第18話:人は悪いことを悪いと認識していても悪事を働いてしまう生き物なんだ

――栃木県、大田原市、合宿所近郊の県北体育館

 総合体育館の武道場で、合宿のトリを飾る卒業生と在校生による型稽古が行われていた。

 赤羽たちが画策した狂言誘拐により、合宿に参加出来なかったいのりであったが、帰還後新幹線と電車を駆使してなんとか最終日には間に合い、この型稽古には参加することが出来た。

 道着姿のいのりと在校生が、道場中央で木刀を中段に構え対峙する。

 静寂に包まれる道場。呼吸を合わせる二人。

 在校生が木刀を上段に構え、いのりもそれを受け上段に構える。

 すり足で間合いまで近付く二人。

 在校生が木刀を振り下ろす。いのりは半歩下がり、それをやり過ごすと踏み込み、在校生の頭にめがけ、木刀を振り下ろした。

 いのりの打ち込みは寸前で止まり、在校生が一歩下がると、いのりは彼女の動きに合わせ木刀の切っ先を彼女の鼻先の位置まで下げた。

 在校生はさらに一歩下がり、いのりは木刀を上段に構え直して残身をとり、一本目が終わった。

 そのまま粛々と続けられる型稽古。時折木刀同士が擦れ、ぶつかる音と、外から聞こえる蝉の鳴き声だけが道場に響く。

 型稽古が後半に入ってくると、感極まった部員たちのすすり泣く声が漏れた。

 型稽古が終わるころには、目を腫らした在校生たちと、同じく卒業生たちが一堂に整列し、力を振り絞って、最後の礼をして追い出し合宿は終了するのだった。


 帰り支度を済ませたいのりが、駐車場で待っていた歩の乗るスカイラインに駆け寄る。

「お待たせー! あー、めっちゃ泣いた」

 泣き顔を誤魔化すためにサングラスをしたいのりは、荷物を後部座席に放り込むと助手席に乗り込んだ。

「……感傷に浸ってるとこ悪いけどな」

 同じくサングラスをした歩が、ニヤリと不敵に笑う。

「今日は派手に遊ぶぞ」

 歩はいのりの目の前にビラリと札束を突き出した。

「ええっ!? どうしたの、こんなお金!?」

 目を丸くして驚くいのり。

 歩から札束を奪い取り、枚数を数える。

 そこには500万円ほどあった。

「ソフィアが桐谷さんと出た時に言ったんだよ。工作機械はもう使わないからお金に換えて良いって。その売ったお金」

 歩はここに来る前に、ソフィアが元ボディーを修理するために買い込んだ工作機械を業者に売却していたのだ。

 元値を考えれば二束三文で買い叩かれはしたが、それでも高校生二人にしてみれば十分過ぎる大金となった。

「そっか。……じゃあ全部、終わったんだね」

「ああ、あとは桐谷さんたちの出番だな」

 二人はどこか寂しそうにする。

 これまで漫画やゲームで見てきた、大冒険を終えた物語の主人公たちは、こんな気持ちだったのだろうかと歩たちは思った。

「よし、しんみりするの終わり! テンション上げてこっ!」

 気持ちを切り替えるためにいのりは両頬を叩き、歩にニカッと笑いかけた。

「そうだな! 行くか!」

 いのりの笑顔に釣られて笑顔になった歩は、車を発進させた。


――千代田区、桜田門、警視庁本部、科学捜査研究所

 内堀通りを挟んだ皇居の向かい、東京都を管轄する警視庁の本部庁舎。

 刑事部に属する科学捜査研究所施設を桐谷とソフィアは訪れていた。

 桐谷たちは内々で使用するミーティングルームに通され、少し待った後BETAの解析依頼をお願いした立石研究主任が現れた。

「お待たせしました。第一法医学部の立石です」

 科捜研の研究職員も警察組織内職員に相当するのだが、桐谷とは同格の職位であるため、立石は軽い挨拶で済ませて着席した。

「新宿署刑事四課の桐谷です。ご協力ありがとうございます。なにかわかりましたか?」

