第6話:人々ヲ助ケル手段ヲ持ツ者ハ、ソノ義務ヲ果タサナケレバナリマセン

――新宿歌舞伎町、トー横広場

 一番街通りを真っ直ぐ抜け、TOHOシネマビルを右手に構えた丁度反対側、ゲームセンターに挟まれた広場は時代とともにその名前や姿を変え、現在は通称トー横広場と呼ばれている。

 その広場は社会に行き場を失くした若者が屯するドラッグと売春、暴力が蔓延した、半ばソドムの市とも呼べるような退廃的な空間と化していた。

 そしてそのソドムの市は、一人の変質者によって騒ぎになっていた。

 SNSで全裸男と名付けられたシュルティ・ウパニシャド博士はかつての聡明な姿を失い心神喪失状態にあった。

 彼はうつろな表情でフラフラと歩き、目につく人の持ち物をひっくり返しては、次の人のところへ行く。

 全裸男ことシュルティはこれを繰り返し、屯していたキッズたちはその被害に遭っていた。

「んだよテメェは! 来んじゃねぇよ! 触んなよ!」

 シュルティはゴスロリに身を包んだ青白い肌をした痩せぎすの少女のバッグを奪い、中身をひっくり返す。

 中から大量のアムリタが転げ落ち、それが目に入ったシュルティは片っ端から開栓し、一息に飲み干す。

 アムリタを奪われたゴスロリ少女は激怒した。

「テメェなに勝手に飲んでんだよ!!」

 ゴスロリ少女は厚底ブーツで蹴りを入れる。

 少女の蹴りで突き飛ばされたシュルティはフラフラとまた別のキッズのところに向かう。

 ターゲットにされたと察知したキッズはある者は怯えながら逃げ、またある者は殴る蹴るなどで抵抗した。

 次第に暴力はエスカレートしていき、シュルティはキッズたちに袋叩きにされ始めた。


キッズたちによるリンチが始まった頃、歩たちは広場近くの交番前駐車場に到着した。

「着いたー」

「駐車代たっかいんだから長居はしないぞ」

「アリガトウゴザイマス」

 財布を覗いて所持金を確認しながら歩が釘を刺す。

 いのりはロボットが入っている歩のスマホを片手に情報収集を行っていた。

「そんで? 全裸男はいまどこにいんだ?」

「ちょっと待ってー。トー横でキッズたちと乱闘中。すぐそこじゃん」

「ロクなことになってないな」

 全裸の不審者が街で暴れてればそうなるよなと歩は顔を覆った。

「急ギマショウ。警察ガ到着スルマデニ済マセタイデス」

「確かに警察が来たら俺らもヤバいだろうな」

「私らにはヨウさんがいるから大丈夫じゃない?」

 ロボットの指示通りに、歩たちはトー横広場へ向かう。

 駐車場目の前の交番の警察官は幸いパトロール中であったため、まだ全裸男と接触するチャンスはある。

 しかし警察がこの騒ぎに駆けつけ、男を捕まえたら接触は適わなくなる。

 急がなければと二人は足取りを早めるのだった。


 ごった返している野次馬を掻き分け、歩たちは広場に到着した。

 周囲を見渡すと、広場中央で複数のキッズたちが罵声を浴びせながらうつ伏せに倒れている男を何度も執拗に踏みつけていた。

「あっ! 歩、アレじゃない?」

「乱闘ってよりリンチじゃないかこれ?」

 歩はスマホをリンチが行われている方向に向ける。

「アレがお前が探してる博士なのか?」

「ハイ、ソウデス。ナントカ近ヅケマセンカ?」

 ロボットは全裸男の姿を確認すると、歩に接触するよう促す。

「えっ、ヤダよ。いま行ったら絶対巻き込まれるやつじゃん」

 キッズたちはアムリタ中毒者が多く、感情が昂り易い。

 見るからに常軌を逸した彼らの表情を見た歩は尻込みをしてロボットの頼みを断った。

「あっ、自警団の人たちが出てきた」

