コウ・キュウキは恐らく展望デッキフロア上にある送信機室にいるはずだ」

 照明が点いたままであるため、エレベーターも生きていると踏んだ桐谷が出発ゲートを飛び越え、二人についてくるようハンドサインを送る。

 二人が桐谷のあとに続き、展望台フロアへ続くエレベーターに到着した時、館内放送のスイッチが入った。

『やぁ皆さん、お久しぶりですね』

 声の主はコウ・キュウキであった。

「コウ・キュウキ!」

 コウの声を聞き、歩は怒りを露にする。

『きっと来てくれると思っていましたよ。展望デッキフロアでお待ちしています。安達歩とソフィア・ウパニシャドの二人だけでお越しください』

 コウがそう言うと、独りでにエレベーターが稼働し、彼らを誘う様に扉が開いた。

「罠だ! 警察機能が回復するまで待とう!」

 桐谷はコウの誘いを切り捨て、少しでも自分たちが優位に立てる状況を作ろうと提案する。

『私としてはそちらでも構いませんが、そうなるとタイムリミットをオーバーしてしまいます。あと30分でしたか。それまでに何とか出来ますか?』

 三人の会話はコウに筒抜けであり、桐谷の案に対して言及する。

「くっ……!」

 徐々に事態は好転しつつも、あと30分でどうこう出来はしないことを桐谷も理解しており、悔しそうに歯噛みした。

「せめて僕も同行させろ!」

 子供二人にだけ危ない思いをさせ、自分は傍観者になるわけにはいかないと桐谷は食い下がる。

『あなたに用はありません』

 しかしコウは桐谷を歯牙にもかけず、彼の要求を却下した。

『アムリタ暴徒を止めるには、私がいまいる展望デッキフロアの上、送信機室で停止信号を一斉送信するしかありません。そしてそこへの通行料はソフィアさん、あなたの身柄です。人一人と日本国民全員の生命と尊厳。考える余地は無いかと』

 コウは三人に要求を言い渡す。

 ソフィアはそれを聞き、歩の方を向く。

「歩さん……」

 ソフィアは手を繋ごうと、右手を伸ばす。

「……行こう」

 歩は頷き、その手を取った。

「……歩くん、ソフィアちゃん」

 二人の決意の表情を見て、桐谷はなんて言葉をかければ良いか迷った。

 桐谷の様子を見て、歩は笑いかける。

「心配すんなよ。理士が二人もいんだぜ? 負ける要素ねーよ。それより、終わったらなんか奢ってくれよな」

 歩はわざとらしく軽口を叩く。

 歩の言葉に、桐谷は年下に気遣われる自分を恥じ入るように鼻を鳴らした。

「……わかった。歩くん、ジャッジを貸してくれ」

 桐谷は歩のジャッジを受け取ると状態を確認し、シリンダーに装填された弾を入れ替えた。

「……警察官の僕が言うことじゃないが、歩くん、ソフィアちゃん、君たちに託した」

 そしてジャッジとコウを捕縛するための手錠を歩に差し出す。

 歩はそれを受け取ると桐谷を見つめ、無言で頷いた。

「さぁ、行きましょう」

 準備を整えた二人がエレベーターに入っていく。

「ああ、全部終わらせよう」

 歩がそう言うと、エレベーターの扉が閉じた。


 展望デッキフロアに向けて、エレベーターが上昇していく。

 搭乗者の負担にならないよう徐々に上昇速度を上げていくエレベーターであったが、二人にはそれが重力脱出するロケットが受けるそれのようにエレベーター内の空気が重くのしかかる。

