第23話:アタシはね、あの街に排除される対象になったの

――千代田区、桜田門、警視庁本部、科学捜査研究所

 それから数日間、桐谷に連れられてソフィアは科捜研を訪れていた。

「桐谷警部補、ソフィアさん、お待ちしておりました」

 ミーティングルームで待たされた二人の前に、立石が現れる。

「立石さん、お疲れ様です。出来ましたか?」

 桐谷は立ち上がり、立石と握手を交わす。

 立石は桐谷の握手に応じると、力強く頷いた。

「なんとか。こちらへ」

 立石はそう言うと二人を研究室へ案内した。

「理研にも協力を仰いで間に合わせることが出来ました。なにせ合成生物学を調べるところから始めなければいけませんでしたので、苦労しましたよ」

 研究室へ向かいながら、立石は経過を桐谷に伝える。

「桐谷さん、なにをお願いしたのですか?」

 二人の後ろをついていくソフィアが、桐谷に尋ねる。

「BETAに対抗する武器だよ」

 桐谷は振り向き、ソフィアにそう伝えた。

「勘違いしないで。ソフィアちゃんをどうこうしようってわけじゃないんだ」

 身構えるソフィアに、桐谷はフォローを加える。

 研究室に辿り着き、立石がセキュリティカードをかざし、ドアを開ける。

「これはコウ・キュウキのボディーガード、ミン・シユウ対策です」

 桐谷のフォローに対して、立石がさらに詳細を伝えた。

 電子顕微鏡の前に立った立石が、ソフィアを促す。

「わかりました。どのような効果があるのでしょうか?」

 促されるままに電子顕微鏡の前に座ったソフィアが、中を覗き込む。

 中にはBETA細胞が活動する様子が見えた。

「未だににわかには信じられないのですが、ネットで騒がれている全裸男事件が真実だと仮定すると、平和島で六機を撃退したミン・シユウも同等の力を持っていると考えた方が良いと考えました」

 立石はソフィアが機器の操作が出来ることを確認すると、彼女に説明しながら冷蔵庫から紫色のアンプルを取り出し、ソフィアに手渡す。

「そこで我々は、BETAの力を抑制する不活性化ワクチンを作成しました」

 立石のワクチンと言う言葉に、ソフィアは反応し、彼を見据えた。

「BETAがウィルス、ですか……」

 ソフィアは無意識のうちに、立石から受け取ったアンプルを強く握っていた。

「社会脅威足り得るほどの力は、それが善意の産物であってもそれはつまりウィルスと同義と言えますね」

 ソフィアの抗議の眼差しに、立石は冷淡なまでにBETAがいかにいま問題を起こしている存在であるのかで応えた。

「そんな……!」

 しかしその通りであるため、ソフィアはその先を言い返せずに俯いた。

 言い過ぎたと思った立石は咳払いをして話を続ける。

「とにかく、これを投与されたBETA接種者、理士と呼ぶんでしたか。理士は心臓と脳幹にあるコアユニットが機能不全に陥ります。つまり、全裸男のような異常な再生能力も、電磁力の行使も適わなくなります」

