第21話:ロボットの定義とは、人の定義とはなんでしょうか?

――北区、赤羽、駅東口近くのラブホテル

 赤羽駅東口、歓楽街ほど近くのラブホテル。

 仕事を終えた加藤とみくるは賀茂村で盗んだバンでその建物へ入っていった。

 冴島組に追われる身の上であり、また着の身着のまま逃げた二人は当然身分証も無いため、彼らはラブホテルを仮住まいとしていた。

 本来であればそれぞれの実家を頼るべきなのではあるが、事情が事情であるため彼らは決めかねており、とりあえず二人で協力し合うことで現在に至っているのである。

 シャワーを終えた二人は、ガウンに着替えると近くのスーパーで買った冷凍食品を温めて食事をとっていた。

 その時、意を決したみくるは廃倉庫で見た出来事を加藤に打ち明けた。

「それは……」

 話を聞いたものの、加藤が判断するには材料が少なかった。

 加藤の認識では冴島は悪と認識しているのだが、冴島たちの目的が歩たちをこの騒動から遠ざけるためBETAを取り上げた事実を彼は知らない。

 みくるが見てきた状況だけで判断するのであれば、コウは冴島と繋がっているとも判断できる。

 しかしではなぜコウはBETAを所持しておらずそれをコピーソフィアに作らせようとしていたのか。

 コウと冴島は敵対しているのか。

 だとしたらなぜ?

 そう考えを巡らせていると部屋のドアが突然何者かによって蹴破られた。

「オドレらここにおったんかゴルァ!!」

 ヅケヅケと中に入ってきたのは冴島組の組員であった。

「くそっ、みくるさん!」

 加藤はみくるを逃がそうと組員たちに立ちはだかる。

 しかし多勢に無勢で加藤は一瞬で押さえ込まれてしまった。

「なに、悪いようにはしねぇから大人しくしとけ」

 加藤を押さえつけている組員が彼を宥める。

「どのクチが……ぐっ!」

 手錠をかけられ、猿轡をされた加藤は強引に立ち上がらされ、連行されていった。

「さぁ、お嬢ちゃんもついてきてもらおうか?」

 残った組員の手が、みくるへと伸びていった。


 二人が連行された場所は二階最奥の部屋であった。

 その部屋には手狭な室内の割には不釣り合いなクローゼットが設けられており、組員が戸を開き、天井にある隠しレバーを引くと隠し通路が現れた。

 このラブホテルは冴島の所有物件であり、彼が作った緊急時用の地下室に繋がっていた。

 地下室は建物の建築面積と同等で、各所には保存食などを備蓄している倉庫や武器庫、シャワールームや簡易ベッド、幹部用の個室などが備え付けられており、白龍運送での死闘から逃げおおせた冴島組組員たちはそこで治療を受けていた。

