孤独なエンターテイナー
鷹橋
本編
土曜日の仕事あがりはいつも妻にないしょでここに立ち寄る。
「いらっしゃいませー! あ、いつものフレンズだにゃん!」
「へへ。また来ちゃった」
余所行きの接客に、マスク越しのこもった声で対応。
「いつもの席空いてるにゃー! フレンズの登場だにゃー!」
「「いらっしゃいだにゃー!」」
やまびこのように響く。悪い気はしない。
「いつもの二つ! ロックで!」
「かしこまりだにゃー!」
いつものを、氷でいただくことにする。
マスクを外していると、すぐに用意される。
「はーい! いつもの二つだにゃー! めしあがれ!」
「ありがとう!」
待ちきれずに泡の上から口をつけ、一杯目を喉に滑らせる。
ゴクゴク、うまー。
その調子のまま、二杯目も一気に飲み干す。
「いい飲みっぷりだにゃー!」
我ながらそう思ってしまう。顔も赤くなる。
「ありがと! お勘定!」
「はーい! 毎度ありだにゃー!」
プリペイド決算は小銭を出し入れする必要がない。
これまたすぐに済む。
ひん! この決算方式はこの鳴き声がしてしまう。妻には聞かせられない。
「また来てニャー!」
「もちろん!」
軽く触れればよいタッチ式で開閉するドアを、強めに押して外へと出た。
駐輪場に停めてある愛車へ腰掛ける。
「おし、今日もいっちょ歌うか」
明るいのですんなり自転車の鍵を解いた。がちゃん。
「〜♪」
田舎の道は暗い。街灯がないところの方が多くて、農道は自転車のヘッドライトでしか照らせない。
この時期は寒すぎる。
一昨日までは予報で雪マークも付いていたほどだ。昨日ようやく曇りマークになって、今日の午前中に粉雪が舞った。すぐに溶けて消えた。
「〜♪」
誰に聞かせるわけでもなく歌は紡がれる。音程も不安定だ。断じてビブラートではない。
歌は魂で歌えばいい、誰かの心へは届く。
今は誰も聴いていない。
曲がる道を一本間違えて、民家へたどり着いてしまった。慌てて引き返して、正解の道へと戻る。
家までは時間が掛かる。あと二曲は予約して入れても大丈夫だ。曲目なしでも頭の中で転送させる。
「〜♪」
後ろから車が来た。
ハイビームで照らされれば、夜は気付きやすい。
慌てて声のボリュームを下げて左へ寄った。
車は少しだけ右に大きく寄ってから俺を追い越した。その車が見えなくなる頃に、歌のボリュームを戻す。
「〜♪」
最後の坂が見える。この坂を上れば我が家だ。
「鮮やかに照らして〜♬」
ひとまず歌をとめる。
最後は脚に力を入れる。立ち漕ぎで。
十分も立ち漕ぎをしていれば、この時期でも汗だくだ。今日はシャワー浴びようかな。
家の玄関に自転車を停める。
ポケットからキーチェーンを取り出して、いつもの家の鍵を差し込んだ。
暗くてうまく刺さらない。何度か試してからようやく刺さった。鍵を右に回す。
ドアをずらして開く。
「ただいま!」
誰もおかえりとは言わない。寂しいとは思わない。
狭くて冷えている廊下を歩いて、カーテンの閉まっていないところから庭を見る。
「お、いたのか!」
近所に住む妻が来ていた。
「ニャー」
「よしよし。今ご飯やるからな」
「ニャ」
「よしいい子だ。どこにも寄らずに帰ってきたんだぞ? 酒臭くもないだろう?」
「……ニャー」
ウップ。
今更になってからコーラ二杯を飲んだツケがまわってきた。
孤独なエンターテイナー 鷹橋 @whiterlycoris
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