魔法少女とラッキーストライク
透峰 零
今日のお仕事は「全てを破壊しながら突き進むバッファロー」を何とかすることです
魔法少女には三分以内にやらなければならないことがあった。
それは返信だ。
返信。そう、変身ではなく返信である。
なぜかというと、私達の世界と彼らの世界では時間の流れが違う。こちらの一分は、あちらの世界の十分に相当するのだ。
当初はもっと差異を大きくしろとゴネてみたが却下された。この十分というのは、都度重なる交渉と妥協の末に生まれた意味のある数字なのである。
と、話が逸れた。とにもかくにも、魔法少女たるもの着信を受ければ三分以内に何がしかのアクションを起こす必要がある。
例えトイレに篭っている時であっても、取引先との会議中であっても、明日が納期の仕事を抱えていても――とにかく、あらゆることを放り出して行かなければいけない。
そんなわけで、私は右手中指に嵌めた指輪を「了解」の意でトントンと叩くと席を立った。その際に「クソが」と小さく溢れたりしたが、コロナ禍のおかげで導入されたパーテーションのおかげで、よほどでないと独り言は聞こえない。
いつものように百円ライターとラッキーストライクを制服の胸ポケットに突っ込み、何食わぬ顔で私は廊下への脱出を果たす。
数分ぐらいなら、トイレや給湯室で休憩する人間は珍しくない。私の場合は、もっぱらタバコ休憩だ。ニコチンは健康寿命を短くするかもしれないが、精神寿命を伸ばすのだ。
ちなみに、今更だが私の年齢は今年で二十九歳になる。とっくに少女という年からは逸脱し、少女年齢の二周目ならばギリ、といったところだろう。
そんな私が、なぜ魔法『少女』になったのかというと――
『遅いっきゅよ、みーたん! 何してたっきゅか。もう三十分も経って』
「ウルセェよ」
更衣室に入った途端に出てきた契約妖精の文句を最後まで聞かず、私は裏拳を叩きつけていた。
『キュ〜』とか言いながらくるくる回って壁に叩きつけられた珍妙な生物を、更にわし掴む。
「なーんど言えば分かるんだ? あたしの名前は
ギリギリと指を食い込ませると、手の中で妖精がぷるぷると震える。ゆで卵(ただしダチョウの卵サイズ)に黒胡麻のような目と、マッチ棒のような適当な造形の細い手足が生えており、極めつけに背面からは白い羽が生えている生き物で、いかにも「私は人畜無害です」みたいな顔をしてるが、こいつが全ての元凶である。名前はエッグ。私が適当に名付けてやった。
思い返せば、仕事終わりに盛大にやさぐれて飲んでいた私の前に現れたこいつが『ファンタジーな世界で魔法を使う仕事に興味はないっきゅか?』などと甘い言葉を囁いたのが全ての始まりだったのだ。
気が付けば私は、酔いの勢いで彼の住む世界のピンチには駆けつける契約をしてしまっていた。おお、アルコールは身を滅ぼす。
『でもでも、大変なんだっきゅ! この危機を救えるのはみーたんだけなんだっきゅ! だから、早く変身して世界を救うっきゅよ!』
凝りないな、こいつ。
私は反対側の手で、エッグの下半身(と思しき部分)を掴んで思い切り反対側に捩じった。
『痛い痛い痛い! 痛いっきゅよ、みーたん! いや、別に痛くないけど、見るからに僕の体が痛い感じに捩れてるっきゅよ?! これ、放送事故レベルっきゅよ?!』
「はっはっは、捩れてるんじゃない。捩ってるんだよ、相変わらずバカだなぁ」
『とにかく、こんなことして僕で遊んでる場合じゃないっきゅ! 早く変身するっきゅよ!』
「ああ?」
私は、頭部にかけていた指にゆっくりと力を込める。ミシミシという音が聞こえた気がするが、どうせ骨はないのであまり気にしていない。
「『変身してください、命様』だろ? あたしは業務時間中に抜け出して、職務専念義務に違反してまで無償奉仕ボランティアしてやるんだぞ。わかってるのか?」
『き、きゅ〜』
「ほら、さっさと言えよ」
『どうか僕らの世界を助けるために変身して下さい、命様』
「やればできるじゃないか」
言って、私はエッグを解放した。べシャンという落下音の後、弱々しい声で抗議が入る。
『うう、何度考えても外見詐欺だっきゅ。いかにも儚い系黒髪美少女だと思ったのに、とんだインテリヤクザだっきゅ』
「聞こえてるぞ、クソ卵。踏まれたいか?」
『っきゅ〜!!』