 加藤たちが連れてこられたのは、個室で腹部に受けた銃創を闇医者に縫合されていた冴島の前であった。

「……話は聞かせてもらったぜ」

 脂汗を滲ませながら冴島は加藤たちにニヤリと笑いかけた。


――翌朝、練馬区、安達家

 翌朝、昨日に続き科捜研へ向かおうとソフィアの端末を抱えて安達家を出た桐谷は、紙袋を持ったいのりに呼び止められた。

「いのりちゃん、どうしたの?」

 不安げな表情を浮かべるいのりに、桐谷は努めて普段通りに明るく振る舞う。

「歩からジャージ貸してくれって連絡来たから持ってきたんだけど……。おばさまたち、大丈夫かなって」

 いのりは紙袋を桐谷に見せ、歩たちを慮る。

「歩くんの方は大丈夫だけど……」

 そう言って桐谷は振り返り、安達家の、真理の寝室がある一階和室を見た。

 彼の所作でいのりは察し、心配な気持ちを誤魔化すように紙袋を抱き締めた。

「……大丈夫だよ。ヨウさんが面倒見てたんだから、きっと立ち直ってくれるよ」

 桐谷はいのりの肩に手を置いて彼女を励ます。

「そう。そうだよね」

 いのりは自分に言い聞かせるように頷き、緊張を解いた。

「じゃあ僕はちょっと出てくるから」

 桐谷はいのりの表情が和らいだのを見届けると、クラウンに乗り込む。

「はい、行ってらっしゃい」

 気持ちが軽くなったいのりは普段通りの笑顔に戻り、桐谷を見送った。

 玄関ポーチに立ったいのりの視界の端にタロの墓が映る。

 いのりはタロの墓の前にしゃがみ込み、手を合わせてタロに歩たちを守ってと願うのだった。


 いのりが安達家のインターホンを押すと廊下を掃除していた歩が出迎えた。

「悪いな、急に」

 いのり自身、父親同然に接してきた赤羽の死はショックであったのだから、歩も自分と同様、あるいはそれ以上に悲しんではいないかと心配であった。

 しかし玄関に現れた歩は普段通りであり、いのりは逆に拍子抜けするのだった。

「ううん。でもなんで急にジャージ?」

 首を振り、努めて笑顔で振る舞ういのり。

 なぜ自分のジャージを要求したのかといのりは首を傾げる。

「あー、それなんだけど」

 いのりの質問に歩はどう説明したものかと戸惑いながら頭を掻くのだった。


「えぇーっ!?」

 いのりの驚愕した声が家中に響く。

 歩の部屋に案内されたいのりは、そこで青髪の美少女の姿と遭遇したからだ。

 しかもその美少女は、歩のシャツとトランクスに身を包んでいる。

 この時点でいのりは昨晩に続いて再び心臓が止まるかと思ったが、さらに彼女があのチョロチョロ動き回っていたロボットのソフィアだと歩が説明した。

 そのためいのりは驚愕の声を家中に響かせたのだった。

「改めてよろしくお願いします、いのり」

 三つ指をつき、平伏するソフィア。

 そんなことしなくていいと、いのりは忙しなく手を振って断る。

「どういうこと!?」

 堪らずいのりは歩を見て説明を求めた。

「説明」

 いのりに言われ、歩はソフィアに説明するよう命じる。

「なに様!」

 歩のソフィアに対する態度がロボットであった時と変わらないようなのにいのりは安心したが逆に女の子に対してそれはどうなのだとツッコミを入れる。

「ご主人様だ!」

 歩は身体を反らせ、ふんぞり返るように宣言する。

「キモい!!」

 このような事態になれば驚きで鬱々とした気持ちが消し飛ぶのは当然だと、いのりは歩たちの様子を見て納得したが、代わりに先ほどまで心配していた自分が馬鹿みたいに感じ、いのりは紙袋で歩の顔を殴った。

「BETAを用いて有機細胞で構成される肉体を精製しました」

 目の前で繰り広げられる漫才を見かねたソフィアが歩の指示通り説明して割って入る。

「だってさ」

 ソフィアの説明が終わり、歩は満足したかと聞きたげにわざとらしくいのりに会話をパスする。

「説明になってない!」

 求めていた回答でなかったいのりは顔を真っ赤にして異議を唱える。

「BETAは汎用有機ナノマシンなので、それを胚細胞に変異させ、そこに私の思考ルーチンプログラムを反映して作成したゲノム細胞を注入し、BETA細胞のみでの受精卵を精製。これを人工子宮に組み込み、BETAと栄養剤で満たした培養液に浸し育成。成長した生体の脳神経ネットワークに私の記憶データをインストールしました」

 いのりの異議を汲み取り、より詳細な説明を述べるソフィア。

「んぁー! そういうことじゃなくてぇ!」

 いのりが聞きたかったのはどうやってではなく、どうしてであった。

 なぜ人間になったのか。しかも美少女に、と。

 言葉に出来ないもどかしさに、いのりは地団駄を踏んだ。

「どのような説明をご要望でしょうか?」

 半狂乱状態のいのりを見て、ソフィアはキョトンとした。

 その顔を見て、諦めたいのりは脱力して項垂れた。

「もういいよ。人間になったってことは、わかった」

 ソフィアに説明を切り上げさせ、歩が自分にジャージを借りようとした意図をとりあえず理解したいのりは、その紙袋をソフィアに渡した。

「いいえ。ヒトと同じ構造、遺伝子を有していますが、BETA細胞を変質させたものですのでヒト種起源ではありません。そういった意味では厳密には人間ではありません」

 紙袋を受け取ったソフィアは、いのりの解釈に修正を加える。

 ソフィアが修正を加えたのは、彼女が人間であるとした場合、その製造過程において倫理的な問題が浮上するためであったが、いまはそう言う話をしているのではない、天然になったかと歩といのりは顔を見合わせて半ば呆れるように溜息を吐いた。

