第5話:歌舞伎町に全裸男現るだって、ウケる

――奥多摩地方、賀茂村

 奥多摩湖が広がる青梅街道沿いの集落の一角。

 ゴーストタウンと化したその村は現在、冴島所有の土地である。

 村の家々には冴島の紹介で債務の滞った者、長く続く不況で職にあぶれた者、脛に傷のあるものが林業土木農業に従事していた。

 村はほぼ自給自足で成り立っており、言い換えれば陸の孤島とも言える。

 その過疎村の寂れたゴルフ練習場で、男の悲鳴が木霊していた。

「そろそろ仲良くしましょうよ、ヤンさん。ねぇ? お互い良い大人じゃないですか」

 ティーイングエリアに昨晩の歌舞伎町銃撃事件の首謀者であり、黒龍商会幹部のヤン・カクエンが寝かされていた。

 彼の口にはティーが咥えており、その顔面はすでに数度の拷問を受けたであろう痕で赤く染まっていた。

 ゴルフクラブを携えた冴島はその傍らに立ち、ヤンの咥えているティーにゴルフボールを置く。

「……私たちも仕方なかったんだ。上からやれと言われたから、しょうがなかったんだ」

 すでに前歯は全てなくなり、血塗れの口元から血飛沫を上げながら必死に許しを乞うヤンであったが、冴島はにこやかな表情を崩さず、淡々とティーショットを続けていた。

「だからその上っての、教えてくださいよ」

「そ、それは言えない……言ったら黒龍商会も、私の家族も殺されてしまう」

「極道が一端に家族の心配とは随分なご身分ですね?」

 家族と言う言葉に冴島は眉をひそめた。

 世間様に後ろ指を刺される極道者が所帯を持つことはご法度とされ、唯一赦されるのは組を構えたいわゆる組長と呼ばれる者のみである。

 なぜならば彼らの世界では親である組長に鉄砲玉になれと言われれば鉄砲玉になるし、ムショに入れと言われればムショに入らなければならない。

 そのような立ち居振る舞いを求められるものに所帯を持つことなど心構えとして許されないのだ。

「それじゃみんな納得しないでしょう? おたくらウチのオヤジにケツ持ちさせる気ですかい?」

 さらにこの男は今回の騒動の責任の一端を逆に止めに入った雲雀任侠会に擦り付けようと考えていたのである。

 冴島はそのことを思い出し、クラブを握る手に力が入った。

「ウチが起こした騒ぎじゃないのに、いい迷惑じゃないですか。ねぇ?」

「それについては謝る! 金だったら幾らでも払う! だからもう勘弁してくれ!」

 それでも穏やかに話をしている冴島に対して、ヤンは必死に命乞いを続ける。

 ヤンがこの状況下でも金を積めば解決すると思っていることが冴島の神経を逆撫でした。

「冴島さん! 失礼しやす!」

 新たな一打を放とうとしたとき、冴島直参の若衆、林下晶(はやししたあきら)が駆け込んできた。

「なんだ、どしたぁ?」

 ストロークのタイミングを外され、中断する冴島。

「事務所に待機してる連中から連絡が入ったんすけど、いま歌舞伎町で全裸のインド人が騒ぎを起こしてるそうで」

「てめぇはそんなことも俺にやらせるつもりなのか? あ?」

 冴島はスマホで連絡内容を確認しながら報告する林下に対し、クラブで配球機を殴りつけて叱る。

「す、すいません! でも、連絡してきたやつのツレの話だと昨日の晩に逃げ回ってたやつじゃないかって話で」

「……そいつの顔がわかるモンはあるんか?」

 冴島の叱責に怯えながらも林下は食い下がった。

 普段なら「でも」の時点で平手を飛ばす冴島であったが、内容を聞いて思い止まった。

「は、はい! SNSでいま大量に晒されてます! こちらです!」

「……あぁ?」

 林下はアプリを立ち上げ、冴島に見せる。人の醜態を面白おかしく晒して笑う昨今の風潮は気に入らなかったが、林下が見せた動画には確かに全裸のインド人がいた。

 全身に入れ墨ともタトゥーとも違う、幾何学模様の紋様を纏い、ところどころ乾いた血に塗れた男であった。

「なぁヤンさん、こいつに見覚えありますかい?」

 冴島は林下のスマホをヤンに見せる。

 ヤンはその動画を見て、目を丸くして驚いた。

「!! な、なんで生きて、し、知らないヨ!!」

「……へっ」

 ヤンの反応から当たりを掴んだ冴島は不敵に笑った。

「事務所の連中にコイツのガラ押さえさせろ!」


――練馬区光が丘駅、IMA館内地下フードコート

 いのりの付き添いで、飲料水や米など重量物類の買い出しとクリーニングの受け取り、そして明日からいのりが行く部活の追い出し合宿用の衣類の新調などを終えた歩は、買い出しという戦いを生き延びた互いの健闘を称え、地下食料品街のフジヤで買ったソフトクリームをフードコートで食べていた。

