第17話:俺は、真理ちゃんの人形じゃない

 興奮状態だった歩といのりも、レインボーブリッジが見えてきた辺りでエネルギーが尽き、後部座席でうつらうつらと舟をこぎ始めていた。

 思えば朝から大立ち回りの連続だったと、歩は腹の虫の無く音で気付く。

 バックミラーでその様子を観察していた桐谷は、二人の行動力と意志の強さに末恐ろしさを感じていた。

「それにしても、一体ここまでどうやって来たんだ? 賀茂村にいたはずだろ?」

 事情を知っている桐谷は安堵からか、二人にうっかり尋ねてしまう。

「それは、村のクルマを盗んで」

 呆けながら答える歩を遮って、いのりは気付く。

「待って。なんで桐谷さんがそのこと知ってるの?」

「う、それは……」

 失言したと桐谷はバツの悪い顔を浮かべるのだった。


――新宿区、新宿警察署付近、ロイヤルホスト新宿店

 桐谷の失言により、一連の拉致監禁が赤羽たちの企てであったことを知った歩たちは、新宿署への同行を拒否し、この日初めての食事を取っていた。

「狂言誘拐!?」

 奪い合うようにテーブルに並んだ料理を貪っていた歩といのりは、桐谷の言葉に驚き、声を上げた。

「ごめん……」

 申し訳無さそうに謝る桐谷。

「なんでそんな回りくどいことしたんだよ!?」

 チキングリルを食べ終えた歩が、不当な扱いを受けたことに苛立ち、テーブルを叩く。

「それは、黒龍商会の裏で手を引いてるコウ・キュウキを引きずり出すためで……」

 歩たちの怒りは最もだと、桐谷は小さくなりながら答えた。

「説明になってない!」

 歩に続いていのりもテーブルを叩き、桐谷を糾弾する。

「俺は散々殴られたんだが!?」

 シャツを捲り、大男に蹴られて青アザだらけになった腹を見せる歩。

 その痛々しさに桐谷は目を背け、絞り出すように答えた。

「それは……歩くんたちは、少しは怖い思いをした方が良いって真理さんとヨウさんが」

 桐谷の言葉に歩たちは開いた口が塞がらなかった。

「信じらんない! 私、今日から合宿だったのに!」

 立ち上がり、顔を真っ赤にして怒り狂ういのり。

「だからこうしてお詫びにご馳走してるじゃないか」

 いのりの激昂に、桐谷はテーブルに手をつき、何度も頭を下げた。

 いのりとは対照的に、静かに怒っていた歩はメニューを眺めていた。

「すいませーん! この店の高いものから順番に持ってきてくださーい!」

 歩はメニューを開いて店員を呼び、そう告げる。

 仕返しを開始した歩を見て察したいのりが彼に加勢する。

「歩、値段が一番高いのだと肉料理になってすぐ限界が来るからダメ。グラム単価で考えて一番高いやつを選ばないと」

「ならデザート系? でも俺この一番高いステーキ食ってみたい」

「じゃあそれとこの海鮮グリルと貝のフリッター、はポテトが邪魔か。あとはパフェの一番高いやつと……」

 メニューで桐谷を遮り、二人はぶつぶつと談合する。

「勘弁してくれよ~」

 復讐に燃える二人に涙目になって許しを乞う桐谷であった。


――練馬区、光が丘、安達家

 時刻も深夜を回り、漸く帰還した歩たちを真理たちが軒先で出迎えた。

「わぁあん!! お母さぁあん!!」

 母、えりなの姿を見ると、いのりは酷い目に遭ったと泣き喚きながら抱きつく。

 対照的に歩と真理は、無言ですれ違った。

 気まずそうな真理に対して、軽蔑するような眼差しで歩は彼女を睨む。

「……全部バレてるからな?」

 歩の怒気と、彼を陥れた後ろめたさから真理はたじろいだ。

「うっ……。わ、悪かったよ」

 顔を伏せ、申し訳なさそうに謝る真理。

 怒り冷めやらぬ歩は真理の謝罪を無視し、玄関のドアに手をかける。

「それじゃあ僕は車の中で待機してますので」

 歩と真理の険悪な空気を察した桐谷は、自分に矛先が向かないうちに退散しようとした。

「桐谷さんは俺の部屋来てよ。ソフィアと直接話をしてもらいたい」

 逃げようとした桐谷を、歩が引き留める。

「うぅ、わかったよ……」

 観念した桐谷は安達家に入っていった。

「あと真理ちゃん。俺、もう医大受けねぇから」

 桐谷を自宅に招き入れ、自分も入ろうとした時、歩は振り返り真理に吐き捨てた。

