第15話:出来るわけないでしょ! スピード違反! 盗難車! それに
マスタードイエローのシビックが、青梅街道の山道を突き進む。
スカイラインで毎日真理の送り迎えをしていた歩であったが、加速性能の高すぎるシビックは荷が勝ちすぎ、その性能の十分の一も引き出せずに車体をガックンガックンと揺らしながら山道を進んでいた。
「いま、どの辺りなの?」
このままだと車酔いになると、アシストグリップにしがみつくいのりが尋ねる。
「私ノ身体ヲ乗セタ車両ハ現在八王子西インターチェンジヲ南下中。距離ニシテ、40キロ先デス」
センターコンソールのスマホ置きに設置されたソフィアが答える。
「ちょっと、それ、追いつけるの?」
車体の揺れに連動し、前後に揺れ、上下に揺れるいのり。
「……無理だろ」
歩はソフィアの回答に、渋い顔を浮かべるが、ソフィアはこれを否定した。
「イイエ、可能デス。イノリ、歩サンニ、ワイヤレスイヤホンヲ着ケテクダサイ」
ソフィアの言葉に、顔を見合わせる二人。
「持ってるか?」
「持ってるけど……それで何か変わるの?」
いのりはシートベルトを外し、後部座席に放り込んだ荷物から取り出すと歩に手渡した。
「こうか?」
歩はソフィアに言われた通りにイヤホンを装着する。
「アリガトウゴザイマス。インストールヲ開始シマス」
するとソフィアを表示していたスマホ画面が忙しなく移り変わり、『インストールスタート』と表示された。
「インストールってな、が!? がああああああ!?」
ソフィアの不穏な発言を問い質そうとした刹那、イヤホンから生じたスパークが歩の頭を包んだ。
運転しながら絶叫する歩。
「歩!?」
歩のその尋常でない様相に血相を変えるいのり。
歩からイヤホンを外そうといのりが手を伸ばすが、急に車の速度が上がり、加速重力でバケットシートに押し込まれた。
「直チニ影響ハアリマセン。シートベルトノ着用ヲ、オ願イシマス」
歩の変貌を簡潔に説明し、いのりにシートベルトの着用を促すソフィア。
「直ちにじゃなきゃあるの!?」
ガチャガチャと慌ててシートベルトを着けながら、いのりはソフィアに抗議した。
ギアを最高速に入れたシビックは、片側一車線の滝川街道を爆走する。
「あばばばばばばばば!?」
時折現れる前走車を、奇声を上げながら巧みなハンドル捌きで追い抜くシビック。
道路脇で速度取り締まりをしていたパトカーが、爆走して通過するシビックを見て追跡を開始した。
『そこのシビック、停まりなさい』
サイレンを鳴らしながら猛追するパトカー。
「やば!? 警察!」
パトカーのサイレンが聞こえたいのりが声を上げる。
「えっ!? 警察!? 言われた通りにするか!?」
警察と聞き、正気に戻った歩が言う通りにするか迷い、アクセルを緩めたがいのりは逆にそれを止めさせた。
「出来るわけないでしょ! スピード違反! 盗難車! それに」
そう言うといのりは制服に手を突っ込み、取り出す。
「銃刀法違反!」
いのりは金髪男からトカレフを奪っていた。
「なんでそんなもん持ってんだよ!?」
突然現れるトカレフに驚く歩。
「要るでしょ!?」
歩たちは大男が輸送中のソフィアの元ボディーとBETAを取り戻さなければならない。
相手はヤクザ。そのため、いのりは武器が必要だと金髪男を取り押さえた時に一緒に奪っていたのだった。
「問題アリマセン。イマノ私達ニハ、追イツケマセン」
口論し合う歩たちを黙らせるように、ソフィアは再び歩のイヤホンからスパークを発生させた。
「あばばばばばばば!?」
グンと加速するシビック。
『オラァ! そこのシビック! ナメてんのかぁ!!』
パトカーの追跡を振り切ろうとするシビックに、搭乗している警察官が語気を荒くした。