 ソフィアからアンプルを受け取った立石は開栓し、スポイトで電子顕微鏡の受け皿にあるBETAにその液体を注ぐ。

 ソフィアが電子顕微鏡で覗くとその細胞がBETA細胞を食い荒らしているさまが見え、彼女は反射的に目を逸らした。

「いま培養を急がせていますが、十分な数を用意するにはまだ時間が必要です」

 ソフィアが効果のほどを確認したのを見届けると、立石は白衣のポケットから革製の弾薬ケースを取り出す。

「とりあえず六発分だけ、用意出来ました。大事に使ってください」

 立石はこれを桐谷に渡した。

 中にはニューナンブに使用可能な.38スペシャル弾を模した特殊弾が六発と、注射器タイプのものが二本入っていた。

「ありがとうございます。えっと、これは、何と呼べば?」

 桐谷は弾薬ケースを受け取ると懐に入れた。

 薬品の名前を求めると、立石は顎に手を当て、少し考えるとソフィアをチラリと一瞬見てから答えた。

「そうですね……。インド神話に倣って、カーラクータとでも呼びましょうか」

 カーラクータとはインドの天地創造神話において竜王が吐いた毒の名前である。

 立石の提案を聞いて引っかかったソフィアは彼に尋ねる。

「カーラクータ……。ハーラーハラの方ではなく、ですか?」

 カーラクータとはハーラーハラの別称であり、一般的にはハーラーハラと呼ばれる。

 なぜわざわざ別称の方にしたのか、ソフィアは不思議に思った。

「必要の無いもの、日本のがらくたとかけてみました」

 立石は少し恥ずかし気に顔を背けてそう答えた。

 必要の無いもの、つまりソフィアたちが望むようにBETAが世界に広まり、理士が生まれて恒久和平が実現していたら、カーラクータは必要無かった。

 その真心が、立石にこの薬品をそう名付けさせた。

 立石は顔を戻すとソフィアの肩に手を置いて彼女を見つめて微笑んだ。

 立石は視線を桐谷に戻すとポケットから小瓶を取り出す。

「それと、これも受け取ってください」

「これは……」

 桐谷は見覚えのあるエメラルドグリーンの液体が入ったそれを受け取ると、まさかと立石に向き直った。

「BETAの複製品です。カーラクータを開発する過程で作成しました。ちょうど一人分あります。いざという時に使ってください」

 立石は桐谷たちがミンとの戦いに直面するであろうことを見越し、彼の分のBETAを用意していた。

「……ありがとうございます」

 桐谷は立石のその不器用な優しさに、苦笑いしながらBETAを受け取るのだった。


――練馬区、光が丘、安達家

 ソフィアたちが科捜研でカーラクータを受け取ってから数日が経ち、赤羽の葬儀の日取りが明日に迫った頃、歩とソフィアは真理の寝室の前に立っていた。

 真理は時折深夜に買い物に出たりするが、基本赤羽の死を知ったあの日からずっと寝室に引き籠っている。

 ドアの外には、歩が置いておいた夕食が手付かずの状態で放置されていた。

 それを歩は苦々しく見つめ、唇と嚙み締めた。

「……私は先にいのりさんの家に行ってます」

「ああ、わかった」

 いま自分がこの場にいてはいけないと察したソフィアはいのりの家へ向かった。

 歩は返事をしてソフィアを見送る。

 数回深呼吸したのち、彼は意を決し、ドアの向こうへ話しかけた。

「真理ちゃん、いい加減出てきてよ。話があるんだ」

 歩がそう言うと、ドアの鍵が開く音がした。

 歩は恐る恐るドアを開く。

 寝室には無数の酒瓶が転がっていた。

 その奥、ベッドには幽鬼のように成り果てた真理が腰かけていた。

 真夏なのに雨戸を閉め切り、照明も点けない部屋は真っ暗で、冷房を利かせ過ぎた部屋は歩をぶるりと震えさせた。

