第25話:我々に楯突いたらどうなるか、教えて差し上げましょう

――埼玉県、川口市、川口駅、齋モール某所

 歩たちが冴島と会合をした翌日、埼玉県南部にある駅前の商店街。

 小さな飲食店や個人商店がひしめく通りでスーツに身を包んだ男が数名、メモ帳と照らし合わせながらある店を見張っていた。

 彼らの見張っている店はアクサムケバブのチェーン店であり、店先には若者が大挙の列を成していた。

 その中の年配の捜査官は道行く人々を観察していた。

 アクサムケバブで買い物をした多くの若者が、皆一様にある飲み物を飲んでいる。

「あれが新宿署の桐谷警部補から情報のあった店です」

 若手捜査官が報告する。

「普通のケバブ屋に見えるけどなぁ」

 年配捜査官の隣にいる捜査官が疑わし気に店を眺めた。

「とにかく、調べてみればわかるだろ」

 若手捜査官の報告を受け、年配捜査官はそう吐き捨てて煙草を取り出すと行列が収まるのを待った。


 行列が収まったのは昼もとうに過ぎたころであった。

 年配捜査官は店頭に立った。

「ハイラッシャイ! 安イヨ! ウマイヨ!」

 大陸系の男性従業員が片言の日本語で元気に彼へ話しかける。

「ドリンクだけでも良いかい?」

 年配捜査官はメニューを見ながら注文を確認する。

「ハイアリガト! ドリンクナニスル?」

 従業員は快諾し、メニューのドリンクコーナーを指差して促した。

「……ベリーベリージュースを」

 年配捜査官は目当てのものを見つけ注文する。

 その注文を聞いた従業員は、意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「オ~~! オ客サン、好キダネ~!」

