第8話:アイツの口車に乗るんじゃないよ?

――新大久保、冴島の事務所

 大久保通りを小滝橋通り方向へ進み、公園のある横道の先。

 ひしめき合うように並ぶ小規模マンションの一棟に、冴島の事務所があった。

 東新宿にある東京本部と違い、冴島の事務所はオフィス然とした簡素な内装であったが、冴島のデスクの後ろに掲げられた『大道廃有仁義 国家昏乱有義侠』と書かれた掛け軸と、刀掛けに飾られた白鞘の長ドスが、この場所が世間一般的な事務所と乖離した場所であることを示していた。

 冴島は生き残ったメンバーの一人から報告を受け、デスクを叩いて激昂した。

「ピースメーカーのほとんどが死んだだと!?」

 全裸男ことシュルティ捕獲のため、ピースメーカーを差し向けた冴島であったが、その悉くが無残な結果に終わったことに、彼は動揺を隠せなかった。

「はい……。全裸男の入れ墨が光ったと思ったら突然、ユウトのやつが爆発して」

 冴島に報告している若者は、活動内容をSNSにアップしていた記録係のシュウヤ。

 彼は役割の性質上、敢えてユニフォームであるパーカーを着用せず民衆に紛れていたため、難を逃れていた。

 実行部隊唯一の生き残りであるリーダーはいまも病院にいる。

 当時の様子を思い出しながらシュウヤはさめざめと泣き始めた。

「あんなやつだなんて聞いてませんよ! もう付き合えません!」

 興奮し半狂乱になったシュウヤは絶叫すると事務所を飛び出していった。

「……くそっ!」

 呆気に取られた冴島は苦々しく吐き捨てるとドカリと椅子に座り直した。

「まぁ、ガキには刺激が強すぎましたから。無理も無いっすね」

 冴島の傍らで共に報告を聞いていた林下がこの顛末にケタケタと笑う。

「うるせぇ! ヤンの方はどうなった!?」

 最初から自分たちを使っていれば良かったのにと笑う林下を、再びデスクを叩いて黙らせる冴島。

「吐かせられました。あいつら、本国から来たコウ・キュウキってやつの命令で動いていたそうです。なんでも全裸男が持っていた荷物が目的だったみたいで」

 冴島の檄でピタリと笑うのを止めた林下が報告する。

「そいつの人相のわかるものは?」

「人相もなにも、黒龍商会に食客として居座ってるそうです。実質乗っ取りっすね」

 夏用の薄手のスカジャンを羽織っていた林下はポケットからヤンのスマホを取り出し、黒龍商会会長、キム・カビョウと記念撮影しているコウの写真を見せた。

 コウは真円の丸メガネで誤魔化しているが、刃物のように鋭い切れ長の目から、冴島はこの男の邪悪さ、凶暴さを感じ取った。

「その荷物ってのはなんだ?」

「その男が研究していた薬だそうです」

「クスリ?」

 コウの目的が金の在り処や要人そのものでなく意外なものであったため、冴島はその物自体に興味が湧いた。

「なんのクスリかまでは聞かされてないそうです。在り処についても、昨晩全裸男を追い詰めたときにはもう持っていなかった、と」

「……すると連れてたって話のガキの方が持ってるかもしれんな」

 林下の報告に思案を巡らせる冴島。

 その時、事務所のドアを叩く音が鳴り、強面の男が入ってきた。

「サブてめぇ! オヤジに盃返したそうだな!?」

 男の名前は右田一成(うだかずなり)。冴島同様雲雀任侠会立ち上げ期からの古参であり、冴島の兄貴分である。

 彼は冴島が歌舞伎町銃撃事件から、事態収束のため盃を返上して独立勢力として行動することになったのを知り、駆けつけたのだ。

「右田の兄さん……。挨拶が遅れてしまって申し訳ありません」

 冴島は右田に茶を出すよう林下に指示を出すと、応接用のソファへ右田を促すが、右田はこれを断る。

「……なにもおめぇらだけでやる必要はねぇだろう? オヤジもひでぇことしやがる」

 不平を漏らす右田を、今度は冴島が制止した。

「いえ、あの町の管理を任されておきながら、奴らの初動を押さえられなかった私の落ち度です。面目次第もありません」

 深謝する冴島。お茶を持ってきた林下も、その様子を見て慌てて盆を置くと冴島に倣って深く頭を下げた。

 その殊勝な態度に、右田は少し寂しげに嘆息を漏らした。

「それに今回の件、どうもいつものじゃれ合いとは勝手が違うようです。現に向こうは道具を使うのに躊躇が無い。こっちも使うとなるといまのままではサツどもの思う壺になるのは明白です。オヤジの目論見通り、短期決戦を狙うにはこの采配が妥当だと、私も考えます」