 歩がまごついているといのりが反対方向、靖国通り方面から歩いてくる集団に気付いた。

 白いパーカーに身を包んだ黒マスクの集団は金属バットやバールのようなものを肩に担いでいる。

 そのパーカーの背中にはデカデカと『歌舞伎町PEACE MAKER』の文字がプリントされていた。

 冴島が密かに飼っている自称歌舞伎町自警団組織である。

「うぃーっす、歌舞伎町ピースメーカーでーす」

「はいはい皆んな下がってねー」

 ピースメーカーのメンバーはバットでキッズたちを払いながら全裸男から引き剝がす。

 うち何人か興奮し切ったキッズが歯向かったが彼らが睨みつけると借りてきた猫のように大人しくなった。

「冴島さんの言ってた男はコイツ?」

「多分な」

 ピースメーカーたちは全裸男を取り囲むと耳打ちする。

 彼らの視線の先にはキッズたちの執拗な報復で痣だらけとなった男が呻いていた。

 メンバーの一人がしゃがみ込んで男に話しかける。

「お兄さん、暑いのはわかるけど日本はお外でそーゆーカッコしちゃダメなの、わかる?」

「というか日本語わかりますー? あーゆーすぴーくじゃぱにーず?」

 もう一人のメンバーもしゃがみ込み、両脇を掴んで二人がかりで男を無理矢理立たせた。

「きっと酔いつぶれて剥かれたんでしょ。服なら俺らが面倒見るから、ちょっと一緒に来てくれます?」

 リーダーが男の正面に立ち、保護を申し出る。

 全裸男はうつろなまま、無反応であった。

「お兄さん聞いてますー? ってかシカトすんなやー?」

 胡乱な表情を続ける男にイラつきを覚えたリーダーが頬を叩きながら尋ねる。

 いつの間にか男の全身にあった痣が消えていた。

「あの人たちに連れてかれるのかな?」

「あいつらに連れてかれたら流石にどうしようもねーぞ?」

 顛末を見守っていた歩たちは、このままでは接触の機会を失うのではと焦る。

 しかし男の全身に施された紋様が青白く光り始めたのを確認したロボットが告げた。

「アッ、マズイデス」

 ロボットが言い終わる前に、全裸男を立たせていた片方のメンバーの頭部が突然破裂した。

「ぴぎゃっ!?」

 状況を確認する間もなく、もう片方のメンバーの頭部も破裂する。

 二人の返り血と脳漿を浴びたリーダーの白いパーカーが鮮血に染め上がった。

「…………はっ?」

 いったい何が起こったのか。

 左右のメンバーはどうなったのか視線を動かしていたリーダーを、全裸男が払い除ける。

 リーダーは数メートル吹っ飛ばされ、ゲームセンター入口の柱に激突した。

「ぐはっ!」

 リーダーは口から血を吐きながら崩れ落ち、そのまま気絶した。

 目の前で起きたその現実離れした光景に、この場にいる全ての人が絶句した。

「ひ、人が! 人が破裂したぞ!?」

 野次馬の一人が叫ぶ。

 堰を切ったように人々はパニックに陥った。

「ど、どうしよう……」

「なんだこれ!?」

 歩はいのりを抱き寄せ、建設記念碑に背中を預けて全裸男に狙われないよう身を隠した。

「良クナイコトガ起キテシマイマシタ」

 ロボットが歩に何が起きているのかを告げる。

 歩はロボットに説明を求めた。

「なんだよアレ!? 超能力か!?」

「正確ニハ、マイクロ波ヲ用イタ誘電加熱、早イ話ガ電子レンジデス。彼ハ現在、正気ヲ失ッテマス。恐ラク頭部ノコアユニットガ損傷シテイルト思ワレマス」

 全裸男を観察しながら、無機質に解説するロボット。

 全裸男は周囲を取り囲んでいたピースメーカーのメンバーを一人、また一人と破裂させていく。