「でもまぁ、ロボットでなくなったのはいいことだな。もう部屋を工作機械だらけにされなくて済む」

 皮肉交じりに、歩はソフィアがロボットだった頃の話をする。

 その歩の言葉に、紙袋からジャージを取り出してまじまじと眺めていたソフィアが、歩に問い掛けた。

「ロボットの定義とは、人の定義とはなんでしょうか?」

 ロボットの定義とは人工物で作られた、センサー、知能・制御系、駆動系の3つの要素技術を有する、知能化したシステムである。

 対して生命の定義とは個体として確立され、エネルギー収支による活動を行い、自己複製が可能なシステムである。

 であるのであれば、万能有機ナノマシンBETAを用い、ヒトゲノムも模して造られたソフィアはロボットなのだろうか。やはり人なのだろうか。

 ソフィアの問いかけが思わぬほどの哲学的な内容であったため、歩といのりは固まった。

「まぁいいじゃん? どっちでも」

 思考の迷路に陥った二人であったが、早々に放り投げたいのりが、あっけらかんと答える。

 歩はと言うと、無表情のまま生命と宇宙の神秘を探求し始めていたため、いのりは小突いて思考の迷路から呼び戻した。

「おっ? お、おお、それもそうだな」

 悟りを開くまで脱出出来なかったであろうそこから生還した歩は、いのりの答えに同意する。

「それより! まずは買い物、じゃない?」

 いのりはソフィアの背中に回り込み、彼女のための買い物をしようと提案する。

「そりゃ、そうだけど。桐谷さんがいなくて良いのかな?」

 歩はいのりの提案に対して不服は無かったのだが、科捜研に出向いている桐谷が表向きは自分たちの警護任務に就いているため、彼がなにか不利益を被らないかを危惧した。

「連絡しておけば大丈夫じゃない? ちょっと買い物に行っただけでなにか起きるならとっくに起きてるでしょ?」

 いのりは白龍運送での抗争を思い出し、あれだけのことをする連中なのだから、本腰を入れていればいまごろここはとっくに襲撃されていると、歯に衣着せぬ意見を述べた。

 実際のところ、警護任務と言っても割り当てられている人員は桐谷一人だけであるし、コウたちの逃走ルートから見て、警察側もコウの潜伏先は板橋より北、埼玉方面が濃厚だろうと踏んでいた。

