第7話:これでも歌舞伎町を守ったヒーローなんだぞ、クソー……
――新宿警察署、保護室
歩が目を覚ますと、一面白い壁紙に覆われた、どこか病室のようにも見える部屋のベッドで寝かされていた。
病室と違うのは入口側から室内が見渡せるように強化アクリル製の間仕切りで仕切られている部分や壁はあるがドアが無いトイレなどであり、入口には物々しい鉄格子が設置されていた。
「目が覚めたか?」
ベッドの傍らのパイプ椅子に座って将棋のガイドブックを読んでいた赤羽が歩に声をかける。
「ヨウさん……」
赤羽の声に気付き、歩は起き上がる。
「新宿署の保護室だ。まぁ、酔っ払いとかを放り込むところだな。救急隊員の話じゃ異常は見られなかったから、病院じゃなくコッチに移送させてもらった」
状況を説明した赤羽は、歩に支給品のインナーウェアを投げ渡す。
「まずは着替えとけ」
「えっ? ってうわっ!? なんだこれ!?」
歩はそれを受け取ると衣類が血だらけであることに気付き慄いた。
「で? なんであんなとこいたんだ?」
赤羽は煙草に火を点け、深く吸い込み、鬱憤を一緒に吐き出すように紫煙を吐く。
「……全裸男に会いに」
着替え終わった歩は一瞬躊躇ったあと、正直に答える。
赤羽は呆れたように頭を掻いた。
「野次馬かよ。ったく」
「コイツに頼まれたんだ」
歩は枕元に置かれていたスマホを赤羽に突き出す。
「スマホがどうしたんだ? 誰かに命令されたのか?」
目の前に突き出されたスマホを払い除け、質問を続ける。
だんまりを決め込んだと思いこんだ歩は手元に戻し、ウンともスンとも反応しないスマホに向けて声を張り上げた。
「おい! 今度こそヨウさんに事情を説明するからな!」
歩の声にも、スマホは反応しない。
意地でも応答させようと、彼は色々ボタンを押したり、振ったりするが、変わらずスマホは反応しなかった。
「電池が切れてるんじゃないか?」
歩の奇行を傍観していた赤羽であったが見兼ねて助言する。
赤羽の予想の通り、スマホがバッテリー切れを起こしていることに気付いた歩はそれを枕に叩きつけた。
「くそっ! またかよ!」
「なにやってんだ、さっきから?」
赤羽は呆れながら吸殻を灰皿で揉み消し、新しいものに火を点けた。
「えっと、順番に説明すると」
仕方ないと歩は赤羽の正面に向き直り、これまでの経緯を説明することにした。
説明は1時間ほどに及んだ。
始めは真面目に聞いていた赤羽であったが、その荒唐無稽さに呆れ始め終盤は将棋の本を読みながら片手間に聞くようになっていた。
「つまり昨晩、お前はマフィアに追われてたロボットを轢いてしまって、そのまま逃げたら後が面倒なことになりそうだから、修理が終わるまで家に匿ってる、と」
「そう」
「それでそのロボットは人間を不死身にする薬を持っていて、マフィアの目的はその薬とその薬を作ることが出来るロボットだと」
「そう」
「さっきの全裸男は昨晩殺されたその片割れで、生き返ったのはその薬のおかげだと」
「それでお前はロボットの指示で正気を失っていた全裸男を止めに行ったと」
「そう」
「そしてロボットの指示通りにしたら死んでしまったと」
「そう」
歩の説明を要約して確認すると、赤羽はがっくりと肩を落とし大きくため息を吐いた。
「……なんかクスリでもやってるのか?」
「ヨウさん、信じてよ」
歩は食い下がったが取り合ってもらえず、赤羽は桐谷に連絡すべくスマホを弄りながら席を立った。
「まぁ私人逮捕しようとしたら死んでしまったから気が動転しているのかもしれんが、状況証拠的に正当防衛であるし、傷害致死にはならんだろう。そもそも押し倒したとはいえスマホを頭に押し付けただけで人が死んでたまるか」
そう言って赤羽は煙草を灰皿で揉み消すと出入口に待機していた警官に手を振って面会が終了したことを伝えた。
「だからそれは」
「くだらないことに首を突っ込むからくだらない言い訳を考える羽目になるんだ。下手な三味線を弾く暇があったら勉強しろ勉強、学生だろうが」
食い下がる歩を赤羽は切り捨てると追い出すように彼を退出させるのだった。
赤羽に追い出された歩は新宿署の正門で同じく事情聴取を受けていたいのりと再会していた。
駆け寄って抱き締めるいのりと、それを受けてドギマギしている歩の様子を、赤羽は上階の刑事四課のオフィスで微笑ましく眺めていた。
視界にアイスコーヒーの入った紙コップが差し出され、振り返ると聴取を終えた桐谷がいた。
