第14話:ソフィア、いるんだろ!? 出てこい!!

――大田区、平和島、白龍運送倉庫

 東京湾に面した埋め立て地の一角、湾岸通りと首都高一号線にほど近い細々とした倉庫街の一棟に、冴島を乗せたベンツが入っていった。

 そのベンツに仕込まれたGPS発信機で尾行していた赤羽たちが、その少し後方で様子を伺う。

「新宿桐谷より本部。マル対とエスを乗せた車両が停車したのを確認しました。場所は平和島五丁目、××の○○、白龍運送倉庫。繰り返す、アムリタ製造工場は平和島五丁目、白龍運送」

 冴島たちの車両が倉庫の敷地内に入ったところで、桐谷が無線機で本部に入電する。

『本部了解。以降指示を待たれたし』

 桐谷が無線機を置こうとした時、赤羽がそれを取り上げ、通信を続ける。

「同じく新宿赤羽より本部。エスの情報によるとマル対は凶悪な銃器で武装している模様。機動隊二個中隊と遊撃放水車の出動要請を求む」

 赤羽の追加情報に、桐谷は目を丸くした。

『本部了解。本庁に確認ののち派遣するため、引き続き待機されたし』

 赤羽は本部の返答に舌打ちすると、通信を終了した。

「チッ……悠長なこと言いやがる」

 苛立ちを抑えるように煙草に火を点ける。

 機動隊まで出動させようとする赤羽に、桐谷はこの人はどんな事態になると考えているのだろうかと、不安を募らせた。

「あの、大丈夫、なんでしょうか?」

 桐谷は恐る恐る赤羽に訊ねる。

「まぁ、何とかなるだろう」

 横目で桐谷を見た赤羽は頭を掻き、素っ気無く答えた。


 赤羽たちが水面下で着々と準備を進めている中、冴島はコウたちと共に白龍運送の倉庫に入っていった。

「設備自体は、地下にあります」

 コウはそう言うと搬入出口奥にある、貨物用エレベーターの内のひとつの操作盤の蓋を開けると電子ロック盤が現れた。

 コウが暗証番号を入力するとブザー音が鳴り、隠しエレベーターが現れる。

「こっちもいまブツの輸送を開始した。到着には二時間ほどかかるそうだ」

 通話していた冴島が、コウに通話内容を伝える。

「かしこまりました。ではこちらに」

 コウは頷くと冴島を促して、エレベーターに乗った。


 地下に到着すると、そこは清涼飲料水の工場のような光景が広がっていた。

 高度に自動化された工業ロボットが、次々とコンベアで運ばれたガラス瓶に液体を注ぎ、閉栓していく。

 ラベルを貼られ、味毎に仕分けられたそれを、防護服に身を包んだ作業員が次々と箱詰めしていく。

 すでにここまで量産体制を進めていたのかと、冴島は胸の内でコウと黒龍商会のその資金力に舌を巻きながら通路を進んでいった。

 工場エリアを進み、彼らはこの施設の最奥、アムリタを製造する心臓部に到達する。

 そこにはビール工場の醸造タンクのような設備が並んでいた。

「これがアムリタの製造装置か」

 冴島が覗き窓からタンクの中を確認する。

 タンクの中にはルビーのような真紅の液体がどろどろと滞留しており、その余りの美しさに冴島は目を奪われた。

「と言っても我々が行っているのはチューニングまでです。アムリタは栄養素を与えれば勝手に増えてくれます」

 コウはそう言うとタンク脇に積み上げられた一斗缶を軽く叩く。

 中身は医療用栄養剤であった。

「チューニング? 栄養素? アムリタってのは、一体なんなんだ?」

 てっきり冴島はアムリタと言うドラッグは、覚せい剤やコカインのような化学薬品の類いと思っていた。

 冴島の混乱する様子から概ね察したコウが、顎に手を当てどのように説明したら良いか思案する。

「んー、なんと申し上げればイメージし易いでしょうか……。バイオボット、と言うのはご存じでしょうか?」

 首を横に振る冴島。

「簡単に申し上げますと有機細胞で構成されたナノマシンです」

 コウはそう言うと、アムリタがそうであると示すように、近くのタンクをコンコンと叩いた。

「ナノマシン?」

 映画や小説の中でしか聞かないような単語に、冴島は怪訝な表情を浮かべ、聞き返す。コウは得意げに頷き、説明を続けた。

「バイオボットの最大の特徴は自己再生、自己増殖、そして自己進化が可能な事です。まぁ、アムリタに使用されているバイオボットは自己進化までは出来ませんがね。商品としてはむしろその方が都合が良い」