 桐谷が警護任務に就かされているのは裏金関係の情報を知っているが故の、事実上の厄介払いなのである。

 彼が警護担当でありながら連日科捜研へ通っているのも、そう言った忖度事情を見透かしているためであった。

「それもそうだな」

 歩はいのりの物言いを聞き、一瞬考えて同意した。

「じゃあ行こっ! 気晴らしも兼ねてさっ! 歩、車出して!」

 話が決まるといのりはソフィアに歩のシャツとパンツの上からジャージを着させ、立ち上がらせた。

「……いのりには敵わないな」

 戸惑うソフィアの背中を押して促すいのりに歩は救われた気がして笑みをこぼした。

「えっ? なにが?」

 歩のぼやきが耳に入ったいのりは振り返ると首を傾げ、早く行くよと彼に手を伸ばす。

「なんでもねぇよ」

 自嘲気味に苦笑いした歩は、彼女の手を取り立ち上がった。


 歩たちは一階に降りると真理の寝室の前に立つ。

「真理ちゃん、いのりと買い物行ってくるから」

 寝室のドア越しに、真理に出かける旨を伝える歩。

 赤羽の死を知ってから真理は塞ぎ込み、寝室から一歩も出なくなってしまっていた。

 その声はどこか寂しく、申し訳無さそうで、いのりとソフィアは不安そうに彼の背中を見守った。

「……おば様、大丈夫?」

 見かねたいのりが歩に声をかける。

「……だいぶダメっぽい」

 歩は振り返らずに首を振る。

 目の前のドアが真理の心の壁のように感じ、どうすれば彼女の心に再び平穏が訪れるのかと俯いた。

「……申し訳ございません」

 歩の様子を見て、ソフィアも俯き、謝罪する。

 その声はロボットであった頃と違い、悲しみと申し訳無さで震えていた。

 いのりはその声で彼女にも心があるのだと気付き、彼女の心を守るように肩を抱く。

「ソフィアは悪くないよ。気にしちゃダメ」

 肩を揺すり、諸悪の根源は彼女たちをつけ狙い続けたコウ・キュウキたちであると、いのりはソフィアを慰める。

「……ありがとうございます」

 ソフィアは涙で上擦った声で、お礼を述べるのだった。


 ――同、光が丘駅、IMAメインストリート

  駅前のショッピングモールに到着した歩たちはいのり主導の元、ソフィアの買い物に繰り出した。

 美容院の前に立ついのりたち。

「まずは髪、だね」

 いのりは伸び放題のソフィアの髪を撫でてそう言うと、腕試しの武芸者が道場破りをするかのように勇んで店内に入っていった。

「髪、ですか」

 美容師の華麗な技巧でソフィアの周りでハサミが踊る。

 腰まで伸びていた長い髪は背中の中ほどまで整えられ、前髪は活動しやすくもソフィアの美貌を引き立てる程度に切り揃えられていく。

 次に彼女たちが訪れたのは洋服屋であった。

「そうだよ。折角かわいくなったんだからオシャレしないと」

 いのりはソフィアを着せ替え人形代わりにアレコレと着替えさせ、いのりが気に入ったもの次々とカートに突っ込んでいく。

 このような調子でシューズ、下着、バッグ、コスメと転々と店を練り歩く一行。

 その度に荷物持ちとなっていた歩は買い物袋に埋もれていくのであった。


 ソフィアの買い物もひと段落した一行は、荷物を車に積み込んだあと、その足で日用品の買い出しにスーパーを訪れていた。

 いのり渾身のコーデの結果、ソフィアの白い肌と蒼い髪が引き立つよう、白地のシャツに黒のショートパンツにサマーパーカーと、シックなクール系の装いをしたソフィアは行き交う人々を振り返らせた。

 それを恥ずかしく俯いて歩たちの後ろをついて行くソフィア。

「あの……皆さんの視線が気になるのですが……」

 いのりの服の裾を引っ張り、彼女の背に隠れようとするソフィア。

「ソフィアって綺麗だし、不思議な見た目だから皆気になるだけだよ」

 いのりは気にせず胸を張れば良いと、恥ずかしがる彼女の背中を叩いた。

「そう、でしょうか?」

 紋様が見えないよう、服は長袖のものを選んだが、どこか悪目立ちしているところがあるのだろうかと、ソフィアは歩に助けを求める。

「まぁ、そんな髪の色した日本人はいないわな。肌も雪みたいに白いし」

 ソフィアの隣を歩く歩が、彼女の頭をポンポンと叩く。

 それを受け、ソフィアの耳輪の尖った逆三角形の耳がぴょこりと動いた。

 異色の髪色、すらりと伸びた手足、整った目鼻、尖り耳と、まるでファンタジー世界からエルフが飛び出したかのようなソフィアの風貌が耳目を集めるのは、当然のことであった。

「髪色や肌の色についてはBETA細胞の影響が大きく、また手足や顔つきについてはベースとなった遺伝子情報の影響なのですが、変でしょうか?」

 ソフィアは歩の話に対して、理由を説明する。

 この風貌はシュルティ博士が計画を進める上で予め決めていたものであったが、社会通念的に異質であると知ったソフィアは怯えるように尋ねた。

「ううん。全然良いよ。ソフィアっぽい」

 ソフィアの質問に、歩たちは笑顔で答える。

「ありがとうございます」

 その笑顔に、ソフィアは表情を和らげた。


 日用品の買い込みが終わり、袋詰めをしている時、いのりを手伝うソフィアの手の甲を見て、そこに浮かび上がっている紋様を歩は尋ねた。

「博士やミンもそうだったけど、そのタトゥーみたいなのはなんなんだ?」

 歩の質問を受け、ソフィアはその紋様を撫でながら答える。

「これは電脳化が完了している証のようなものです。この紋様部分には脳から発生した電子情報を伝達する回路のようなものが流れています。ですので例えば」

 そう答えるとソフィアは辺りを見渡し、近くにあったATMに近寄り、手をかざす。

 紋様が蒼く光るとキャッシュディスペンサーが開き、そこから一万円札が紙吹雪のように一斉に飛び出した。

「えっ!?」

「マジかっ!?」

 目を丸くして驚く歩たちを余所に、床に落ちた一万円札を拾い、再びATMに戻すソフィア。

「こういうことが出来ま」

 ソフィアがそう言い終わる前に、歩たちは彼女の手を取り、フードを被せて彼女の姿を隠す。

「なにやってんの、もう!」

「さっさとずらかるぞ!」

 犯行が失敗した小悪党のようなセリフを吐いた歩といのりは、逃げるようにスーパーを後にした。

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