第26話:いいえ。人間になったから、勇気が湧いたんです

――千代田区、桜田門、警視庁本部、科学捜査研究所

 館内放送とサイレンがけたたましく鳴り響く。

 緊急時用の回転灯が光り、研究室の外から無数の悲鳴が聞こえてくる。

 いのりたちが東京スカイツリーの異変を目の当たりにしたころ、ソフィアたちのいる警視庁本部はパニックに陥っていた。

『至急至急。板橋より入電。14時丁度、荒川付近にて武装した集団による暴行事件発生。武装した集団は戸田橋を南下中。なお止めに入った警察官が負傷した模様。武装した集団は大規模の模様。各局に応援を求む』

『至急至急。足立より入電。14時丁度、同じく扇大橋付近にて武装した集団による暴行事件発生。武装した集団はそのまま扇大橋を日暮里方面へ南下中。負傷者は警官一般人合わせ確認出来るだけでも十数名に及ぶ模様。各局に応援を求む』

『至急至急。池袋より入電。14時丁度、西口公園にて武装した集団による暴行事件発生!武装した集団はそのまま音羽通りを渋谷方面へ南下中。機動隊の出動要請!』

 矢継ぎ早に流れる暴徒による暴行事件の発生報告。

 それを聞いたソフィアと桐谷は、冴島が予期していたのはこのことだったのかと愕然とした。

「スカイツリーからの電波ジャック……やられました」

 アムリタは服用した者の脳に作用する他律型ナノマシン。

 人間を操るよう指示を送ることが出来れば、アムリタ中毒者を意のままに操れる。

 その数が何千、何万人ともなれば社会混乱を起こすことも可能。

 それを実行するためにコウはアクサムケバブでアムリタを混ぜたベリーベリージュースを売り捌いて爆発的にアムリタ中毒者を増やし、そしてスカイツリーからの電波ジャックで一斉に彼らを暴徒に作り変えたのだ。

 ソフィアは人の悪意に恐怖を覚えた。

 そしてあることを思い出した。

 いのりの部屋のゴミ箱に、ベリーベリージュースの空容器が捨てられていたことに。

「!? 歩さん!!」

 ソフィアは歩の身を案じ、研究室を飛び出して駆け出した。桐谷も後に続く。

 研究室の外はアムリタに操られている警察官と、正気の警察官による同士討ちが起きていた。

「どうしたの、ソフィアちゃん!?」

 追いついた桐谷がソフィアに尋ねる。

「歩さんが危ないんです! 私を彼のところへ!」

 桐谷は訴えかけるソフィアの表情から事態が逼迫していることを察した。

「わかった!!」

 桐谷はいよいよ最終決戦が始まると、息を呑んだ。

 まずは歩たちを助けるべく、本部庁舎を脱出しなければならない。

 本庁舎職員たちの同士討ちは暴走警察官たちが優勢であり、正気を失っていない警察官たちは、同胞に手をかけることを躊躇ってしまいそのまま餌食となることが少なくなかった。