悲鳴を上げて逃げるエッグに私は舌打ちをする。別に私だって、最初から彼に対してこんな粗暴な態度で接していたわけではない。そもそも、本性は雑だが普段はそれを隠すくらいの社会性はちゃんと身につけている。
だがしかし、である。
何度も何度も、ことあるごとに「世界の危機だ」と呼び出されては堪忍袋の尾もブチ切れまくるというものだ。それでも、本当に世界の危機だというなら私だって情の一つや二つはかき集めれば持っている。
だが、彼の言う世界の危機というのは――
「で、今度は何だよ。また林檎が豊作すぎて使い道が思いつかないのか? それともドラゴンの夫婦喧嘩がうるさくて近隣住民が寝れないのか? 小麦を刈ったはいいけど置き場がないのか?」
今まであった「世界の危機」を並べ立ててやると、エッグは「違うっきゅ」と体を左右に揺すった。
『そんなことで世界の危機とか言うわけないじゃないっきゅか〜。みーたんは面白いっきゅね!』
何も言わずに、私はエッグを踏み潰した。足の下から『痛い痛い痛い! なんか出る、なんか出る! 絵面的にこれはアウトっきゅ!』とかいう声がしたが、私の知ったこっちゃない。そもそもお前、どこから出るんだよ。
「もうあたし帰って良いか? お前と話してたらイライラしてきたから、ニコチン摂取しないと爆発しそう」
『ごめん、ごめんっきゅ! ちょっとしたジョークっきゅよ!』
こいつ、ハラスメントで訴えたら勝てないかな。いやダメだ、訴える先がない。虚しい現実逃避をしつつ、私は足裏で妖精をすり潰す。何にしても、早く終わらせて喫煙所に駆け込みたい。このままでは、私のメンタルが先にすり減ってしまう。
『今回の危機は、今までで一番すごいっきゅよ! なんと、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを何とかしてほしいっきゅ!』
「……パードゥン?」
いかん。頭がついていかず、思わず違う文化圏の言葉で喋ってしまった。
だが、さすがに「この世界の言語はすべてマスターしたっきゅ!」と豪語するだけあってエッグはすぐに理解したようだった。ご丁寧に、もう一度繰り返す。
『だから、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを何とかしてほしいっきゅ!』
とりあえず、何ごともなかったように話し続けるのが腹立ったので、再度前後に足を動かす。
全てを破壊しながら突き進むバッファロー。それが真実だとしたら、確かに大変だ。エッグはムカつくという言葉では言い表せないくらいに嫌いだが、別に彼の世界の住人に恨みがあるわけではない。
そもそもにして、恨む方が難しいような平和的で牧歌的な生き物しか住んでいないのだ。このクソ卵は別にして。
なぜ私が
住人は、よく言えばおっとり、悪く言えば楽天家が多い。
あの世界での魔法は、想像力と発想力が全てだ。恐ろしいことに、願えば大抵のことは叶う。
だから、例えば「大金が欲しい」とか「他人の金で腹一杯焼肉を食いたい」みたいなそういう願いをすれば間違いなく叶ってしまうだろう。だが、それゆえかあの世界の人は逆に争うことをしない。
まぁ、それはそうだろう。少し願えば自分の好きなように暮らせるのなら、わざわざ他人から奪う必要もないし、妬む必要もない。
そういった空気感ゆえか、彼ら彼女らは突発的な出来事に弱く、
『沈黙は肯定! そういうことで、良いっきゅね!? 行くっきゅね!』
私の返事など知ったことかとでもいうように、いつの間にかぬるりと足元から抜け出していたエッグが翼をはためかせる。
『早く誓いの言葉を言うっきゅよ!』
確かにそろそろ呼び出されてて五分くらいが経ってしまった。向こうの世界では一時間近くが経過していることを考えると、急いだ方がいいのかもしれない。
とはいえ、とはいえ、だ。
このセリフを会社の更衣室で叫ぶというのは、毎度のことながら羞恥心を宇宙の彼方にまで放り捨てないといけない。気合いを入れるために、私はポケットから煙草を取り出して口に咥え、火をつけて煙を肺いっぱいに吸い込む。
そして、力一杯叫ぶのだ。誓いの言葉――もとい、変身のセリフを。
「やりがい搾取撲滅! 賃金と世間体のために戦う! ニコチン戦士・ラッキーストライク! ここに推参!」