「はぁ!? アンタ、それとこれとは別でしょうが!」

 歩の言葉に、真理は驚き、声を張り上げて抗議する。

 歩の真理への眼差しが、さらにキツくなった。

「別じゃねぇよ。俺は、真理ちゃんの人形じゃない」

 真理を蔑むようにそう言い放った歩は、音を立てるように玄関のドアを閉じた。


 家の中は歩が誘拐された時と同じ状態であった。

 踏み荒らされたフローリングの靴跡などを見て歩はその時のことを思い出し、また共謀者である真理が掃除もしていなかったことを腹立たしく思った。

 玄関で靴を脱いでいると、ソフィアが車輪を回しながら器用に二階から降りてきた。

「オカエリナサイマセ」

 諸手を上げて歩と桐谷を出迎えるソフィアに、桐谷は驚き身構える。

「き、君が、ソフィア、さん、かい?」

 気を取り直した桐谷はソフィアの体長に目線が合うようにしゃがみ、おっかなびっくり握手の手を差し出した。

「ハイ。私ハソフィアト申シマス。桐谷様、ゴ協力感謝イタシマス」

 ソフィアはお辞儀すると、差し出された桐谷と握手を交わす。

 歩は桐谷とは対照的にソフィアへ軽く挨拶を済ますと首を擦りながら二階に上がっていく。

 その後ろをソフィアがついて行くが、一生懸命階段を昇る姿を見兼ねた桐谷は、ソフィアを抱きかかえ二階へ上がっていった。

 歩の部屋に桐谷たちが入ると、着替え終わった歩がBETAをソフィアに差し出す。

「ほらよ。元のボディーはあそこに置いてきちまったけど、BETAは取り返したぞ」

「アリガトウゴザイマス。桐谷様、預カッテ頂イテモ、ヨロシイデショウカ?」

 床に降ろしてもらったソフィアがこれを受け取ると振り返り、桐谷にBETAを差し出した。桐谷は頷き、これを受け取った。

「これでコウ・キュウキが捕まれば終わりなんだけど」

 桐谷はBETAを懐にしまうとスマホを取り出し、赤羽に連絡を取ろうとした。

「ヨウさんは? まだ繋がんないの?」

 歩が桐谷に尋ねるも、眉をしかめた桐谷は首を横に振る。

「うーん、流石にもう落ち着いてると思うんだけど……」

 既存の最強部隊ではないとは言え、第六機動隊も日本警察最強部隊、SATの前身が所属していた歴史のある部隊である。

 すぐに解決するはずなのに妙だと、桐谷は首を傾げた。

 桐谷が答えに窮しているのを察した歩は、ソフィアの前に胡坐をかいて座った。

「しかし、漸く俺はお役御免だな」

 やれやれと肩を揉んで、歩はソフィアに話しかけた。

 桐谷を見ていたソフィアは歩に向き直り、歩を見つめると深々と頭を下げた。

「歩サン、イママデ本当ニ、アリガトウゴザイマシタ」

「散々な目に遭ったけど、楽しかったぜ」

 頭を下げたソフィアの頭を、ポンポンと歩は労うように叩いた。

「真理様ニ、ゴ迷惑ヲオ掛ケシマシタト、オ伝エクダサイ」

 ソフィアは顔を上げると、恐らく別れの挨拶は交わせないだろうと、真理への伝言を伝える。

 ソフィアの言葉に歩は顔をしかめ、そっぽを向いた。

「ほっとけよ、あんなクソババア」

 歩と真理の関係を悪化させたそもそもの原因が自分であるため、ソフィアは身体をしゅんとさせた。

 二人のやり取りを余所に、赤羽への連絡を試みていた桐谷であったが、真理の話題で雲行きが怪しくなったのを見かねて仲裁に入る。

「まぁまぁ。真理さんも君を思っての行動だったんだから」

 仲裁に入った桐谷に再び振り向き、頭を下げるソフィア。

「桐谷様、明日カラ、ヨロシクオ願イシマス」

「こちらこそよろしく」

 桐谷はソフィアの目線に合うようにしゃがみ、再び握手を交わした。

「さて、僕は車の無線で状況確認してくる。終わったらお詫びに勉強でも手伝うよ」

 桐谷は立ち上がると、一向に連絡のつかない赤羽の状況を確認しようと、無線機のあるクラウンに一度戻ることを伝える。

「勉強より掃除を手伝ってほしいかな」

 玄関がそうであったように、誘拐された時のままであった自分の部屋を指差し、歩は桐谷に掃除を手伝うようお願いするのだった。


 桐谷は車に戻るとやっと終わったと、崩れるようにシートに座った。

「はぁー、疲れた。ソフィアさんはとりあえず、科捜研と外事課に相談かなぁ」