 真理のギョロリと動いた眼球は獣のように光っており、その眼球が自分を見据えた時、歩はたじろいだ。

 普段の勝ち気で、姉御肌で、煌びやかだった母の姿は、そこにはなかった。

 しかし歩は引くわけにはいかなかった。

 明日は赤羽の葬儀である。

 彼は真理を式に出席させる義務があった。

「……ここんとこ、酒を飲むか潰れて寝てるかのどっちかだな」

 歩は一歩踏み出し、暗闇の先の真理に話しかける。

 真理は歩の言葉を無視し、傍らに置いてあった酒瓶を呷る。

 そして歩を威嚇するように息を漏らし、彼を睨みつけた。

「……アタシがいつ呑もうが勝手でしょ?」

 真理はそう言うと酒瓶を置き煙草に火を点ける。

「……仕事はどうしたんだよ?」

 野良猫のように誰も近寄らせまいとする真理の姿に、歩は哀れみすら感じていた。

 歩は奥歯を噛み締めながら、糸口を掴もうと会話を続ける。

 真理は鼻で笑い、煙草を畳に落とし、裸足の踵で踏み消した。

「店は潰れたよ。黒龍商会の報復に遭ってね。おかげで他の連中もブルッちまってこのざまさ。皆んなアタシに関わりたくないってよ」

 真理は自虐するように顛末を語った。

 ニルヴァーナは冴島と赤羽の活動によって生まれた、あの街の秩序を象徴する店であった。

 そのニルヴァーナが冴島と赤羽の二本柱を失い、また従業員である真理自身も狙われる可能性が残っている。

 他の店も真理を招こうものなら自分たちも目を付けられかねない。

 そう判断され、彼女は切り捨てられたのだ。

 歩も真理がここまで豹変する原因は赤羽だけではないと思っていたが、彼女が精神的支えと経済的支えの両方を失った事を知り絶句した。

「……いまはそう言ってるだけだろ。落ち着いたらきっとどっかでまた働けるよ」

 気休めでしかないことはわかっていたが、歩は彼女に慰めの言葉を掛ける。

 真理は忌々し気に頭を掻き、歩が言い終わる前に反論を始める。

「アンタ、なんもわかってないのね? 悪い噂ってのはあっという間に広まるように出来てるの。それでいままで自分たちを守ってきてたんだから」

 真理はニルヴァーナだけではない。ホステスとして、少なくとも関東一円で廃業したのだと告げる。

 それこそ地方へ飛んで追手に怯えながら場末のスナックで働くしか選択肢は無かった。

「アタシはね、あの街に排除される対象になったのよ」

 そう吐き捨てて、真理は再び酒を呷った。

 真理の幾重にも折り重なった哀しみに、歩は掛ける言葉が見つからなかった。

「……明日、ヨウさんの葬儀だから、必ず出ろよな」

 せめて用件だけはと、歩は絞り出すような声で真理に伝えると、振り向いてドアノブに手をかけた。

「……用はそれだけ?」

 真理は呆れ果てたような眼で歩を見る。

 歩にはそれが自分に向けてなのか、それともこうして腐っている真理自身に向けてなのか判断出来ず、また真理に突き放されたような気がして、とても悲しくなった。

 いまはお互い距離を取ったほうが良い。

 歩はそう思い、口を開いた。

「……あと俺、しばらくいのりん家に泊まる」

 真理は返事をせず、酒を呷るだけだった。


――同、豊島園通り、愛染院会館

 身寄りの無かった赤羽の葬儀は、桐谷とえりなによる取り仕切りの元、近くの斎場で執り行われた。

 警察関係者や赤羽に世話になった人などが参列し、会場の周囲には参列者による長蛇の列が出来ていた。

 式場に設置された赤羽の祭壇と棺。その傍らの親族席には喪服に身を包んだ歩と真理の姿があった。

 僧侶の読経する声が式場に木霊する。

 参列者は焼香をあげたのち真理たちに声をかけるのだが、真理の容態は益々悪くなっており、虚ろな表情を浮かべたまま、まるで魂が抜けたかのようにその一切に反応を示さなかった。


