第24話:あむひはのへいふんほふんへひふるひふひょーはあひまふへ

――新宿区、新大久保、焼肉店『任肉家』

 大久保通りの東側の脇道に入ったところに民家を改装したような小さな焼肉屋があった。

 その店内の最奥、引き戸で仕切られた個室で、冴島たちは焼肉をつつきながら話の続きをしていた。

「コウ・キュウキの場所を突き止めた」

 一息にグラスのビールを飲み干した冴島が、煙草に火を点けながら三人に話した。

「なんですって!? あっ……」

 その内容に桐谷は驚きの余り大声を出し、誰かに聞かれるかもと慌てて手を口で塞いだ。

「安心しろ、ウチが経営してる店だ。密談するならココは打ってつけだ」

 桐谷の仕草に冴島はフッと軽く笑うと、網の上のホルモンをひっくり返しながら話を続けた。

「だがウチの手勢だけじゃ手が出せない。奴ら埼玉の不法移民連中を取り込んで規模が膨れ上がっている。それにサツが雲雀任侠会を解体しにかかっている都合で、俺たちヤクザもんが攻勢に出ることも出来ん。なにより奴らの目的もまだわかってない」

 タンが焼け、冴島はトングで掴み、歩たちに食べるよう促す。

 歩たちはぺこりと頭を下げると箸を取った。

「目的?」

 歩とソフィアが焼肉を食べる横で桐谷が冴島に尋ねる。

 冴島はお前も飲めと瓶ビールを桐谷に突き出す。

 桐谷は仕事中だと一瞬迷ったが、いまはこの人から有益な情報を得なければならないと考え、冴島の酌に応じた。

 桐谷もグラスに注がれたビールを一息に飲み干し、冴島に酌を返した。

 冴島はこれを受け、桐谷の酌を受けながら話を再開する。

「奴らアムリタを派手に売り捌いてやがる。ヤクではなく、飲食店のドリンクに混ぜてな。アムリタなんてアシのつかないヤク、これまで通りに捌いてれば利益は十分出るのにわざわざそんなことをする理由がわからん」

 酌を受け終えた冴島はビールで軽く喉を潤すと、網の上で育てていたホルモンをトングで掴み、桐谷に食べろと突き出した。

「利益が目的ではないってことですか?」

 桐谷は一瞥してこれを受けながら、冴島に問い掛ける。

「俺はそう思っている。だとすると何が目的なのか……」

 冴島は頷き、ホルモンを咀嚼しながら腕を組んで渋い顔を浮かべた。

「薬漬けの人を増やすため?」

 二人の話を、カルビと白飯を食べながら聞いていた歩が意見を述べる。

「ボン、よく覚えときな。行動ってのは必ず理由があって、その先に目的があるんだ」

 冴島は歩を見るとニヤリと笑い、教師が教え子に指導するように語った。

 つまりアムリタ中毒者を増やすことは理由でしかなく、その先にはアムリタを用いて何かを為そうとしていると冴島は睨んでいた。

「それなら……」

 桐谷も冴島の言葉に顎に手を当てて思考を巡らせる。

 三人が一様に唸っていると、一心不乱に食事していたソフィアが先ほどまで齧り付くように放さなかったどんぶりをテーブルに置いて口を開いた。

「あむひはのへいふんほふんへひふるひふひょーはあひまふへ」

 ソフィアの奇妙な声を聴いた三人が彼女の方へ振り向く。

 ソフィアはハムスターのように頬を膨らませながら咀嚼していた。

 口の周りにはべったりと焼肉のタレがついており、歩は前回の祭りの際もそうであったがもしかしてソフィアは食べるのがヘタクソなのではないかと首を傾げた。

「あーあー、口の周りきったねぇな」

 歩がおしぼりでソフィアの口を拭う。

 されるがままにしているソフィアを見て、冴島はてっきりいのりだと思っていた人物が別人だと気付き、なぜついてきているのか首を傾げた。

「この嬢ちゃんは誰だ?」

 甲斐甲斐しく世話をする歩を見て、歩にとって重要な人物で、またこの件に絡んで問題無い、むしろ絡むべき人物なのだろうと察しはしたが、正体がわからない冴島は率直に尋ねた。