「どうだった?」
一息にアイスコーヒーを呷り、一緒に口に含んだ氷を嚙み砕きながら、赤羽は桐谷に結果を尋ねた。
「ダメですね。受け入れ先の病院にも連絡してみましたが、唯一生き残っていたピースメーカーのリーダーはショックで受け答えも難しいようです。逃げた連中を探した方が手っ取り早いかもしれません」
赤羽とは対照的にスマートに飲んでいた桐谷は徒労を表すように肩を竦める。
「歩くんはどうでしたか? 流石にショックだったんじゃないですか?」
ケンカ自慢を奮っていた連中ですら、ああなっているのだから、同じくそのただ中にいた歩たちの精神的ストレスも相当なものだろうと桐谷は案じた。
「なぁに、変な言い訳ばかり並べてたから、勉強しろって叩き出してやったよ」
桐谷の気遣いと先ほどの歩とのやり取りに苦笑いした赤羽は心配するなと言わんばかりにあっけらかんと答えた。
「いのりちゃんも少し妙なことを言ってましたね……」
赤羽の気遣いとは逆に、桐谷はいのりの話を思い出すように考え込んだ。
「妙な事?」
「はい、歩くんのスマホが突然喋り出したとか、べーた?がどうとか」
『べーた』という言葉に、赤羽の中で何かが引っ掛かった。
「べーた……シュルティ・ウパニシャド……」
どこかで聞いたことがあるそのワードを思い出そうとする赤羽。
「新しいSNSかアプリでしょうか?」
「外事二課に行くぞ」
思い出した赤羽は、桐谷を連れて刑事課を後にした。
赤羽と桐谷が外事二課に行く少し前、新宿署の正門で歩といのりは再会した。
彼女も歩と同様、衣類の血汚れが酷かったためインナーウェアに着替えていて、歩が現れるまで俯きながら不安な表情を浮かべていたが、彼の顔を見た途端、パッと表情が和らぎ、そのまま彼に抱きついた。
その後の二人の甘酸っぱいやり取りは、赤羽が上階から眺めていた通りである。
二人の気恥ずかしさが落ち着いたころ、先に口を開いたのはいのりだった。
「私も事情聴取あったから……」
いのりはなぜ歩が出てくるまで待っていたのかを、聞かれる前に言い訳のように話した。
「そっか。ごめんな、迷惑かけて」
歩はそれを聞き、謝った。本位でなかったし、事態の大きさを知らなかったとは言え、自分がいのりを巻き込んでしまったのは事実なのだからと彼は素直に思った。
「ううん。私が行きたいって言いだしたんだし。それに桐谷さんが担当してくれたからすぐ終わったよ」
歩の謝罪に驚いたいのりはすぐ否定する。
いのりもまた歩とは違い、自分が歩を大事に連れ出してしまったことを反省した。
「歩こそ、どうだったの?」
「ヨウさんに事情を説明したけど信じてもらえなかったよ」
歩は保護室での赤羽とのやり取りをいのりに話し、肩を落とした。
「まぁそうだよね。当事者じゃなかったら私も信じないもん」
落胆する歩の肩に手を置き、仕方ないと慰めるいのり。
「ヨウさんは正当防衛ってことにしてくれるって」
「そっか。とりあえずは、良かったのかな?」
とりあえず全裸男ことシュルティの件については解決を見たいのりは安堵した。
「良くない」
「わっ、おば様!」
「げっ、真理ちゃん!」
「げっ、じゃない!」
そんな二人の間に背後から割って入ったのは真理だった。
鬼の形相で腕を組み、仁王立ちしているその姿に二人は驚く。
「受験生がなに警察のお世話になってんだコラ!」
歩の頬をつねって彼の耳を口元に引き寄せ、怒鳴りつける真理。
「いででっ! 悪いことはしてねーよ真理ちゃん!」
「口答えするな!」
歩の胸倉を掴み、漫画であればビビビと効果音がつきそうな往復ビンタを浴びせる真理。
「おば様ごめんなさい! 私が連れてってって頼んだの!」
見かねたいのりが歩を庇う。
「だからって連れてくやつがあるか! 悪かったね、いのりちゃん。お詫びにご飯奢るよ」
いのりの仲裁が入り、折檻の手をやめる真理。
「ううん、私こそごめんなさい」
深謝するいのりの頭を撫でる真理。
「ほら! サッサと行くよ!」
もうこの話はおしまいとばかりに、真理は歩の尻をバシンと叩いた。
「いっで! これでも歌舞伎町を守ったヒーローなんだぞ、クソー……」
ぞんざいに扱われる歌舞伎町の英雄は、叩かれた尻を摩りながら口を尖らせるのだった。
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