 今日の出来事と次の報告会のためにダッシュボードに放っていたノートを手に取りながら、無線機を点ける。

「新宿桐谷より本部。人質の身柄を確保し、自宅へ送迎を完了しました。このまま人質家族の身辺警護に当たります」

 気を取り直して桐谷は無線機を点け、本部へ報告した。

『本部了解』

 本部からの返信が入り、桐谷は通信を終了する。

 白龍運送の状況が流れて来ないかと無線を点けっぱなしにしていると、入電が入った。

『第二交機より本部。平和島白龍倉庫で発生したテロ未遂事件について、現在第三小隊がマル被車両を追跡中。マル被車両は白のアルファード。芝浦方面を北上中。なお搭乗者は散弾銃で武装している模様。散発的に発砲しているため、各追跡車両は十分に距離を取り警戒されたし』

 第二交通機動隊からの追跡報告であった。

 コウたちはあの包囲網を突破し、埼玉方面へ逃走中との報に、桐谷は唖然とする。

「えっ」

 状況が予想と真逆の方向に進み、緊迫した表情を浮かべた桐谷は、他に情報が流れて来ないか傾聴した。

『六機第四中隊より本部。正体不明の凶器を所持する人統人と思われるマル被女性と交戦するも制圧に失敗、逃走した模様。隊員のうち半数が現在も意識不明。他にも雲雀任侠会系構成員に多数の死傷者。救急の応援を要請』

 次に入ってきた情報は赤羽の要請により現場に駆けつけた第六機動隊第四中隊からの被害報告であった。

 第六機動隊、総勢七十名からなる第四中隊が、ミン一人により壊滅したとの報は、桐谷の心胆を寒からしめるには十分すぎるものであった。

「そんな……嘘だろ……」

 報告を続ける第四中隊のその末尾に、桐谷は言いようのない不安を覚えるのだった。

『なお新宿署赤羽警部がマル被女性追跡以降、通信不能の模様』


 荒らされた自分の部屋を片付けながら、歩は一向に桐谷が戻ってこないのを不思議に思っていた。

「桐谷さん、来なくね?」

 片付けを手伝っているソフィアに話しかける歩。

 チョロチョロとゴミをまとめていたソフィアは作業を止め、歩を見上げる。

「ソウデスネ」

 一寸間を置いてソフィアは相槌を打ち、作業を再開した。

 普段より反応の鈍いソフィアに歩は若干の違和感を覚えつつ、歩はスマホを取り出した。

 赤羽から返信が無いのを確認すると短く溜息を吐き、片付けを再開する。

「ヨウさんも連絡着かねぇし。なんかあったのかな……」

 満杯になったゴミ袋を縛りながら、歩はぶつぶつとぼやく。

「ワカリマセン」

 ソフィアは歩に背を向けたまま、彼のぼやきに応えた。

 ソフィアのリアクションをおざなりと感じた歩は振り返り、ソフィアに聞き返す。

「なんだよ? お前自分の元の身体で覗き見出来るんだろ? ちょっと見て来いよ」

 歩は元ボディーを追いかけた際のことを思い出し、ソフィアを焚きつけようとする。しかしソフィアは振り返り、歩を見上げてこれを拒否した。

「デキマセン。アノ場ニハ、ミン・シユウガ、イマシタ。アノ人ニハ私ハ近ヅケマセン」

「なんでだよ?」

 ソフィアの拒否した理由が、歩はいまひとつ理解できなかった。

 ソフィアは頭を伏せ、まるで怯えているかのように言葉を続ける。

「ミン・シユウハ、シュルティ博士ニ近シイチカラヲ、有シテイマス。ソレハ私ヲ服従サセル事モ可能ナノデス」

 歩も白龍運送でのミンの超人的な力は目にしていた。

 しかし電撃を操れることが、なぜソフィアを服従させることに繋がるのか理解できず、歩は首を傾げるしかなかった。

「よくわかんねぇけど、とりあえずここは大丈夫ってことだな?」

「ハイ」

「じゃあまぁいいや。さっさと片付けて寝ちまおう。お互い明日は朝早いんだからよ」

「カシコマリマシタ」

 わからないものを考えても仕方ないし、わかるように説明しろとソフィアに言っても、専門用語を並びたてられ余計わからずじまいになりそうだと、歩は諦めてこの話題を切り上げ、ゴミ袋を玄関に運び出そうと担ぐ。

 ソフィアは頷き、彼のあとをついていくのだった。

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