 社会の治安維持と清浄化の一助を担った雲雀任侠会は、いまでこそ市民から幾分かの社会的地位と信頼を得ることが適ったが、警察上層部としては彼らの存在そのものが警察組織の敗北を意味するものとして、邪魔な存在であることに変わり無かった。

 そのため丘崎は冴島が雲雀任侠会に所属したままで行動を許すと、それを口実に警察上層部は一斉摘発に踏み出すだろうと読み、冴島に盃を返上させ、独立組織として活動させることにしたのであった。

 右田もその辺りの仕組みは頭では理解はしていたのだが、この処遇は言ってみれば成功して当たり前、失敗は許されないし、その際自分たちは知らぬ存ぜぬを通す。

 つまり蜥蜴の尻尾切りより酷い。

 切った尻尾に敵の首級を取ってこいと言っているのだ。

 その無情な采配に、右田は寂しさを覚えたのである。

「そのサツどもからオヤジへ連絡があった。ウチと黒龍商会との抗争を警戒して、近いうち警視庁が接触禁止の令状を出すそうだ」

 右田は事務所を訪れた本来の目的を果たすべく、冴島に伝言を伝えた。

「となると黒龍商会に一日中監視が付くのが厄介だな……」

 黒龍商会に警察の監視が付いてしまうと、例え独立組織となった冴島たちであっても、一切の手出しが出来なくなる。

 後手の上に状況が悪くなっていく様に、冴島は眉間を押さえて懊悩した。

「短期決戦も短期決戦、今日明日にでもなんとかしないといけない超短期決戦になっちまいましたね……」

 右田が電話でなく、わざわざ直接出向いてメッセンジャーになったのはそういう意図があるのだと、この場にいる面々は察した。

 横で話を聞いていた林下も状況の悪さに乾いた笑いを浮かべた。

 冴島はなにか手がかりはないかとSNSに無数にアップされている全裸男の映像を探す。

 冴島はある動画を見て、ピタリとスマホを操作する指を止める。

 それには建設記念碑に身を隠し、スマホに向かって話しかけている歩といのりの姿が映っていた。

「おい、このガキ見覚えないか?」

 冴島は見つけた動画を林下に見せる。

「あー、たしか花道通りのニルヴァーナってクラブでホステスやってる真理さんのガキですよ。最近毎晩スカイラインで送り迎えしてるみたいっすね」

 町の住人の人となりに関しては冴島より詳しい林下が、ピシャリと特定する。

 懐かしい名前が出てきて驚いた冴島であったが、俄然活路が見え目に活力が戻った。

「でも真理さんって言や、新宿署の赤羽警部のお気に入りですぜ? 流石に手を出すのはマズいんじゃ」

 林下がそう言い終わる前に、冴島は席を立ち、事務所の戸に手をかけた。

「兄さん、男所帯の不調法で申し訳ないんですが、この林下が代わりにもてなしますので、ゆっくりしてってください」

 冴島の断りに右田が気にするなと手をヒラヒラ振って返答する。

「ヤンはどうしますか?」

 林下がヤンの処遇について尋ねる。冴島の目が鋭く、冷たくなった。

「……適当に片づけとけ」

 刃物のようなその眼光に、林下は息を呑み込むのだった。


――ロイヤルホスト新宿店

 新宿署から目と鼻の先、複合施設内の北通りに面したファミレスで歩たちは遅めの夕食を取っていた。

 仕事帰りのOLにしては華美過ぎるスーツ姿の女性と、POLICEとデカデカと書かれたインナーウェアを着た少年少女の組み合わせは衆目を集めたが、真理といのりは意に介せずと言った風体で堂々としていた。