 机に手をつき、身を乗り出して尋ねる桐谷。

 ノートパソコンをテレビモニターに接続していた立石は、桐谷の言葉に眉を顰め、書類を桐谷に渡す。

「わからないことだらけですよ。これを見てください」

 立石は渋い顔をして嘆息を吐くとノートパソコンを操作し、HDMI接続されたモニターに映像データを表示させる。

「お預かりしたBETAを投与したマウスのCT検査画像です」

 立石は3D化されたマウスの神経系統図を表示する。

「これは……」

 桐谷はマウスの心臓と脳に米粒ほどの大きさの鉱物のようなものを見つけた。

 桐谷はそれを指差すと立石は頷き、話を続ける。

「第一段階として、BETAは脳幹と心臓付近にプラントを形成し、そこから生産されたBETA細胞が血管を通して全身に行き渡ります。この段階で特にわからないのはここです」

 立石はマウスの脳の画像を拡大する。

 脳幹に定着したプラントから神経のようなものがマウスの脳神経ネットワークに沿って広がっていた。

「BETA細胞が脳全体に浸透している?」

 まるで脳を補強するように張り巡らされたそれを、桐谷はそう捉えた。

 立石はCT画像を閉じると、映像ファイルを再生した。

「この段階になってから、先ほどまでマウスの知能実験を行っていました。まだ途中ではありますが、結果がこれです」

 映像ファイルは迷路実験と呼ばれる、餌を置いた迷路にマウスを何度か入れ、その知能と学習能力を検証する実験であった。

 迷路実験は二つ、比較するため通常のマウスとBETAを投与されたマウスで行われた。

 BETAを投与されたマウスは初回こそ通常のマウスと変わらない結果ではあったが、二回目以降は常に最短距離を選択するようになっていた。

 この結果に桐谷は唖然とする。

「すごい……。これがBETAの効果なんですか?」

 立石はなぜこの結果がもたらされているのか、因果関係すらわからないこの不可解な現象に酷く頭を悩ませた。

「それどころか簡単な言語まで理解し始めている兆候があります。一体どうやって知り得たのか、正直言ってお手上げですよ」

「え、ええっと……それについてなのですが。ソフィアさん」

 眉間を押さえて苦悶の表情を浮かべる立石へ、桐谷はどう説明したら良いものかと、彼のテーブルの上に置かれていたソフィアに助け舟を求める。

 ソフィアは手足を畳んで箱型に変形して沈黙を守り、置物のように振る舞っていた。

 と言うのは桐谷から然るべきタイミングで紹介するのでそれまで黙っているようにと言いつけられていたからだ。

 桐谷の呼びかけを受け、ソフィアは普段の姿に変形し立石の前に姿を現す。

「BETAハ不死身ニスルダケデハアリマセン。寧ロソレハ、副次的ナ効果ニ過ギマセン」

「わっ!? 喋った!?」

 それまで桐谷の手荷物か何かと思っていた立石は、突然変形し、まるで生き物のように動き、喋り始めるソフィアを見て飛び上がるように驚いた。

「紹介が遅れてすいません。BETAを開発したシュルティ博士の助手のソフィアさんです」

 タイミングが完全に悪かったなと桐谷は内心反省しつつ、立石にソフィアを紹介する。

「ソフィアト申シマス。ヨロシクオ願イシマス」

 桐谷の紹介を受けて、ペコリと頭を下げるソフィア。

 ソフィアの動きを見て立石は、ラジコンのように他者がそう見えるように振る舞うのではなく、自律した、ある種生き物然とした生々しさにもの恐ろしさを感じていた。

「ず、随分変わった端末ですね……」

 それでも立石は、こんな完全自律型のロボットなど、現代科学において存在する訳が無いと、この人はこの変わった端末を使ってリモートでこの場に参加しているに過ぎないと思い込むことにするのだった。