 まるで悪いことをしているかのような笑顔を向けた従業員に、彼は疑いを強めたが平静を装って注文を続けた。

「ベリーベリージュースってのは人気なのかい?」

 年配捜査官は世間話の体で、従業員に探りを入れる。

「ソウヨー。ミンナ最近ベリーベリージュースバカリヨー」

 従業員はそう世間話をしながら、ベリーベリージュースを作っていく。

「へぇ、毎日何人くらい買いに来るんだ?」

 更に情報を聞き出せないか、従業員に話を続ける。

「オ客サン警察ミタイナ話シ方スルネー」

 従業員は年配捜査官の話に違和感を覚え訝しんだ。

「まぁ似たようなもんだよ。えー11時20分。違法薬物取り扱いで現行犯逮捕」

 年配捜査官は手を挙げ部下たちを店舗へ突入させた。

「!? ホァー!? ホァー!?」

 いつの間にか自分の手に手錠がかけられていた従業員は恐怖の余り叫んだ。

「あー、大声を出すな。それと、ガサ入れもさせてもらうぞ。これ、令状ね」

 従業員が叫びながら、自分の手と店の柱を繋いだ手錠を壊そうと暴れている。

 その声を五月蝿そうに指で耳を塞ぎながら、従業員の前に捜査令状を突きつけた。

「許シテヨ刑事サン! 私脅サレテ仕方ナクヤッタノヨ! 信ジテヨ!」

 逃走を諦めた従業員は拝むように手を合わせて年配捜査官に懇願する。

「はいはい、そう言った話はあとでゆっくり聞くから」

 従業員の懇願を聞き流していた彼の前に若手捜査官が戻ってきた。

「ありました! アムリタです!」

 突入した捜査官たちは厨房奥の冷蔵庫から大量のアムリタを見つけ、若手はその報告に戻ってきたのだ。

 年配捜査官は彼の報告を聞き、次の指示を出す。

「新宿署の桐谷警部補に連絡。容疑者と証拠品の確保に成功。今後は冴島ノートの指示に従い捜査範囲を拡大、対象店舗の一斉捜査を行う」


――千代田区、桜田門、警視庁本部、科学捜査研究所

 昨日の冴島との会合のあと、ソフィアと桐谷は科捜研を訪れ突貫作業でアムリタの成分解析を行っていた。

 その二人に麻薬捜査官たちから連絡が入る。

「そうですか。はい、引き続きよろしくお願いします」

 桐谷はその報告を聞き、小さくガッツポーズをした。

 その内容を小耳に挟みながら、ソフィアは軽快にキーボードを叩き続けていた。

「冴島さんの情報通り、ありましたか」

 桐谷の通話が終わったタイミングで、ソフィアは口を開く。

「ああ! いま同定用のサンプルをこっちに輸送してもらってる!」

 ようやく一矢報いたぞと桐谷はいまにも小躍りしたいのを抑えながらソフィアに状況を報告する。

 桐谷の喜びようとは裏腹に、ソフィアは険しい表情であった。

 冴島ノートによりアムリタの密売ルートが判明した。

 それはこちらがコウたちに先制攻撃をしかけたに等しい。

 膠着状態だった盤面がいよいよ動き出すことを意味していたからだ。

「それは後回しで構いません。科捜研の皆さんでお願いします。恐らく成分は同一のはずですので」

 ソフィアの助手としてデータをまとめていた立石は頷き、そして彼女と対照的に子供のように嬉々とした表情を浮かべている桐谷を睨んで戒めた。

 立石の視線に桐谷は慌てて襟を正し、ソフィアに作業の進捗を尋ねる。

「それで、分析は終わったのかい?」

 桐谷はソフィアが操作するパソコンの画面を覗き込む。

 様々なデータを表示したいくつものウィンドウが高速で明滅するように閉じては開き、また閉じては開く。

 桐谷にはソフィアがなにをしているのか理解できなかった。

 キーボードに目をやると最早目視も難しいほどの速度でタイピングを続けているソフィア。

 その余りのスピードのため、身体がガタガタとまるで旧時代のプリンタのように小刻みに揺れていた。

「はい。いま……出ました」

 タンと最後にソフィアはエンターキーを押す。

 すると画面はブラックアウトし、画面下から無数のマシン語が上っていく。

「なにかわかったかい?」

 画面を見ても一文字も理解できない桐谷はソフィアに尋ねる。

 ソフィアは椅子を回転させ、桐谷に向き合うと答えた。

「これは私達がBETAを作る過程で出来た試作品を培養して増やしたもののようです。BETAと比べ性能は劣りますが、成分、機能自体はそう変わりません。違いは自律型か他律型になります」

 アムリタがBETAと変わらない分析結果を聞いた桐谷はソフィアに重ねて質問する。

「つまりBETAは自律型でアムリタは他律型ってことかい?」

 桐谷の質問にソフィアは頷いた。

「はい。アムリタは決められたプロセス通りにしか行動できません。違うことをさせたければ新たな命令を入力する必要があります」

 ソフィアの解説に、桐谷の頭の中では更に謎が深まっていった。

「しかし、これをばら撒くことが何の意味になるんだ……?」

 目的は理由の先にある。

 桐谷は冴島の言葉を思い出して腕を組み、唸るしかなかった。


――墨田区、東京スカイツリー、展望デッキフロア

 厚生省麻薬取締官たちが各県警と連携を取り、アクサムケバブ系列店の一斉捜査に乗り出したころ、コウ・キュウキは地上340メートル地点にある展望デッキに設置されたカフェレストランで食事を取っていた。

 彼の背後には若い女性が三人。いずれも中学生くらいの身長の女性が、ミンが被っていた水牛の頭蓋骨のような被り物を着け、直立不動で待機していた。

 コウのスマホに着信が入り、彼は通話に応じる。

「そうですか。こちらが動く前に気付くとは、日本の警察も中々やりますね。えっ? 知りませんよ、そんなこと。捕まって故郷に帰らされるなり、首をくくるなり好きにしてください。では」