 その様を見て、女は強いなと人目を気にして小さくなっている歩は思うのだった。

「いのりちゃんは明日から合宿の予定なんだろ? ヨウさんは行って良いって?」

 アボカドシュリンプサラダと魚介パスタをつまみに白ワインを飲んでいた真理が尋ねる。

 いのりは大事件の当事者ではあるがそれはそれ、これはこれである筈だと少しムッとしながら答えた。

「ヨウさんが許可しなくても行きますぅー。那須高原、ずっと楽しみにしてたんだから。ほら見て、設備もめっちゃ綺麗」

 いのりは口いっぱいにチキングリルを頬張りながら、スマホで合宿先の画像を見せる。

 歩はあんな事件の後なのによく肉が食えるなと隣で貪り食う幼馴染に感心した。

「源泉かけ流しじゃん。確かにこれは行かなきゃだね」

 風情ある大浴場の画像を見て、真理はいのりの主張に賛同した。

「でしょー。歩は最終日合流ね」

 チキンをオレンジジュースで流し込んだいのりが歩に命令する。

 寝耳に水であった歩はビックリし、咀嚼していたオムライスで盛大に咽た。

「げほっ、げほっ、なんでだよ?」

「最終日で早抜けして観光したいの。歩なら車で来れるでしょ?」

 つまりいのりは自分の観光旅行のために歩を足に使いたいと言うのだ。

 歩はいのりの提案に仰天し抗議の声を上げる。

「はぁー!?」

「おば様ー良いでしょー?」

「んー?」

 歩を無視し、真理に懇願するいのり。

 二人のやり取りを観察していた真理は勿体ぶる様に顎に手を当て、思案するフリをする。

「許可します」

「やたっ」

 真理の返答に喜ぶいのりと、対照的に消沈する歩。

「……軍資金は?」

 ガックリと肩を落とした歩が恨めしそうに真理に訊ねる。

 真理は脇に置いていたポーチを取り出し、まさぐる。

「ここに二万円あります」

 二人に見せびらかすようにピン札を大げさに取り出す真理。

「にまん」

 後光が指すそのお札に目を輝かせるいのり。

「君たちに授けよう」

 慈愛に満ちた顔を浮かべる真理は、いのりにそのお札を手渡した。

「ありがとうおば様」

「二万じゃあんまり回れないな」

 ははーと拝受するように平伏し、受け取るいのりに対し、歩は不満を漏らした。

「あぁん? そーゆーことは自分で稼いでから言えっつーの」

 出来た幼馴染に対して息子の不遜な態度にメンチを切る真理。

「そうそう歩、ちょっとツラ貸しな」

「なんだよ。昔のヤンキー漫画みたいなセリフ言って」

 ワインのボトルを飲み干すと、真理は思い出したように顎をしゃくり、席を外すよう促す。

 歩は訳が分からず、茶化すように返す。

「いいから、ちょっと来なさい」

 要領を得ない歩に苛立った真理は、歩の耳を掴んで、強引に立たせた。

「痛いって! わかったよ!」

 真理に引きずられるように、歩はトイレの方へ連れていかれたのだった。


 真理は歩を喫煙室まで連行すると、煙草に火を点け、なぜあんな危ない真似をしたのかを問い質した。

「で、あのロボットの差し金だったの?」

 紫煙を吐き出し、部屋に煙が充満する。

 歩はその副流煙を煙たそうに手で払った。

「まぁ、結論から言えばそうだよ」

 先ほどの和気藹々とした雰囲気から一変し、真面目な表情で歩を見つめる真理。

 その視線から目を逸らし、バツの悪そうに歩は答えた。

 真理は眉を顰める。なぜならロボットはずっと自分と一緒にいたからだ。

「どうやって? アイツ、アタシが出るまで家にいたよ? ニュースも一緒に観てたし」

「スマホに入ってた、というか、リモートしてるって言ってたな」

 スマホを振るジェスチャーをして、中に入っていたことを伝える歩。

 なんでもありだなと、真理は嘆息を漏らした。

「いまはいるの?」

「スマホの充電が切れてるからいないみたい。ヨウさんにも事情を説明したんだけど、この状況だったからまた信じてもらえなかった」

 スマホを指差し、この会話をロボットが聞き耳立てていないか警戒する真理。

 歩は充電が切れていて物理的に連絡がつかないこと、聴取の際に再び赤羽に信じてもらえなかったことをそのまま話した。

 真理は小さく舌打ちする。

「……まぁ、実物を見ないことには信じられないか」

 やはりこれしかないかと真理はヘアスタイルが乱れないようにこめかみを掻く。

「いいかい歩、いのりちゃんを巻き込むんじゃないよ」

 吸殻を灰皿へ入れると、歩に指差し、釘を刺した。

「俺はそうするつもりだよ」

 真理の手を払い除け、あくまで自分はそのつもりであると同意する歩。

「アイツの修理が終わってどっかに捨てたら、アタシらは知らぬ存ぜぬで通す。それでこの話はおしまい。わかってる?」

 真理は自分たちの方針を伝えると、先に喫煙室を出る。

 コツコツとヒールを鳴らして歩く後ろ姿に、歩は彼女の意思はすでに固まっているのだと察した。

「……わかってるよ」

 歩の中でモヤモヤと引っ掛かるものがあったが、その正体が何なのかわからなかったので、彼は真理の言う通りに従うことにした。

「アタシはこのまま仕事行くから、これで会計済ませといて。おつりは好きにしていいよ」

 真理の後ろをついて、歩が喫煙所を出ると彼女は財布から金を出し、彼に渡した。

「わかった」

 モヤモヤの正体がわからず沈んでいた歩の姿を見て、自分の行いを少しは顧みたのかと勘違いした真理が、彼の頭を乱暴に撫でる。

「帰ったらちゃんと勉強すんだよ」

「わかってるよ」

 子ども扱いするなと撫でる手を払う歩。

「それじゃーね。アイツの口車に乗るんじゃないよ?」

 そのムッとした表情を見て、真理はニカッと笑うと店を後にした。

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