「白龍運送で見ただろ? ロボットのソフィアだよ。いまは人間になってる」

 ソフィアの世話が終わった歩が、汚れたおしぼりを畳んでウーロン茶のおかわりを店員に頼みながら答えた。

 ロボットだったものが人間になっていると、歩が素っ気無く答えたので冴島は一瞬そんなものかと思ったが、いやいやと考え直しやはり意味が分からないと混乱しかけた。

 しかしいまその話は関係無いと冴島はソフィアの件に関する思考を放棄した。

「……よくわからねぇが、この中で一番頭が切れるのはお嬢ちゃんみたいだな」

 冴島はソフィアによって和んだ場を仕切り直すために煙草を揉み消し、グラスに残っていたビールを飲み干すと、懐から小瓶を取り出してソフィアの前に置いた。

「アムリタの原液だ。分析を頼めるか?」

 冴島は自分の部下たちを走らせ、アムリタの原液を得ることに成功していた。

「わかりました。桐谷さん、科捜研の設備利用の手配をお願いします」

 到着したアイスを食べながらソフィアは頷き、桐谷に協力を仰いだ。

 桐谷は頷き、立石に連絡すべくスマホを取り出しながら外へ出ていった。

「奴らはなにかデカいことを起こそうとしている。俺の勘に過ぎないがな」

 言いたいことは終わったと、冴島は財布を取り出し、あとは好きに食えと一万円札の束を無造作に取り出してテーブルの上に置いた。

「事を構えるのはその時だ。それまで準備しとけ」

 ぺこりと頭を下げた歩の頭を冴島はわしわしと撫でると杖を掴んで立ち上がり、個室を出ようとする。

「準備ってどうすれば良いのさ」

 個室のドアに手をかけた冴島に、歩は尋ねる。

 冴島はその言葉を聞いて、不思議そうな顔を一瞬浮かべた。

「……まぁ、帰ればわかるさ」

 そう言って冴島は個室を後にした。

 焼肉屋の外に出た冴島は、立石に電話をしていた桐谷と鉢合わせる。

 二人は向き合うことなく、冴島はそのまま口を開いた。

「必要なものがあればこのメモに書いてある番号に連絡しろ。入手方法を教えてやる」

 冴島はそう言うと桐谷にメモを渡し、彼の反応を待たずに大通りの方へ歩き始めた。

「まっ、待ってください!」

 桐谷は冴島を呼び止める。

 警察とヤクザと言う立場上、公共の場で二人が一緒にいることは許されない。

 しかしここまで協力をしてくれた冴島を、桐谷はそのまま帰らせたくはなかった。

 その気持ちが、無意識に冴島を呼び止めてしまった。

 冴島は振り返らずに立ち止まる。

 桐谷は言葉に詰まりながら、気持ちを吐露した。

「一緒に、共闘はしてくれないんですか?」

「俺たち冴島組は守勢に回る。奴らの企てを阻止する方だ。コウのタマはお前たちが獲れ」

 冴島は振り向かずそう言うと杖を突きながら去っていった。


――練馬区、光が丘、上田家

 赤羽の葬儀が終わり時刻も夕方に差しかかった頃、いのりたちはタクシーで帰宅した。

 えりなは真理を介助しながら、真理を着替えさせるために母屋へ歩いていく。

 その前を歩くいのりは、歩たちがいなくなってから終始不機嫌であった。

「もう! 歩もソフィーも結局最後まで戻ってこなかったし!」

 肩を怒らせて歩くいのりの姿に、えりなはどことなく元気だった頃の真理の姿を重ねて嬉しくもあり、そして自分に似なかったことを少し寂しくも思った。

「桐谷くんが一緒だから、大丈夫じゃない?」

 そんないのりを見ていたえりなは彼女を慰めるようにフォローする。

「そう言う問題じゃない!」

 いのりは自分の意を汲めていない母に反論する。

 彼女はいつの間にか蚊帳の外になっていることに我慢ならないのであった。

 えりながいのりに気を取られたため、彼女に支えられて歩く真理が躓いて軽くバランスを崩す。

 えりなが慌てて支え直し、それを目にしたいのりも駆け寄り、真理に寄り添った。

「おば様、大丈夫?」

 真理は虚ろな表情のまま、いのりの声に反応を示さなかった。

「ちょっと疲れちゃっただけよね? 着替えが終わったら早く寝ちゃいましょう」

 いまにも消えてなくなってしまいそうな真理の姿に、えりなはいまにも泣き出しそうな自分を必死に抑え、彼女を支えながら母屋に入っていった。

 その二人の姿を後ろから眺めるいのりは、胸が締め付けられるように苦しく、心の中で助けを求めるのだった。

 そして彼女たちは真理に注視していて気付かなかった。

 安達家のドアの郵便受けに冴島からの荷物が届いていることに。

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