 ソフィアたちが駆け抜ける廊下の端々には、首筋や顔面を食い破られた死体や、首をねじ切られた死体が転がっていた。

 桐谷はそれを見るたびに悲痛な表情を浮かべた。

「がぁああっ」

 脱出ルートを見誤り、二人は暴走警察官と鉢合わせてしまう。

 暴走警察官はまるでゾンビのような虚ろな表情を浮かべながら二人に襲い掛かった。

「アムリタに操られています!」

 ソフィアを守るように桐谷が立ち塞がる。

「失礼します!」

 桐谷は暴走警察官に対して詫びを入れると、その腕を取って背負い投げで暴走警察官の背中を床に強かに叩きつけた。

 暴走警察官が衝撃で動けなくなっている隙に彼の腰に提げてあった手錠を使い、彼が行動できないよう拘束した。

「急ごう。この調子だときっと東京中がパニックになるのも時間の問題だ」

 暴走警察官への処置が終わった桐谷は立ち上がり、再び二人は走り出そうとする。

 曲がり角に入ろうとした時、カラシニコフ銃の弾が二人の横を掠めた。

「うわっ!?」

「きゃあっ!?」

 二人は咄嗟に後退し、曲がり角を盾にして難を逃れる。

 先の様子を窺おうと桐谷が覗き込もうとした時、聞き覚えのある声が聞こえた。

「予想的中。我予想BETA警察所有。貴方輸送我大変感謝」

 そこにはカラシニコフ銃を担いだミン・シユウがいた。

「ミン・シユウ……!」

 桐谷は最悪のタイミングで遭遇してしまったと痛感した。

 立石から渡されたカーラクータ弾はニューナンブに使用出来る.38スペシャル弾仕様のものしかまだ出来ていない。

 桐谷が警視庁から帯銃を許可され貸与している銃は自動拳銃のSIGであり、使用弾種が違う。

 いまの桐谷の装備ではカーラクータは使えないのである。

 そのため桐谷は冴島のメモからニューナンブを手に入れてはいたのだが、正規ルートでの入手ではないので普段は車のダッシュボードに隠していた。

「貴方BETA所持? 我認知可能BETA。至急BETA譲渡希望」

 ジリジリと距離を取ろうとしていた桐谷たちを、ミンが牽制射で動きを止める。

「ああ? おい小娘、お前、変な反応をしているな?」

 窮地に置かれた桐谷たちを、まるで鼠をいたぶる猫のように眺めていたミンが、ソフィアを見ると怪訝な表情を浮かべ、日本語で話しかける。

「桐谷さん、私がミンを引き付けている間に銃を」

 ミンの声を無視して、ソフィアは桐谷に耳打ちする。

「おいジャリ、聞いてんのか? ちゃんと日本語で話してやってんのに、死にたいのか?」

 ミンは無視されたことに腹を立て、銃口をソフィアに向けた。

「しかしソフィアちゃん……」

 桐谷は銃なんてどこからと狼狽えていると、ソフィアはミンに気付かれぬよう彼にアイコンタクトを送る。

 ソフィアの視線の先には先ほど無力化した暴走警察官が横たわっており、その腰にはニューナンブが提げられていた。

「ソフィア? お前がソフィアなのか?」

 桐谷の言葉を聞き、少女がソフィアであることを知るミン。

 一体どういうことだと首を傾げたが、警視庁にBETAと一緒にいる以上、アクサムケバブでこき使っていたあの出来人形はデコイで、こちらが本物なのだろうとミンは判断した。

「大丈夫、私は負けませんから」

 桐谷に向けて笑ってみせるソフィア。

「負けない? 誰に?」

 ソフィアのその言葉に、カチンときたミンは尋ねる。

「もちろん、貴女にです」

 ソフィアは桐谷の前に出ると両手を突き出して身構えた。

 全身の紋様がぼんやりと光り始める。

「随分デカく出たな? 人間の方はどうやら頭が悪いらしい」

 ミンはソフィアの紋様の発光を見て、電撃の有効範囲の外まで距離を取る。

「いいえ、人間になったから、勇気が湧いたんです」

 緊迫した表情を浮かべるソフィア。

 しかしその瞳の奥には、絶対負けないという意思の炎が燈っていた。

「面白れぇ。遊んでやるよ」

 ミンはソフィアの射程外から銃を構え、発砲した。


――千代田区、永田町、首相官邸5階、首相執務室

 質素で機能的な間取りでありながら、雅に設えられた椅子が一国の首長の居住たるを物語っている。

 時の総理大臣、沖田武雄(おきたたけお)は、各閣僚たちにこの暴動に対しての対応と決断を迫られていた

 アムリタを接種した暴徒による暴動。

 この事態は都内警察機能、都市機能を麻痺させ、一般市民への被害は広がる一方であった。

 日本国憲法では、間接侵略その他の緊急事態に際して、一般の警察力をもっては治安を維持することができないと認められる場合、内閣総理大臣は自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができるとされている。

 しかし歴史上、この法律が使用された前例は無い。

 沖田はその第一歩を迫られていた。

「総理、暴徒の数は都内と埼玉県南部を合わせて数万に上るとの報告が入っております」

 閣僚の一人が報告書を要約して説明する。

「加えて暴徒の多くは様態が急変する直前に人統国系飲食店、アクサムケバブで販売されておりました飲料水、ベリーベリージュースを摂取していたことが判明しており、同店舗を調査しておりました捜査官の報告によりますと、この飲料には半年前から新宿、池袋を中心に蔓延しておりましたアムリタと呼ばれる違法薬物が混入されていたことがわかりました」

 厚生労働大臣が報告内容になぜ暴徒がこれほどまでの数なのかを付け加える。

「飲料水に麻薬を混ぜて販売していただと? なんて非道な……」

 沖田はその内容を聞き、絶句する。

「捜査官に情報提供した警視庁本部科捜研所属職員の報告によりますと、この薬物を無力化する製薬を開発。量産体制に入る前に警視庁本部が機能停止状態に陥ってしまい、詳細は不明です」