 そう言ってコウは通話を切る。電話の相手はアクサムであった。

 コウの脅迫により、彼が持つ全店舗でアムリタを混ぜたベリーベリージュースを売り捌くことになったのだが、そのためにいま彼は窮地に立たされていた。

 電話の内容はコウへの呪詛と嘆願であったが、彼はこれをさらりと聞き流してアクサムを切り捨てた。

「先生、準備万時整いました」

 コウの通話が終わったタイミングで彼の背後で待機していた女性の一人が彼に耳打ちする。

 それを紙ナプキンで口元を拭いながら聞いたコウは頷いて応えた。

「ミン隊長も行動を開始したとの連絡が入りました」

 もう一人の女性が歩み出し、コウへ報告する。

 コウは下界を見下ろしながら立ち上がった。

「さあ始めましょうか。我々に楯突いたらどうなるか、教えて差し上げましょう」

 そしてコウは懐から愛用のショットガンを取り出して天に向かって発砲した。


――練馬区、光が丘、上田家、いのりの部屋

 ソフィアたちがアムリタの成分解析を行っている一方、歩はソフィアから連絡があるまで自宅で待機することになっていた。

 自宅で待機と言っても先日真理とのやり取り以降上田家に転がり込んでいる。

 冴島に準備しておけと言われた歩であったが、帰宅しても冴島から荷物の類いは届いていなかったためなにをすれば良いのかわからず、とりあえずいのりの部屋で彼女と受験勉強をすることにした。

