☆KAC20241☆ 金子のお仕事

彩霞

金子のお仕事

 金子には三分以内にやらなければならないことがあった。


 午後三時三分前。

 窓口テラーの職種にいている彼女は、三分以内に手元にある「振込手続き」を完了させなくてはならない状況にあった。


「振込」とは、銀行口座に資金を送ることだが、ほとんどの金融機関では午後二時までに当日分の受付を終了している。それはシステム上、振込ができるのが「午後三時」までと決まっているからだ。


 ここで「午後三時までなのに、どうして受付が午後二時までなの?」という疑問が浮かぶかもしれない。


 それは、仮に客が三時少し前に来店して、振込を依頼してきたとしても、時間が過ぎてしまったら間に合わない場合もあるからだ。また、時間的余裕がないということは、間違いも起きやすい。そのため、当日処理の分は午後二時までの受付なのだ。


 1円たりとも誤った金額での取引ができない金融機関には、当然ミスを回避するための仕組みもあるが、そういうときに限って人の目をかいくぐり、誤りが発生する。間違いを修正することもできるが、その場合は二重、三重と手間がかかり、客はもちろん、相手の金融機関に迷惑をかけることになってしまうため、ゆとりがない状況はけたいところだ。


 そのような仕組みになっている中、何故金子の前に、今日中に処理しなければならない振込の伝票があるのか。

 それは、外回りから帰ってきた新人の樋口ひぐちが「二時少し前に預かって来たのですが、すぐに出すのを忘れてしまって……」と言って申し訳なさそうに出してきたからである。

 

「……」


 金子は振込の伝票を見て、「これはマズい」と思った。


 まず、日付が「令和6年3月1日」となっている。

 もし、今日手続きしなかったら、客に事情を説明してこの部分に訂正印をもらわなければならない。


 さらに問題なのが、依頼者の名前に「山田太郎」とあること。

 彼はいちいち細かいことでケチをつける面倒な客だ。樋口がきちんと説明して今日以外の日付にしてこないのも悪いが、振込の知識は山田氏のほうが上手だ。相手も新人だと思って無理に押しつけたのも想像できる。押しの強い相手に、新人が事情を説明するのは中々難しいものだ。


 その件は今後考えるとして、今考えるべきは目の前の「振込」である。

 これは今日手続きしなければ、次は「3月4日」に行うことになり、数日空いてしまう。それも山田氏が訂正印をそれまでに押してくれればいいが、そうでなければさらにびることになるだろう。


 幸い、振込額が比較的少額で、さらに通帳からの振替であるので、余計な確認も不要だ。これがもし十万円を超える現金の取引であると、免許証などの本人確認書類が必要で、それらがないと手続きできないのだ。


 金子は瞬時にそれらを判断すると、すぐに上司に確認した。


「すみません、福沢次長。もうすぐ三時になるのですが、この伝票を処理してもよいでしょうか?」


 次長は金子に見せられた伝票を見ると、すぐに事情を察し「頼む」と言った。彼女は「はい」とうなずくと、テラーマシンの前に座り、伝票の内容を素早く入力していく。


 そのときである。店内入り口の自動ドアが開き、ちりん、ちりんと鈴が鳴った。

「こんなときに……!」と思うが、大体こういうときに客は来る。


 金子は、もう一人のテラーに「ごめん、対応お願い」と任せると、金額と依頼人の名前を入力し、確定ボタンを押す。


 だが、まだこれでは終わらない。

 振込は誤った状態で送信されると、修正するのに手間がかかるため、伝票に印字されたものを、入力者以外の人が確認することになっている。


 そのため金子は、伝票の印字を確認すると、次長の福沢にそれを見せた。


「すみません、確認お願いします!」


 店内の時計をちらりと見ると、残りあと一分。間違いがないか確認をお願いしているとはいえ、ここで間違っていたら入力の訂正をしなければならないため、送金できずに終わる。

 金子は「冷静に」と自分に言い聞かせながら、平然とした表情を浮かべ、そのときを待った。


「よし、いいぞ」

「ありがとうございます」


 金子は確認してもらった伝票を受け取り、再度自分でもさらっと確認すると、テラーマシンに最後の入力を行い「送信」した。


 ビー!


 その瞬間、テラーマシンから「午後三時」を知らせる音が鳴る。どうやらギリギリ間に合ったらしい。


 金子は小さくため息をつくと、上司に「終わりました」と報告し、樋口に「振込受付書」に出納印を渡して返した。


「間に合ったんですか?」


 樋口がおずおずと聞くと、金子は涼しい顔でうなずいた。


「ありがとうございます……!」

「どういたしまして。でも次からはギリギリにならないように、気を付けてね」

「はい」


 こうして窓口テラーが陰で奮闘ふんとうしていることは、ほとんど知られていないことである。


(完)

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