「うわっ、警察の人、めっちゃキレてる」
グングン離されるパトカーをドアミラー越しに見送るいのり。
向き直ると永田橋通りに差し掛かる交差点が見え、信号は赤信号を灯していた。
交差点前の第一車線、第二車線は停止車両で塞がれている。
「前!! 前!!」
前方に停車している車を見て、叫ぶいのり。
「日ノ出インターチェンジデ、中央自動車道ニ入ラナケレバナリマセン。コノママ右折シテクダサイ」
恐怖でパニックになるいのりを受け流し、歩へ指示を出すソフィア。
「嘘だろぉ!?」
無理難題を突き付けられ、歩もパニックに陥りそうになる。
交差点が迫る。
ぶつかると思ったいのりは身体を丸めて防御姿勢を取る。
「問題アリマセン」
歩を包むスパークが増すと、彼は流れるような動きで減速とギアチェンジ。
第一車線と第二車線の車両の隙間を、針に糸を通すようにすり抜け、そのままドリフトで永田橋通りに入った。
「事故って、ない?」
目を開けたいのりは、自分がまだ五体満足でいることに安堵する。
隣を見るとスパークが大人しくなった歩が、息を切らしながら運転を続けていた。
「し、死ぬかと思った……」
生きた心地が全くしない歩は、滝のような汗を流した。
「なんで急にそんな運転上手くなってんの!?」
青梅街道を進んでいた頃とは運転技術が明らかに違う歩に、いのりは驚いた。
「わっ、わかんねえけど、どうすれば良いのか、なんかわかんだよ」
困惑した表情を浮かべているが身体は的確に動き、前走車を縫うように追い抜く歩。
「イヤホンカラ、ドライビングテクニックノ知識、技術ヲ歩サンノ脳ニ直接、送信シテイマス」
二人の疑問にサラリと回答するソフィア。
「ひとの脳みそになんてことしてくれてんだ!!」
抗議する歩を遮り、ソフィアは次の指示を出す。
「ソロソロ日ノ出インター入口デス。次ハ左折デスガ先ホドト同様ニオ願イシマス」
「やってたまるか!!」
歩といのりは猛反対した。
――大田区、平和島、白龍運送
施設の譲渡契約が終わった冴島とコウが、中二階の事務所から降りてくる。
下階ではミンがウーバーイーツで注文した牛丼を食べていた。
「美味美味♪ 日本人料理調理技術限定優秀♪」
食べ終えたミンは、満足そうに腹を叩いた。
「客に構わず自分だけ食事とはな……」
階段を下りながらその様子を眺めていた冴島は、小さく舌打ちする。
「いやいや、お恥ずかしい」
苦笑いしながら、コウは謝罪した。
「我貴方不交取引。先生限定貴方交取引。我無関係」
冴島の小言が聞こえていたミンは、飲み終わったウーロン茶のペットボトルを置き、自分はアンタたちの取引には関係無いと吐き捨てる。
「頼むから日本語で話してくれねぇか?」
なにを言っているかわからない冴島は、頑なに母国語で話すミンにやれやれと呆れた。
「笑笑笑。我醜悪日本語不可発語。貴方義務人統語会話」
ミンはケタケタと笑い、醜悪な日本語でなんて喋れるか、アンタが人統語で話せと嘲笑う。
「我便所行」
ピタリと笑うのを止めたミンは立ち上がり、トイレへ向かった。
「……なんなんだアイツは?」
まるで野良犬か野良猫だと冴島は振り返り、コウに抗議する。
「……アレでも優秀なボディーガードなんですよ」
奔放過ぎる部下の所作に、やれやれと頭を振るコウであった。
白のアルファードが、裏門から倉庫に入っていく。
大男の乗る、ソフィアの元ボディーとBETAを輸送している車両である。
その少し後方で、シビックが停車した。
「し、死ぬかと思った……」
顔面蒼白になった歩がハンドルにへばりつく。
高速道路に入ってからもソフィアからの無茶振りは続き、爆走に爆走を重ね、時に覆面パトカーに追いかけられるもこれを振り切るなどをしつつ、歩たちはなんとか追いつくことに成功した。