 コウの説明を聞いた冴島は、理屈は理解出来たが、それがなぜドラッグになるのかが合点がいかなかった。

「そのナノマシンがなんでドラッグになる? なぜ薬物検査にも引っ掛からない?」

 謎ばかりのアムリタのその性質に、冴島はコウの説明に聞き入った。

「バイオボットは予めインプットされた情報を元に行動する性質があります。この性質を利用して使用者の脳内に侵入し神経伝達物質を操作するんです。アムリタとして出荷するバイオボットは使用者の体内で増えないようリミッターをかけてから出荷しますので、服用から数十分で効果は無くなり、ただのたんぱく質に戻ります」

 コウの説明で冴島はハッとした。

 彼にはドラッグと言えば薬品、つまり化学物質。その先入観があった。

 脳内の快楽物質を操作さえ出来れば、それはなんでも良いのだ。

 そして彼は薄っすらこうも考えた。

 いまはドラッグとしての使い方しかされていないが、アムリタが人間の脳に作用を齎すのなら、人間を操ることも出来るのではないかと。

 そんなことが可能だとしたら、もしかしてそれがと、冴島はコウに訊ねた。

「するとアンタらが探しているBETAってのは……」

 コウは半月のように口を歪ませて笑う。

「ええ、自己再生、自己増殖、そして自己進化を可能にした、新世代のバイオボットです」


――場所戻り、賀茂村

 冴島がBETAの正体を知ったころ、金髪男は村医者を連れ、歩たちを監禁した小屋に向かっていた。

「なにもこんな時間に叩き起こさんでも。もうちょっとお手柔らかに出来んのかね?」

 ちょうど就寝するタイミングであった村医者は、金髪男に無理矢理起こされたため、ブツクサ言いながら彼の後ろをついて歩く。

「すいません。何分冴島さんの指示だもんで」

 ランタンで足元を照らし、村医者にペコペコ頭を下げながら先導する金髪男。

 手には救急箱と、町のコンビニまで出向いて買ってきた食べ物が入ったビニール袋を提げていた。

「歯とか骨とか折れとったら後が面倒じゃぞ?」

 金髪男から事情を聞き、溜息を漏らす村医者。

「その辺の手加減は、アニキは上手いっすよ。この中です。」

 弁明する金髪男。小屋に到着し、彼はドアを開けた。

「本当かね? ……で、どこにおるんじゃ?」

 金髪男は村医者からランタンを受け取り、中に入る。

 小屋の中は無人だった。

「あっ!」

 金髪男は驚き、中を確認する。

 その瞬間、小屋の物陰に隠れていた歩たちが飛び出し、金髪男を取り押さえた。

「てめぇら!」

 歩たちを縛っていた縄を使い、加藤が手際良く金髪男たちを縛り上げる。

「フガッ!」

 応援を呼ばれる前に同じく縄で猿轡を噛ませ、彼らの無力化に成功した。

「ひっ、ひぃい~~!!」

 金髪男が返り討ちにあった一部始終を目撃した村医者が逃げ出す。

「まっ、待っ、ぶげっ!」

 みくるは村医者を捕まえようと試みたが渾身のタックルは空回りし、転ぶように地面に倒れた。

「おい、逃げられたぞ!?」

 歩が加藤に大丈夫なのかと尋ねる。

 村医者はすでに森の暗がりで姿が見えなくなっていた。

「チッ、マズいな……」

 加藤はこれから起きることを予感し、頬につうと冷や汗を垂らした。

「あった! 歩! スマホ!」

 金髪男の所持品を物色し、歩のスマホを見つけたいのりが彼に投げ渡す。

「よし! ソフィア! いるんだろ!? 出てこい!!」

 スマホを受け取った歩はソフィアを呼び出す。

 スマホは歩の声に反応し、独りでに立ち上がると、全裸男の時のように顔だけのソフィアが画面に現れた。

「オ待チシテオリマシタ」

 ソフィアの姿に、歩といのりは瞬間、安堵する。

「BETAが奪われた! このままじゃマフィアの手に渡っちまう!」

「存ジテオリマス。奪還ノゴ協力ヲ、オ願イシマス」

 ソフィアに簡潔に状況を伝える歩。

「ふわぁ~~。なんだか映画みたいでカッコイイ……」

 歩とソフィアのやり取りに、みくるは目を輝かせた。

 その時、村中にサイレンの音が響く。

「なに!?」

 サイレンの音に驚くいのりと歩。

 完全消灯していた村がサイレンの音を受け、一斉に照明が焚かれた。

『脱走者発生! 脱走者発生! 職員は速やかに脱走者の捕縛を実行せよ!』

 スピーカーからアナウンスが流れる。

「早いとこ場所を変えねぇと!」

 周囲を警戒していた加藤が金髪男からランタンを奪い、歩たちを急かす。

 歩といのりは加藤の提案に頷く。

「ソフィア、自分の身体がどこに運ばれてるか、わかるか?」

「現在、私ノ元ノ身体ハ中央自動車道ヲ都心方面ヘ向ケテ移動中デス。追跡ヲオ願イシマス」

 ソフィアの元ボディーとBETAの状況を確認した歩が、加藤たちに協力を求める。