なお、この小っ恥ずかしいセリフは過去の私が酔った勢いで二秒くらいで考えたものだ。自分の気持ちを昂揚させられる魔法少女っぽいものならば何でもいいと言われたので、日頃の鬱憤を晴らす意味も込めて叫んだら成功してしまった。
煙草の白い煙とは異なる、キラキラとした光が部屋に充満する。気がつけば私は青空の下に浮いていた。
いつもながら唐突な転移である。視線を下げれば、やたらふりふりしたレースのついた衣装と、いろんなものが小さくなった己の体。どこまでも広がる草原と――土煙を上げて爆走するバッファローの群れ。
ヒンドゥー教徒にも容赦なく食され、なんなら生贄扱いされるあの牛もどきが、群れを成して大地を蹴立てて走っていた。
「マジでバッファローじゃん。っていうか、ファンタジー世界にもいるんだ」
思わず私は天を仰いで嘆いた。心からの嘆きであった。
とはいえ、相手はゴジラでもガメラでもない。たかが牛である。せいぜいが町規模であろうが、今までの平和的な事件に比べると確かに「危機」と称してもよいだろう。
まぁ、走ってるのは何もない大草原なのだが。
「さーて、どうするかな」
のんびりと空中で胡座をかいて私が首を傾げたところで。
「た、助けてえええ〜!」
タイミングよく悲鳴が響き渡った。よくよく見ると、バッファローから少し離れたところを一人の少女が必死に走っている。
「焚き火の場所を間違えて森を焼いちゃったら、バッファローが怒ったあああああ!」
「いや自業自得じゃん」
そりゃバッファローも怒るだろうよ、と思わずツッコミを入れるが放っておくわけにもいかない。少女が轢き潰されるのを見たくないのはもちろんだが、このままバッファローが進めば町くらいはあるだろう。そこにあの群れが突っ込んでいけば、さすがによろしくない。
『どうするっきゅか?』
「どうってもなぁ。とりあえず」
私は口に咥えていたままの煙草を指で摘み、くるりと回す。
「バッファロー達が怒りを忘れますよーに⭐︎」
可愛い声を出してはいるが、表情筋は死んでいる。こうしないと魔法が発動しないから仕方ないのだ。
私の呪文に導かれ、煙草の先端からどぎついピンク色の煙が吹き出す。ありえないほどの勢いで溢れ出した煙は、あっという間に眼下の怒りくるったバッファロー達を包み込んでいった。
「うまくいったかな……」
どうかあのバッファロー達が単純でありますように。そう祈りながら見つめる前で、煙が晴れる。
中から出てきたバッファローは、一様にぽかんと間の抜けた顔をしていたが、やがて一頭二頭と元来たであろう方向へと転換していく。どうやら、魔法は成功したらしい。
「ふぃ〜、良かった」
安堵の息をついて、私は額を拭った。肉体的な疲労はないが、精神的には疲れる。
「あ、あの!」
と、そこで足元から少女が呼びかけてきた。外見は可憐な少女だが、生きている年月だけを考えれば私よりは年上だろう。
「あなたは、あの有名な魔法少女・ラッキーストライクさんですよね!?」
そうか、そんなに名前が売れてしまっているのか。シンプルに止めて欲しい。恥ずかしすぎてクソ卵を道連れにして死んでしまう。
「ありがとうございました! 私も、ラッキーストライクさんのような立派な魔法少女になれるよう頑張ります!」
うん、早くそうなってくれ。そうすれば私もこの役目から解放される。魔法少女になるためには、恥を捨てることが大事だよ。
とか言えればいいのだが、今の私は一刻も早く帰りたい。
そろそろトータルの離席時間が十分になりそうなので、同僚達に怪しまれそうなのだ。
私は少女にピースサインを向け、
「あなたの町の問題解決! 困りごとは、魔法少女ラッキーストライクまで⭐︎」
思うに、この胡散臭い水道修理業者みたいな決め台詞がよろしくないのかもしれない。
来た時同様に視界を埋める光。その向こうで顔を輝かせて手を振る少女を見て、私はぼんやりと考えた。決め台詞の変更手続きが可能かを、今度エッグに訊いてみよう。
行った時と同様の唐突さで、私は更衣室に戻っていた。
手元の腕時計では、連絡を受けてから八分少々。あとは素知らぬ様子で席に戻れば任務完了である。
指には、半分以上が残っているラッキーストライク。もったいないが、私は携帯灰皿でそれを揉み消した。
魔法少女とラッキーストライク 透峰 零 @rei_T
★で称える
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