勘付かれぬように、エンジンを切って様子を窺う歩たち。
「なんか倉庫みたいなところまで来ちゃったよ」
シートベルトを外したいのりがどうしようかと相談する。
「ヨウさんとはまだ繋がんないのかよ!?」
「赤羽警部ハ電源ヲ切ッテイルヨウデス。繋ガリマセン」
歩は赤羽に応援を求めていたが、彼は冴島が取引を始めた辺りからスマホの電源を切っていたため、連絡がつかなかった。
「きっとここが終点だよ。仲間が出てくる前になんとかしないと」
いのりはトカレフを歩の膝に置くと、自分は荷物から木刀と小手防具を取り出して装着した。
「おいバカ!」
歩はトカレフを払い除けようとすると、いのりがその手を押さえる。
いのりは歩を見つめ、首を振った。
いのりの脳裏には、全裸男ことシュルティが起こした惨劇がこびりついていた。
犠牲になったピースメーカーの人たち、耳を劈くような悲鳴、そして恐怖。
歩がシュルティを倒せたのは、彼が心神喪失状態であったからとソフィアから聞いている。
ではあのチカラを得て、悪意を持って周囲に殺意をばら撒くものが生まれてしまったら、どうなってしまうのか。
そうなった時、また歩に止めさせるのか。
それこそ今度こそ彼は死んでしまう。
自分たちにはなんの力も無いが、止められるのは自分たちしかいない。
そしてこの瞬間こそが、自分たちが成し遂げられる唯一のチャンスだと、いのりは考えていた。
「……いましかないよ。行こう!」
いのりは決意したようにそう言うと、車から飛び出した。
「……くそっ!」
歩は数瞬迷ったが、既に裏門の影に隠れて様子を窺っているいのりの姿を見る。
吐き捨てながら意を決した歩はスマホとトカレフを掴み、彼女についていった。
アルファードから降りた大男が、サイドドアを開け、ソフィアの元ボディーを降ろそうとしている。
裏門の壁に隠れ、その様子を観察していた歩たちは、アイコンタクトを交わす。
大男に気付かれないように裏門を乗り越えたいのりは即座に生垣に身を隠し、大男の死角に入るよう移動した。
いのりの移動が終わったタイミングで歩も裏門を乗り越えると、大男に向けてトカレフを構えた。
「う、動くな!」
上擦った声で、大男に警告する歩。
その間の抜けた声に、大男が声のする方を振り返る。
「一体どうやってここまで……?」
賀茂村に監禁してあるはずの歩の姿を見て、大男は狐につままれたような顔をした。
「み、見てわかんねぇのか!? い、いますぐその荷物を返しやがれ!」
トカレフを持っているとはいえ、一度ボコボコにされた相手にすぐ啖呵を切れるほど、歩は胆力が無かった。
殴り合いになれば絶対に勝てない。
トカレフを使用するしかない。
そうなると大男は死ぬ。
自分が殺してしまう。
その幾重にも複雑に絡まった恐怖と焦りが、構えた銃口を震えさせた。
歩が持つトカレフを見て、金髪男こと深野がヘマをしたのだと察し、自分の舎弟は高校生にも勝てないやつだったかと心の中で呆れた大男であったが、対峙して子鹿のように震えている歩を見て、ほくそ笑んだ。
「なんだ、坊主? まだ殴られ足りねぇのか?」
拳をポキポキ鳴らしながら、大男は悠然と近寄ろうとした。
その足元に、歩は銃弾を放つ。
「つ、次は脅しじゃ済まねぇぞ!」
大男の正面に狙いを定める歩。
この威嚇射撃で、ニヤついていた大男は表情を強張らせた。
「……可愛くねぇガキだな」
大男の注意が歩に集中した瞬間、物陰に隠れていたいのりが彼の死角方向から飛び出した。
いのりに気付いた大男が、彼女の方向に振り向きながら、懐から拳銃を取り出そうとする。
「遅い!」