 車が必要だと察した加藤は頷き、彼らを駐車場へ案内した。


「深野、さっきの金髪野郎の車はアッチだ」

 駐車場に到着すると、加藤は歩を金髪男の車を指差す。

 金髪男こと、深野の車は、マスタードイエローのグランドシビックだった。

「また古い車だな」

 赤羽から譲り受けた車は旧型のスカイラインであるし、自分は古い車に縁があるなと歩は思った。

 歩は加藤に礼を述べると、運転席のドアを開ける。

 車内はバケットシートに六点式シートベルト、通称ジャングルジムと呼ばれるフレーム補強用ロールバーが施された、大昔の走り屋たちが挙って改造した環状仕様であった。

 一方、自分を拉致したバンに自分の荷物が残ってないか探しまわっていたいのりが、目当ての車両を見つけ、声を上げる。

「歩! これ、私が拉致られたバン! 荷物もある!」

 歩たちが振り向いた時には、いのりは輪留め代わりに置かれていたコンクリートブロックで、バンのサイドウィンドウを叩き割っていた。

 バンから盗難防止用の警報音が鳴り響き、村の方で蠢いていた無数の懐中電灯の明かりが一斉に駐車場の方へ向く。

「バカッ! 気付かれたじゃねぇか!」

「うっさい! 合宿行くはずだったんだからこっちは荷物が沢山あんの!」

 歩と口論しながらいのりは叩き割ったサイドウィンドウからドアロックを解除し、荷物を回収する。

 いのりの破天荒さに、加藤とみくるは唖然とし、その後クスクスと笑った。

「そっちのお嬢さんは、中々アグレッシブだな」

「……は、ハハハッ」

 大荷物を抱えてずんずんと歩いてきたいのりが、シビックのリアドアを開けて荷物を放り込む。

 いのりを見ていた加藤たちの反応に、歩は愛想笑いを浮かべるしかなかった。

「それじゃ、俺たちもう行きます」

 歩はそう言うとシビックのエンジンを点ける。

 シビックはバォンと爆音を鳴らし、歩たちを鼓舞するように身体の芯を揺らしながらエンジンを温め始めた。

「助かりました。ありがとう」

 シートベルトを締め終わった歩といのりは、みくるたちに別れを告げる。

「……あっ、あの!」

 出発しようとした歩たちをみくるが引き留めた。

「わ、わたっ! 私も連れてって、くれ、ません、か!?」

 みくるの言葉に一同は呆然とする。

 いまなら歩たちへの逃亡ほう助だけで済むし、それも脅されただのなんだの適当な理由をでっち上げれば、まだ情状酌量の余地があるかもしれない。

 しかしここで一緒に逃げるとなると、話は別だ。

 みくるは完全にこの村にとっての悪となる。

 相手は全国区のヤクザ組織。

 しかも彼らは一概に悪いことをしているわけではない。

 些事はどうあれ、借金で苦しんでいる人たちのそれを肩代わりし、代わりに労働で返済をさせているに過ぎない。

 それを相手の顔に泥を塗るような真似をして、ただで済むわけがない。

 ここで彼女の要求を受け入れてしまうのは彼女にとって悪手なのではと、歩たちは考えた。

 無数の懐中電灯の光が、村の方から駐車場へ近付いてきている。

 しかし加藤は違った。

 みくるの嘆願を聞くと一目散にいのりが先ほどサイドウィンドウを壊したバンに向かい、ガラス片で運転席のインテリアパネルをこじ開け、慣れた手つきで配線をショートさせてエンジンを点けた。

 そして加藤はバンを歩たちのシビックの隣につける。

 加藤の決断の早さと行動力に歩たちが唖然としていると、それに気付いた彼は口を開いた。

「囮が必要だろ? 逃げるついでにそいつもやってやるよ」

 そう言うと加藤はみくるを助手席に乗せる。

「なんで、そこまでしてくれるんですか? あなたたちもこの村の人ですよね?」

 歩たちが尋ねると、加藤はみくるを一瞥すると真剣な面持ちで答えた。

「俺も冴島さんに世話になったのは確かだ。俺みたいなクズにこの村でチャンスをくれた。その恩を忘れたつもりはねぇ。でも……」

 加藤は一瞬言い淀むが、言葉を続ける。

「でも、それでも生きていけない人がいる。ソイツに半分強要するような形であんなことをさせることが正しいとは俺は思えねぇ」

 そして加藤は歩を見て言葉を続ける。

「俺は俺が正しいと思うことをする。お前みたいにな」

 そう言って加藤は、歩たちにニカッと笑いかけた。

 彼のその言葉と笑顔に、歩は照れくさくもありがたく、身体の奥から力が湧いてくる気がした。

 歩はギアをニュートラルから1速に入れ、アクセルを踏むと同時にクラッチを放す。シビックがゆっくりと走り出す。

 加藤たちを乗せたバンはシビックが村を出るのを見送ると、反対方向へ走り去っていくのだった。

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