 いのりは駅前で買ってきたのであろう、フルーツのやたら入ったドリンクを片手に黙々と問題集を解いていたが、歩は今後のことを考えていた。

 桐谷が抜け駆けしないよう、ソフィアには協力しつつ監視するように言い含めてある。

 なにか起きた際はソフィアから連絡が入り、すぐ駆けつけられるようにしていた。

 駆けつけて、そのあと、歩の思考が止まった。

 駆けつけてなにが出来るのだろう、と。

 相手は銃で武装しているし、爆弾すら持っているだろう。ミンに至っては超常の力まで持っている。

 そんな相手と対峙して、自分は何ができるのだろうか。バットでも持って戦うというのだろうか。街のチンピラにも勝てないのに。

 自分の意地や覚悟なんて桐谷たちの邪魔になっているだけなのかもしれない。

 歩はそんなことを考えていると、額に消しゴムのカスが当たった。

「なに考えてるの?」

 歩が見るといのりが彼の顔を覗き込んでいた。

「別に」

 歩は彼女を巻き込まないよう再び参考書に目を向けた。

「嘘。また危ないことしようとしてる」

 受け流す歩に食い下がるいのり。

「してねぇよ。大体俺に何が出来るってんだよ?」

 見抜かれていた歩は嘘を吐いてやり過ごそうとする。

 実際歩が首を突っ込んだところで何も出来ないのは先に述べた通りである。

「だってソフィー、ずっと桐谷さんとこ行ったきりじゃん」

 いのりは歩の反論に納得いかず、話題をソフィアと桐谷に切り替える。

「あれは科捜研でアムリタのこと調べる協力をしてたるんだと」

 嘘ばかり吐いても仕方ないのでソフィアたちに関しては、歩は本当のことを話した。

「ふぅーん」

 いのりは不満を残したまま、それをアピールするように相槌を打つと視線を外してドリンクを飲んだ。

「そのジュースどこで買ったん?」

 歩は話題を変えるべく、いのりが飲んでいるドリンクに注目した。

「駅前のアクサムケバブってケバブ屋。こないだのお祭りの時に見つけたんだけど結構美味しいの」

「へぇー、一口ちょーだいよ」

「えー? やだ」

 いのりは自慢げに歩に見せつけ、歩が取ろうとした手を避け、残りを一息に飲み干した。

「あー、美味しかった」

 歩が恨めしそうに見る様子を尻目に満足気に見せびらかすいのり。

「ケチ臭いやつぅ」

 歩は意地悪くするいのりに苦言を漏らすのだった。

 すると下階から階段の壁を叩く音が聞こえてくる。

「いのりー! 歩くーん! おひる出来たわよー!」

 えりなが昼食の支度が出来たことを報せる合図であった。

「はーい! よし! 午前の勉強終わり!」

 二人はその声を聞き、参考書を閉じて伸びをしたあと立ち上がり下階へ降りて行った。

「あー! 今日のメシなんかなー? 素麺じゃなきゃ良いけど」

「贅沢言うな居候」

 二人は軽口を叩きながら階段を降りていく。

 居間に着くと、涼し気なガラス製の容器にたっぷりの氷水で冷やされた大量の素麺と、朝食の残りのご飯で作ったわかめご飯のおにぎり。

 薬味が兼用出来る点で採用されたのであろう水晶鶏と、裏庭の家庭菜園から採れたトマトやキュウリなどが食卓に並んでいた。

 歩といのりはまた素麺かと最初はげんなりしたが、脇を固めるおにぎりや水晶鶏を見て夏バテしないよう献立を工夫してくれているえりなに感謝した。

「歩くんごめんねぇ、ここのところ毎日お素麺で。お中元で沢山いただいちゃってるのよ」

 スリッパを鳴らしながら忙しなく準備を続けるえりな。

「い、いえ……」

 歩は先ほどまで素麺は嫌だとぼやいていた自分を恥じながら応えた。

「さっき嫌だって言ってた癖に」

 その様子を見たいのりが歩を揶揄った。

「言うなよ!」

 いのりにバラされた歩は恥ずかしそうに抗議する。

 その二人の様子を微笑ましく見ていたえりなが、歩におにぎりと水晶鶏の乗ったトレーを渡した。

「じゃあこれ、真理ちゃんの分のおにぎりとおかず。ご飯の前に持ってってあげて」

「あ、はい。ありがとうございます」

 歩は申し訳なさそうに受け取ると重い足取りで真理の元へ向かった。

 先ほどとは打って変わって寂しそうな背中をさせた歩を見送ったえりなは、彼が外に出たタイミングで口を開く。

「一度お父さんに相談した方が良いのかしら?」

 えりなは真理の状態を心配し、医者をしている夫へ相談すべきかいのりに相談する。

「ええ? いいよ、あんな自分の家族より地球の裏側の他人の方が大事な人になんて」

 いのりはえりなの言葉に怪訝な表情を浮かべて却下した。

 いのりの父、上田英二は国際医療機関に所属している。

 仕事の性質上海外赴任が長く、上田家に帰ってくることは年に一度あるかないか程度しかなかった。

 そのためいのりは父のことをあまり良く思っていなかったのだ。

「そんなこと言わないの。お父さんは立派なお仕事をしているのよ?」

 父を邪険に扱ういのりの反応にムッとしたえりなは彼女を窘めた。

「はぁい……」

 えりなに言われ、いのりは肩を竦めて詫びる。

 遠くから雷鳴が聞こえてきたことに気付き、えりなは洗濯物のことを思い出した。

「あらあら。ちょっとお母さんお洗濯もの取り込んでくるから、先に食べちゃって」

 にわか雨が降ると予想したえりなは慌てて裏庭に駆けて行った。


 自宅の玄関に入った歩は、破り捨てられた紙屑が落ちていたのが視界に入ったが、雷鳴の音に気を取られ、それを特段気にかけなかった。

 真理の部屋の前に着くと、足元に昨晩置いた夕食が手付かずで放置されていた。

 真夏のため作られたそれが気温により腐り始めているのを見て、歩は苦々しく思った。

「真理ちゃん。おばさんがメシ作ってくれたよ」

 だがそれを火種に再び真理とやり合ってもなんの解決にはならないと歩は考え、普段通りに接しようと努めた。

「ここ置いとくから、ちゃんと食べろよ」

 そしてドアの前に昼食の入ったトレーを置くと、代わりに腐りかかった夕食を処分するために台所に向かった。

 ついでに捨てようと、先ほど玄関で見かけた紙屑も拾う。

 台所に着いた歩は、紙屑をゴミ箱に捨て、夕食を生ごみとしてビニール袋に入れて縛る。

 皆真理のことを心配しているのに、当の本人はずっとあの調子で、歩も内心限界が近かった。

 生ごみを処分し終え、上田家に戻ろうとした時、先ほどゴミ箱に入れたはずの紙屑が落ちていたことに気付いた。

 歩は面倒くさそうにそれを拾う。

 すると歩はそのゴミに何か書いてあることに気付いた。

「これ……」

 それは冴島が歩宛に届けた荷物であった。


 洗濯物の取り込みはギリギリ間に合ったえりなは、いつ頃雨が降りそうか遠くの空を眺めていた。

「夕飯の買い出しは、歩くんに頼んだ方が良さそうねぇ……あら?」

 その時、えりなの背後で何かが光った。

 えりなはなんだろうと、光が差した方を振り向く。

「ねえお母さん、生姜のチューブどこ?」

 縁台からいのりが、顔を出す。

 いのりはえりなが何かを見ていることに気付き、その視線の方へ目を向けた。

「なに、あれ……?」

 はるか遠くに見える東京スカイツリーが、怪しく輝いていた。

 それを目にしたと同時に、いのりの視界は酷く歪んでいった。

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