「ぴ、ピースメーカーなめんなぁ!!」

 メンバーの一人が金属バットで全裸男の頭を殴打した。

 男の頭部がベコリと陥没する。

「きゃあ! ……え?」

 いのりが悲鳴を上げる。

 が、全裸男は意に介さず、打撃を受けた箇所は蒸気を上げながら復元していった。

「なんだ……あれ」

 傷が修復された男は、再び手を翳す。

 腕の紋様が光ると、金属バットのメンバーが破裂した。

「本来意図シタモノデハアリマセンガ、アレモBETAノチカラノ一端デス」

 その圧倒的な力に、歩は目が離せなかった。

 恐怖で動悸が激しくなる。

「化けモンがぁ!!」

 メンバーの一人が隠し持っていた回転式けん銃拳銃を取り出し、発砲する。

 弾は男の腹部に数発、1発は心臓に命中する。

 しかし同様に傷口から蒸気が立ち昇り、銃創からそのまま弾が輩出されると、逆再生しているかのように傷が塞がった。

「あの薬を飲んだら、ああなっちまうのか?」

 歩は夕方にロボットが見せたアンプルを思い出していた。

「ハイ。BETAヲ服用シ、ナノマシンガ定着スルト、人体の治癒力ガ劇的ニ向上シマス」

 ロボットは肯定する。その言葉に歩は息を呑んだ。

「不死身ってことか?」

「コアヲ壊サレタリ、余程ノ損傷デナイ限リ死亡スルコトハアリマセン」

 ロボットから告げられる言葉と目の前の光景、響き渡る幾多の悲鳴、断末魔に歩は眩暈を起こしたような錯覚を起こす。

「ホントに世界が変わっちまう代物みたいだな」

 歩はこの時初めて、自分が巻き込まれた事件のスケールの大きさを認識した。

「彼ノ暴走ヲ止メナケレバナリマセン。ヤハリ接触スル必要ガアリマス」

「接触……って、えっ!? 俺がやんのかよ!?」

 ロボットの頼みに、歩は慄く。

 人間が血飛沫と共に消し飛んでいるあの場所に突っ込めと言っているのだ。

 なんの変哲も無い一般男子高校生でしかない自分にとって無理難題に他ならないと歩は抗議した。

「無理だよ。あの人近くにいる人手当たり次第破裂させてるよ?」

 いのりも歩の服の裾を掴み引き留める。

「アレホドノ出力ヲ、イツマデモ維持出来マセン。スグニエネルギーガ切レルハズデス」

 拳銃を持っていたメンバーは弾切れを起こし、逃走を図るが間に合わず破裂した。

「エネルギーガ切レタ時ヲ狙エバ安全デス」

「エネルギーってなんだよ。厨二かよ」

 ゲーム設定のような言葉を並べるロボットに、歩は自棄気味に吐き捨てる。

「なんで私達がやんなきゃいけないの!? 警察に任せれば良いじゃん!」

 歩を行かせようとするロボットに、いのりが抗議する。

「そうだ! 警察を待とう!」

 歩もいのりの意見に賛同する。

 警察なら何とかしてくれる。

 その希望に二人は縋ろうとした。

「イイエ、警察ガ到着シテモ対処ハ困難ヲ極メマス。ムシロ被害ガ拡大シマス」

 そんな二人に、ロボットは淡々と事実を突きつける。

 警察が来たところでどうこうなる相手ではない。

 二人もわかってはいたのだが、頭の片隅に追いやろうとしていたのだ。

 歩の脳裏に赤羽の姿とタロの墓がよぎった。

「シカシ貴方ハ彼ラヲ助ケル手段ヲ所持シテイマス」

 嫌な想像を払おうと頭を振る歩にロボットは言葉を続ける。

「人々ヲ助ケル手段ヲ持ツ者ハ、ソノ義務ヲ果タサナケレバナリマセン」

「ソレガ正義デス」

 歩は目を伏せ、押し黙った。

 すぐそこまで来ている死の気配に、恐怖に、彼は苦悶の表情を浮かべた。

「オ願イシマス」

「……エネルギーが切れたら安全なんだな?」

 重く低い声で、歩が尋ねる。