 その重苦しい空気に耐えるように二人は手を繋いだまま、無言で階数表示を眺めていた。

「……実際のところ勝算はどうなんだ?」

 歩がソフィアを見て、これからどうするべきか作戦を立てようとする。

 ソフィアは歩の言葉を聞くと顔を伏せ、目を閉じた。

『正直なところ、歩さんの覚醒がいつ訪れるかにかかっています』

 歩の脳に直接、ソフィアの声が響く。

「うわっ、なんだこれ!?」

 驚いた歩が反射的に手を離そうとしたが、ソフィアは放さないよう強く握り返し、それを拒んだ。

『経皮接触による直接通信です。手を握ったことで、理士となった歩さんの脳へ直接会話しています』

 ソフィアは原理を説明し、歩を落ち着かせる。

 エレベーターと言う空間の特性上、口頭での作戦会議はコウたちへ筒抜けになってしまう。

 ソフィアはその対策として、理士のみが扱えるこの能力をもって作戦会議を行おう思ったのだ。

『いわゆるお肌の触れ合い通信ってやつか。昔見たロボットアニメでも同じようなことしてたな』

 ソフィアの説明を聞き、落ち着いた歩は姿勢を戻す。

『続けます。理士の覚醒は二段階あります』

 ソフィアは説明を続ける。

 すると歩の脳内にソフィアがイメージした映像が共有される。

 それはCGのような半透明の人体モデルと心臓と脳の部分で点滅するコアユニットの映像であった。

 歩は一瞬だけ驚いたが、いちいち気にするのも不毛だと割り切ることにした。

 ソフィアは説明を続ける。

『第一段階は心臓に形成されたコアユニットによる回復力の上昇。そして第二段階が脳幹に形成されたコアユニットによって齎される電脳化。電磁力の行使は、このふたつをもって初めて可能となります』

 ソフィアは解説用の素材として歩の記憶から抽出したシュルティ博士が全裸男としてトー横で暴れた時の映像と、ソフィアがスーパーでATMを不正操作した時の映像を映し出した。

『ってことは、俺はまだ第一段階ってことか?』

 歩は自分にもミンのような電流が放てるかと、右手に持ったジャッジを一旦脇に抱えて手をかざし、念じてみる。

 電流は流れず、事情がわからなければただの痛い中学生だなと自嘲して元に戻す。

『現在第二段階が進行中です。いまの状態でも銃弾程度なら多少受けても回復します。と言っても無尽蔵ではありません』

 最後の言葉が気になった歩はソフィアの顔を見る。

『なにか弱点があるのか?』

 歩の質問にソフィアは頷く。

『はい。ひとつはコアユニットを破壊されること。もうひとつはエネルギー切れです。外部からのエネルギー供給が無い限り、理士が行使出来る権能は理士自身が保有するエネルギー量に依存します。エネルギーとは筋肉や肝臓に貯蔵されているグルコースやアミノ酸などを原料とします』

 つまり外部から電力供給がある場合、理士はそのエネルギーを元にチカラを使用することが出来るが、それが無い場合は通常の人間と同様の内燃エネルギー、カロリーを電力に変換してチカラを使用する。

 ソフィアの説明を聞いた歩は、なぜシュルティ博士がトー横に現れた時、キッズたちからアムリタを奪って摂取していたのか合点がいった。

 BETA細胞に似たアムリタを取り込むのと同時に、エネルギーを摂取していたのだ。

 そして同時に、先ほど桐谷の車で目覚めた際に、ソフィアが菓子パンとポカリを食べろと差し出した理由も、カロリーの貯蔵が急務であったのだと察した。

『修復許容量を超える傷を負った場合、理士は行動不能、仮死状態に陥ります。そうなったら詰みです』

 ソフィアは回復力についても言及する。

 いかに理士と言えど、無から有を生じさせることは出来ず、つまり腕を切り落とされても傷口同士をくっつけておけば瞬時に繋がることは容易いが、消し飛んだ腕を再び生やすならそれと同等のタンパク質とエネルギーが無い限りそれは敵わない。

 現状を理解した上で、なぜソフィアが真理の遺体から剥ぎ取ってまでなぜジャッジを持ち出したのかの理由も歩は理解出来た。

 彼はいま再生能力があるだけで、戦闘能力は皆無なのだ。

『気を付けるよ』

 歩は右手に持ったジャッジのグリップの感触を確かめながら応える。

 エレベーターの階数表示が350階を示し、扉が開く。

 歩とソフィアは見つめ合い、静かに頷くと展望デッキフロアに足を踏み入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る