 告別式と火葬が終わった頃、桐谷は喫煙所にいた。

 火葬場の煙突から昇る煙を眺めながら、桐谷はジッポで煙草に火を点ける。

 桐谷の持つジッポは赤羽が愛用していたジッポであった。

 桐谷はそれを見つめながら煙を吸い込むも、盛大に咽てしまう。

 その姿を歩とソフィアに見つかり、恥ずかしそうに顔を背けた。

「煙草、吸う人だったっけ?」

 駆け寄った歩が、揶揄うように桐谷に聞く。

「始めたんだ」

 そう言って桐谷は振り向きながら左手で弄っていたジッポをポケットに仕舞った。

「様になってないし、止めた方が良いんじゃない?」

 無理しちゃってとニヤニヤする歩。

「これから様になるの」

 揶揄う歩への反撃に煙を吹きかける桐谷。

 歩は煙たそうに咽ながら煙を払う。

「それで、桐谷さんはこれからどうすんの?」

 煙を払い終えた歩は、喫煙所の地面を靴先で弄びながら尋ねる。

「どうするって?」

 煙草を吸いながら何の話だと桐谷が問い返す。

「ヨウさんの敵討ちに決まってるじゃん」

 歩はまるでこれから悪戯を計画する子供のようにニヤリと笑いながら答えた。

「僭越ながら、カーラクータを作成した旨は歩さんに共有させていただきました」

 歩の半歩後ろにいたソフィアが歩の言葉に補足を加える。

「……えっ? 本気でやるつもりかい?」

 桐谷は二人の話を聞き唖然とする。

 ソフィアはともかくとして、歩が加わる事はリスクにしかならないと桐谷は考えていた。

「当然。桐谷さんだって捜査から外されたのにチョロチョロ動き回ってるんだろ? じゃあ俺たち協力し合った方が良くね?」

 桐谷の問いに歩は自信に満ちた声色と表情で答える。

 歩のこれは虚勢であった。

 自分に何も出来ない事は白龍運送の際に思い知らされている。

 しかし愚者と見られようと、蛮勇と見られようと、ここで矢面に立たなければ本当に自分はこの件に関してフェードアウトさせられてしまう。

 それだけは避けたかったが故の、精一杯の虚勢であった。

「冷静になりなさい。子供にどうこう出来る話じゃ」

 ソフィアに協力してもらっている桐谷であったが、それはBETAの解析とカーラクータ作成が目的であったからであり、実捜査に入ったらソフィアも舞台からは退いてもらうつもりであった。

 そのつもりであったのに目の前の二人は意気軒昂に鼻息を荒くしている。

 桐谷はそんな真似はさせられないと、二人を説き伏せようとした。

「なんだ、赤羽の弟子の癖にキモの小さい野郎だな」

 すると桐谷の背後から彼らに話しかける声が聞こえ、三人は声のする方を振り向いた。

 そこには杖を突きながら歩く冴島の姿があった。

「冴島……」

 歩たちは冴島のその姿に息を呑んだ。

 全身傷だらけで、それもまだ癒えておらず、杖を突かないと歩行もままならない彼の姿は、白龍運送での戦いがいかに激闘であったかを歩たちに思い知らせた。

「ボン、俺はこの話に乗らせてもらうからよ」

 桐谷を通り過ぎ、歩の前に立った冴島は彼の横に回り込んで肩を抱いてニカッと笑った。

「冴島さん……」

 冴島が現れた時、歩は身構えた。

 それは一度彼の策略により拉致され、BETAとソフィアを奪われたからであった。

 しかし冴島のその傷だらけの姿と、それでもなお戦意を失わない意志の強さ、そしてこれまでの遺恨を水に流し、屈託の無い笑顔を歩に向けた事で、歩は冴島と言う人間は信頼出来ると判断し、その警戒を解いたのだった。

「ここじゃ人目に付く。河岸を変えようか」

 会館からいのりたちが出てきたのを見た冴島は三人についてこいと門の方へ歩き始めた。

 歩は冴島の提案に従い、彼について行く。ソフィアも歩に続く。

 一瞬迷った桐谷であったが、歩たちを見かねて、彼もその後をついて行った。

「あっ、歩! ソフィー! どこ行くの!? 精進落とし始まるよ!?」

 会館から中庭に出たいのりが、外に出ようとする歩たちを見つけ呼び止める。

「悪い! 真理ちゃん頼んだ!」

 すでに敷地外に出ていた歩はいのりに届くように声を張り上げて真理の世話を頼んだ。

「もう……」

 いのりが文句を言おうとした時にはすでに歩たちの姿はなく、いのりは溜息を吐くのだった。

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