「ハイ。安全デス」

「アイツんとこに近づくだけで良いのか?」

 歩は顔を上げ、視線は手元から上に動いていく。

「イイエ。私ガスキャン出来ルヨウニ、彼ノ耳元ニスマホヲ当テテクダサイ」

「……わかった」

 歩は覚悟を決めた。

「ちょ、ちょっと歩! やめようよ!」

 いのりは歩を抱き締め、止める。

 歩は彼女の頭を撫で、苦笑いを浮かべて応えた。

「ちょっと行ってくるだけだから。心配すんなよ」

 対抗していたピースメーカーの最後の一人が、破裂した。

 全裸男の身体の紋様から光が失せ、彼が膝をつく。

「イマデス」

 ロボットが彼のエネルギーが切れたことを告げる。

 その瞬間、歩は全力で駆け出した。

「うわぁああああ!!」

 ラグビーのタックルのように歩は全身を全裸男の上体にぶつけ、そのまま倒れ込みマウントを取った。

 蠢くように緩慢に動く男を押さえつけながら、歩はスマホを彼の耳元に押し付けた。

「ほら! やったぞ! 早くしてくれ!」

 歩はロボットに合図を送る。

「アリガトウゴザイマス。スキャンヲ開始シマス」

 スマホが青白く光り、その光が全裸男の頭を包む。

「ぐ、ぐがあああああ!!!!!」

 光が全裸男を包むのと同時に、激痛に悶えるように彼は苦しみ始めた。

「くそっ、暴れんなよ! おい! 大丈夫なのかっ!?」

 スキャンが失敗しないよう、必死に全裸男を押さえつける歩。

「博士……残念デス」

 スマホから光が収まると、ロボットはポツリと呟いた。

「アァ……BETAヲ……頼ンダ……」

 終始胡乱な表情だった全裸男はこの時初めて、元の聡明な科学者、シュルティ・ウパニシャドとしての自我が復活した。

 彼は歩を見つめ、二人の目が合う。

 シュルティはそう言い残すとゆっくりと動かなくなった。

「はぁ……はぁ……」

 終わったことを確信した歩が、シュルティから離れる。

 人形のように動かなくなったシュルティの姿にタロを重ね、歩はなんとなく察してスマホのロボットを見た。

「スキャンヲ実施シタトコロ、懸念シタ通リコアヲ損傷シテイマシタ。現状デハリカバリー不能ノタメ、停止コードヲ送信シマシタ」

 歩の様子から察したロボットはスキャン結果とそれに伴って処置した内容を報告する。

「殺したって、ことか?」

「イイエ。コアガ損傷シタ時点デ彼ハ死亡シテイマシタ」

 そう話すロボットの声はどこか辛そうに歩は感じた。

「お前……うぷっ」

 極度の緊張の揺り戻しから歩は強烈な吐き気を覚え、その場で嘔吐する。

「歩!!」

 いのりが駆け寄る。遠くからパトカーと救急車のサイレンと、警察官の警笛の音が近付いてくる。

「警察だ! ここにいる全員、一歩も動くな!」

 機動隊の大盾が広場を取り囲み、その中から赤羽と桐谷が銃を構えながら現れた。

「はぁ……はぁ……ヨウさん……」

 いのりに抱きかかえられながら赤羽の姿を見た歩は、安堵から意識が遠のいていく。

「歩!?」

 赤羽の目の前には大量の首無し死体と無数の血だまり、頭が復活している今朝大久保公園で見た死体、その傍らで蹲っている歩といのりの姿、いったいなにが起きたのか彼には想像もつかなかった。

「ヨウさん!! 歩が!!」

 歩が気を失いかけているのを察したいのりが、赤羽に助けを求める。

「ヨウ、さ、ん……」

 歩は薄れゆく意識の中、シュルティ博士はBETAでなにがしたかったのだろうと疑問に思うのだった。

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