 立石との会談が終わり、桐谷たちは捜査本部の報告会に参加すべく、新宿署に向かっていた。

 助手席に鎮座するソフィアは、立石の様子を振り返って桐谷に尋ねた。

「ナゼアノ方ハBETAト私ヲ、怖レタノデスカ?」

 ソフィアの問いかけに、桐谷は横目で一瞥すると説くように答えた。

「無理もないさ」

「ナゼデスカ?」

 ソフィアは聞き耳を立てるように、桐谷の方へ頭を向けた。

「いきなり神になれる秘薬が目の前に現れて、それを作ったのは漫画の世界みたいなロボット。誰だってどうしたら良いのか戸惑ってしまうよ」

 自分だってそうだと、桐谷は自嘲気味に答える。

 ソフィアは桐谷の話を聞くと、そんなことかと言いたげに頭を元に戻した。

「BETAデ神ニハナレマセン」

「どういうことだい?」

 桐谷の話を否定するソフィアの言葉は、桐谷に疑念を抱かせた。

 どういうことだと眉間に皺を寄せた桐谷に、ソフィアは言葉を続ける。

「神ハ全知全能ト、言ワレテマス。BETAハ、人間ノ延長線上デシカアリマセン」

 桐谷は神と言う言葉の認識の違いかと理解したが、その上で不可解な点が浮上する。

「君に事情を聞いた時、BETAは人類を救済すると君は話した。僕はそれが神に進化することだと思っていた。それが違うのなら、BETAはどうやって人類を救済するんだい?」

 BETAが人の延長線上に過ぎないのなら、ソフィアたちが作ったこの妙薬は、争いを齎す火種にしか過ぎないのではないかと、桐谷は思った。

 ソフィアは、桐谷の質問に少しの間沈黙していたが、やがて思い出話をするように話し始めた。

「博士ハ、世界ガ平和ニナルタメニ、BETAヲ作リマシタ」

 ぽつりぽつりと話すソフィアの話を、運転しながら桐谷は真摯に傾聴した。

 車は新宿御苑トンネルに入り、ナトリウムランプのオレンジ色の光が、車内を照らす。

「博士ハ、争イノ原因ハ、知識ノ不足カラ起キルト、仰ッテマシタ。オ互イヲ知ラナイカラ、正シイ選択ヲ知ラナイカラ、人ハ争ウノダト」

 シュルティ博士の人物背景を、以前外事二課の協力で知り得ていた桐谷は、彼らのその思想が伊達や酔狂、ましてやカルトに染まったなどの類いではないと理解している。

 彼らの重苦しい、暴力と血と銃弾がべっとりとこびりついた道の果てに辿り着いた、唯一の答え、救いであったのだろう。

 桐谷は薄暗いトンネルの光に照らされたソフィアが、酷く不憫に見えた。

「……つまりBETAによって全ての人類に等しく知識を与えることが出来れば、争いは無くなるということかい?」

「ハイ」

 ソフィアの話を聞き、それでも人を憎まず、博愛の道を選んだシュルティ博士は気高い精神の持ち主であったのだろうと桐谷は思った。

 しかし同時に悲しいほどの夢想家でもあったのだろうと、虚しさも覚えた。

「それはある意味で正しいのかもしれないが、見落としもある」

「ソレハ、ナンデショウカ?」

 ソフィアは桐谷の方へ振り向き、尋ねる。

「人は悪いことを悪いと認識していても悪事を働いてしまう生き物なんだ。それを防ぐために、僕ら警察がいるとも言える」

 シュルティ博士は娘を暴漢に襲われ亡くしている。

 その悲劇さえ、彼らが貧しくなく、そして分別のある人間であれば起きなかったのであろうと考えたのだろうか。

 そうであればそれは間違いであり、腹が満ちていても親が子を殺し、子が親を殺すのが人間の側面でもあることを彼は考慮していないと桐谷は思った。

「……デハBETAデモ世界ニ争イハ、無クナラナイノデショウカ?」

 トンネルを抜ける。

 ホワイトホール現象で桐谷は一瞬眩しさに目をしかめる。

 視力が戻るとソフィアは正面を向き、俯いていた。

「……博士と君の優しさが世界を変えることを願っているよ」

 彼は俯くソフィアの頭をポンポンと叩き、聖人君子であった主の遺志を守ろうとする忠実な助手を励ますのだった。

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