「あっ、ねぇこれ見てよ」

 いのりはすでにクリーム部分を食べ終え、コーンをバリバリと食べながらSNSをザッピングしている。

 歩は近々の過密スケジュールの影響から食欲より睡眠欲の方が勝ち始め、うとうとしながらいのりの話に相槌を打っていた。

「いいからもう帰ろうぜ? くっそ眠いんだよ俺」

「えっとねぇー、歌舞伎町に全裸男現るだって、ウケる」

 いまにも歩の手から零れ落ちそうなソフトクリームを取り上げ、そのまま食べ始めたいのりは聞く耳持たずに話を続ける。

「また歌舞伎町かよ。勘弁してくれ」

 仮眠の体制に入ろうとした歩のスマホが鳴り響く。

 着信画面が表示されるが、相手の表示は無かった。

 そして応答ボタンも押していないのに、独りでに通話画面へと移行する。

「至急歌舞伎町ヘ向カッテクダサイ」

「うぉわっ!?」

 声の主は歩宅で作業中のはずのロボットであった。

 突然の介入に歩は跳ねるように驚く。

 スマホはまるでハッキングされたように画面にノイズが走り、ノイズが治まるとまるでロボットの顔のような表示に切り替わった。

「えっ? スマホがなんか言ってるよ? なにこれ? アプリ?」

「なんだよお前!? なんでそんなとこ入ってるんだよ!?」

 歩はいのりから隠そうとしたが、先に気付かれてしまったため、観念し二人で見えるような位置でロボットとのやり取りを継続することにした。

「入ッテルワケデハアリマセン。ネットヲ通ジテ貴方ニ話カケテイルダケデス」

 相変わらず不自然なイントネーションの合成音声で会話するロボットであるが、言葉に合わせてデフォルメされた口と目が動くあたり、これまで見てきたものよりはまだ可愛げがあるなと歩は思った。

「修理は良いのかよ?」

「修理作業ハ平行シテ現在進行中デス。ソレヨリ重大ナ事態ガ起キマシタ」

 目を輝かせて覗き込むいのりを抑えながら歩は反論した。

 どう考えても厄介ごとに巻き込もうとしていると予感したからだ。

「私ヲコノ男性ニ会ワセテクダサイ」

 ロボットは全裸男の画像をポップアップさせる。

 歩はやっぱり厄介ごとだと顔を覆った。

「コノ方ハ、私ヲ日本マデ逃ガシテクダサイマシタ、シュルティ・ウパニシャド博士デス」

 ロボットの言葉に歩たちは疑念を抱き、顔を見合わせた。

「えっ、ちょっと待って。その人って確か死んだんじゃなかった? ニュースで見た」

「彼ハBETAヲ服用シテマス。多少ノ事デハ死亡スル事ハアリマセン」

 いのりの疑問にロボットは応える。

 しかしロボットの言葉にいのりはさらに困惑浮かべる。

 ロボットは困惑するいのりをとりあえず置いて、話しを続けた。

「シカシ様子ガオカシイデス。ソレニコノママデハ追手ニ捕マッテシマイマス」

「ちょっと待て! 待て!」

 説明を続けるロボットを歩は制止した。

「俺に全裸男を追えってのかよ!?」

「ハイ」

「お前の知り合いだから!?」

「ハイ」

「こんな騒ぎ起こしてたら追手に捕まっちまうから?」

「ハイ」

 この衆人環視の中、しかも醜態を晒している相手に、場合によっては話しかけることもあるのかもしれない。

 自分も一緒に笑いものにされる可能性もあるし、なによりその追手に自分も標的とされる危険性もあるのではと歩は危惧した。

「えーいいじゃん。行ってあげようよ」

 歩の不安を余所に、能天気に協力を促すいのり。

 完全に他人事と思い切っている幼馴染を歩は恨めしく思った。

「オ礼ハ必ズシマス」

 お礼の言葉に、歩は先ほどの銀行口座の金を連想した。

 この訳の分からないロボットですらあんな大金を持っていたのである。

 その持ち主はきっともっと大金を持っているに違いないと、歩は生唾を呑んだ。

「ほら、こんなにお願いしてんだしさ」

「わかったよ! 行けばいいんだろ! 行けば!」

 ロボットといのりの懇願に、歩は開き直るように了承した。

「アリガトウゴザイマス」

「貸しだからな!」

 こうして歩たちは足早にショッピングモールを去り、歌舞伎町を目指すのだった。

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