 警察庁長官がカーラクータのことを言及する。

 カーラクータは理研に協力を要請していたが、今現在都内で暴れている暴徒たち全てに投与するだけの数も、予算も用意出来てはいなかった。

 先ほどの閣僚が、再び割って入る。

「総理、あるかどうかもわからないものに縋ってはいられません。ここは警察機能が回復するまで、自衛隊の治安出動に踏み切るべきです」

 閣僚の主張を聞いた沖田は、目を見開いて彼を睨みつけた。

「ダメだ、それだけは! 彼らもまた、薬物が混入していると知らずに飲んでしまった罪の無い一般市民だ! 自衛隊の弾が、国民に向いてしまうような事態は一切承認できない!」

 しかしそうなると手詰まりになってしまう。

 執務室に集まった閣僚たちは頭を抱えてどうすれば良いか苦悩するのであった。


――豊島区、池袋西口公園

 スカイツリーから発信されている暴走電波により、都心の繁華街の多くが壊滅的な状況となっていた。

 特にここ池袋は、黒龍商会の本拠地でもあったためにアムリタ中毒者の数は繁華街一であった。

 警視庁がアムリタ中毒者によって麻痺しているように、報道関係も同様な状態であった。

 そのため秩序が崩壊し、ニュースの情報も流れなくなった状況に晒された暴徒でない一般市民たちはどうすれば良いかわからず、各々が思う通りの行動を取った。

 ある者は暴徒を説得しようと試み、そのまま殺された。

 ある者はバリケードを作って立て籠もるも、暴徒によって放たれた火により、焼かれて死んだ。

 ある者は車で逃げ回っていたが、車道も構わずに暴れる暴徒に取り囲まれ、あるいは暴徒を車で蹴散らして行くうちに車が壊れ、そして殺されていった。

 ある者は自警団を組織し、暴徒を返り討ちにしていたが次第に暴徒と常人の区別がつかなくなり、無差別に人を殺し始めた。

 警察官たちはこの状況下で必死に治安と秩序の回復に尽力していた。

「住民の皆さん、現在外は大変危険です。決して外に出ず、建物の中に避難してください」

 さすまたで武装した制服警官数名が随伴して、彼らの歩く速度に合わせて徐行するパトカーが拡声器で住民に注意を呼びかけた。

「うがあああああ!!」

 拡声器の声を聞きつけ、大量の暴徒が警察官たちの周囲に集まってくる。

「本部! 銃の使用許可を! 本部!」

 パトカーの無線機で警視庁本部に銃の使用許可を求める警察官たち。

「がああああああ!!」

 銃の使用許可が下りない以上、使用するわけにはいかない。

 その愚かしい組織規範が、彼らを窮地に立たせていた。

「ぎゃっ!」

 さすまたで応戦した巡査部長が死角から別の暴徒に喉元を食い千切られ、口から血の泡を吹いて倒れた。

「巡査部長!! このぉ!!」

 若手の警官が、拳銃を抜こうとする。

 それを先輩刑事が止めた。

「ダメだ! 相手は一般人だぞ!」

「しかし! このままでは我々の方が!」

 さすまたで応戦する警察官たちが一人、また一人と暴徒の餌食となっていく。

 若手警官が気付いた時には、後方のパトカーがひっくり返され、炎上、爆発を起こしていた。

 パトカーに乗っていた警官たちは寸前のところで逃げ出すも、暴徒たちに捕まり、八つ裂きにされていった。

 その余りにも黙示録的な光景に、若手警官は腰が抜け、へたり込んだ。

 自分の身を守るために銃が使えないのなら、自分の尊厳を守るために銃を使おう。

 若手警官は拳銃を抜くと、こめかみに銃口を突き立て、引き金を引いた。

 しかし銃弾は彼の頭を吹き飛ばさなかった。

 彼の背後に現れた男が、拳銃、ニューナンブのシリンダーを握って押さえたため、発砲が適わなかったのだ。

 若手警官はそれを暴徒の仕業かと思い、観念すると振り返った。

 そこにいたのは冴島組組長、冴島三郎であった。

「お困りのようですね?」

 冴島はニヤリと笑うと若手警官の拳銃を放して立ち上がった。

「お、お前たちは!?」

 若手警官を置いて前に出る冴島、その後ろを林下、石橋、遠田たち冴島組の面々が、そして最後尾に加藤とみくるの姿があった。

 冴島は暴徒たちの群れの前に対峙し、上着を脱ぎ捨てた。

 背中に掘られた金太郎の刺青が姿を現すと、冴島は檄を飛ばす。

「野郎ども!! 喧嘩は俺たちの花道だ!! 全員簀巻きにしてやれ!!」

 冴島の檄に感化され、男たちも上着を脱ぎ捨てる。

「うぉおおおおおお!!」

 己の生き様を象徴する刺青を掘った男たちが、鬨の声を上げた。

「義理と任侠、押し通らせていただきやす」

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