逆脇構えで突進していたいのりは、大男が引き抜いた拳銃のグリップ底部目掛けて切り上げ、弾き飛ばした。
「なっ!?」
驚く大男。いのりは返す刀で男の首根本辺りを逆袈裟に強かに打突する。
「がっ!」
いのりの打突で大男は怯み、身を屈ませる。
いのりは大男の袖と後ろ襟を掴み、そのまま大外刈りの要領で押し倒した。
倒れた大男の右手首と首筋に木刀を重ね、その上にいのりは膝を乗せて体重をかけ、大男を行動不能せしめた。
「アンタがウチの歩をボコボコにしたそうね」
小手防具を締め直し、悠然と拳を握るいのり。
小手防具はその昔、試合上での殴り合いを想定して作成されたため、拳や指先の保護の名目で該当部分に綿が詰められている。
それが長い年月をかけて近代化した現代剣道では殴打は反則となっているが、いまもなお小手防具のデザインは変わらずその名残を残していた。
つまり小手防具は空手、ボクシング、総合格闘など、徒手格闘技以外で最も人を殴ることに適した装具であるとも言えるのだ。
「まっ、待っ」
大男はいのりのその余りの迫力に、降参しようとする。
「お返し!」
いのりはそれを無視し、大男の顎先を片手で固定すると、全体重を乗せた渾身の力でこめかみを打ち抜いた。
「快調♪ 快調♪ ……ン?」
トイレを済ませたミンが歩いていると、大男を襲撃している歩たちが目に入った。
「はぁ、はぁ……!? 歩! 早く!」
大男を気絶させたいのりは肩を喘がせ立ち上がる。
歩いてきたミンに気付いたいのりは歩を急がせた。
「アタッシュケースだけは!」
ソフィアの元ボディーを引きずり出そうとしていた歩は、いのりの声で察し、ボディーは諦めてアタッシュケースを掴んだ。
歩がアルファードから出ると、すでにミンは二人に声が届く範囲まで近付いていた。
「貴方達此処何行動目的?」
アンタらここでなにをしているんだと問いかけるミン。
いのりは木刀を拾おうかと迷ったが、ミンのただ者でない雰囲気に圧され、思わず後退る。
「な、なんだよ、アンタ……?」
歩は奪い返したアタッシュケースを後ろ手に隠す。
二人の顔に見覚えがあると逡巡していたミンは思い出し、ポンと手を叩くと歩を指差す。
「我貴方達既知。新宿全裸男撃破少年」
喉に痞えていた小骨が取れたようにスッキリした顔のミンが、ケタケタと笑う。
「なんか私達のこと知ってるみたいだよ?」
「そりゃ、ヤクザに拉致られるくらいには有名人だからな……」
逃げた時にミンに追いつかれないよう、ジリジリと距離を開こうとする二人。
「其荷物我寄贈命令。其荷物我等入手物」
ひとしきり笑い終わったミンはピタリと表情を変え、二人を見据える。
ミンは鋭い眼光を放ち、歩の持つアタッシュケースを寄越せと命令した。
「コイツ、マフィアの一味だ! 逃げるぞ!」
表情で察した歩が、いのりにそう言い放ち、駆け出す。
いのりは一時凌ぎになればと、ミンに向かって投げるため木刀を拾おうとするが、ミンは一瞬で距離を詰め、いのりの肩を掴んだ。
「逃亡不可」
ミンの身体の紋様がぼんやりと朱く光ると、手から電流が走る。
「きゃあ!?」
朱いスパークがいのりの全身を駆け巡り、彼女はそのまま失神した。
「いのり!!」
いのりがミンに襲われた様を目にした歩は、ミンがシュルティと同種であると確信し、トカレフを取り出して発砲する。
腰のベルトから取り出したアムリタを飲んだミンは、歩の弾丸を避け、一瞬で彼の目の前まで距離を詰めると、歩の眼前に手をかざした。
「貴方少間気絶希望」
ミンは歩に気を失ってもらうと言い放つと、全身の紋様を光らせ、電流を放った。
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